菅首相の退陣も、とうとう月末となりました。3月11日に発生した東日本大震災と原発事故に対するリーダーシップ欠如が原因で、辞任要求が吹き荒れ、退陣3条件の(1)今年度第2次補正予算(2)赤字国債を発行するための特例公債法案(3)再生可能エネルギー特別措置法案の成立が満たされるからです。民主党による政権交代後、はや3人目の総理大臣が近く指名されます。
井沢元彦氏の著書を読んでいたら、河合隼雄氏の『中空構造日本の深層』という本に、権力者(リーダー)について次のような文章があると書いてありました。
― 日本の場合の長は、リーダーと言うよりはむしろ世話役と言うべきであり、自らの力に頼るのではなく、全体のバランスをはかることが大切であり、必ずしも力や権威をもつ必要がないのである。日本にも時にリーダー型の長が現われるときがあるが、多くの場合、それは長続きせず、失脚することになる。日本においては、長はたとい力や能力を有するにしても、それに頼らずに無為であることが理想とされるのである。
(中略)
最も近代的な組織の運営において、欧米諸国から見ればまったく不可解としか思えないような、統合性のない、誰が中心において責任を有しているのかが不明確な体制がとられていたのである。このような無責任体制も、それが事なくはたらいている時は、案外スムーズに動いているものであるが、有事の際にはその無能ぶりが一挙に露呈されるのである。(中略)日本の近代組織は、時に驚くべき無責任体制であることを示す事実は、枚挙にいとまがないであろう。―
河合氏は、臨床心理学者で『古事記』の分析によって、日本の権力(意思決定)システムを「中空構造」と定義したそうです。この言葉を読むと、まるでこの度の震災や原発事故に対する政府や東電の稚拙な対応ぶりをそのまま指摘したようです。
今度新しく選ばれる総理大臣には、強いリーダーシップを発揮してほしいものです。
2011年8月23日火曜日
2011年8月21日日曜日
川の流れのように
いまからちょうど800年ほど前に、鴨 長明(かも の ちょうめい)という歌人・随筆家がいました。時代は平安時代から鎌倉時代です。彼の随筆に「方丈記」があります。約100年後に執筆された 吉田兼好の『徒然草』、清少納言の『枕草子』とあわせて日本三大随筆と呼ばれるそうです。その有名な書き出しは、
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」
いま目の前を流れている川は絶えず川として見えるけれど、実際はもとの水ではない。では一体それは何だろうか。それは一種の陽炎のように儚いものではないのか。時は流れ、様々な喜びや悲しみが過ぎてゆくけれども、すべては河の流れのようだと言っているように思います。この世の無常観が表れています。震災のあと、この言葉が胸に響きます。
「川の流れのように」 美空ひばり
知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ
生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移り行く
季節 雪どけを待ちながら
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ
生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移り行く
季節 雪どけを待ちながら
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら
2011年8月19日金曜日
ウソのようなホントの話
今日、あるアメリカ人から信じられないような話を聞きました。
最近起きた大阪でのバラバラ殺人事件について無駄話をしていたところ、以前彼もノコギリで死んだ牛をバラバラにしたことがあるとのことでした。彼の話によると、14歳の頃、アメリカ中西部の農場に住んでいて、伯父さんに死んだ牛の処分をするように言われ、仕方なくノコギリでバラバラにし、大きな穴を掘って埋めたそうです。
なぜそんなことをしたかというと、とても一人では死んだ牛を牛舎から運び出すことが出来ず、移動するトラックもなかったので、牛の身体を切り刻んで捨てたそうです。やってみると以外に簡単に切断することが出来たと言っていました。本当なら、凄い話ですね。
なぜそんなヒドイことを伯父さんは命じたかというと、その当時、14歳の彼には車の窃盗容疑がかけられており、警察の追跡から逃れるため、その伯父さんの家に潜伏していたらしいのですが、伯父さんからバツとして死んだ牛の解体を命令されたそうなのです。
その街にはたった一人しか警官はいなかったそうですが、ある日、街中を運転していたら突然停止するようサイレンを鳴らされ、執拗に追跡されたので、猛スピードで逃げ切ったそうです。そして伯父さんの家にやっとの思いで逃げ帰ったということです。
しかし、彼によると、車を盗んだ覚えはなく、伯父さんに「いつでも使っていいよ」と言われていたので運転したらしいのです。つまり、その車は、まさに盗難被害が出ていた車だったのです。その伯父さんは警官に見つかってしまったことに腹を立て、バツとして彼に牛の解体を命じたとのことです。
凄い伯父さんですね。それにしても、驚きです。
2011年8月18日木曜日
漂流民たち
物の本によると、江戸時代、格段に商品の流通が活発になり、街道を馬で運搬するよりも、盛んに船を使って物資を運ぶようになったそうです。大きな一枚の帆を張った千石船と呼ばれる木造船で、米や酒などを大消費地江戸へ運んでいたそうです。
しかし、不幸にも途中暴風雨などに会って、太平洋岸を絶えず流れている黒潮につかまり、大海へと漂流した船乗りたちがいたようです。井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』などで知られる大黒屋光太夫もその一人です。
それら漂流民のなかで、幸運にもアメリカの捕鯨船などに保護され、遠くアメリカ大陸まで連れていかれた者たちもいたようです。またある者は、その後帰国することができ、異国での貴重な体験を口述しています。
当時の日本は鎖国状態であり、キリシタン禁制でしたので、彼らはまず奉行所で調べられています。その時の記録が今でもたくさん残っているそうです。その筆記録の中に、英語の会話集というものがあり、漂流民たちが現地で覚えた単語が書かれてあるそうです。
たとえば「水」は、「ワーター」とか「ワラ」と書いてあるそうです。ちなみに「グモー」は「グッドモーニング」で、対訳は「おはようござりまする」と日本語で書いてあるそうです。面白いですね。「サンキュー」は、「かたじけのうござりまする」とか、食事の時などに耳にしたのでしょう、「ちょうだいつかまつりまする」と書いてあるそうです。とくに面白いと思ったのは、パンの「ブレッド」は、「ブレ」と書いてあり、訳は「麦餅」としています。「ハム」は「獣肉の蒲鉾仕立て」(笑)。
吉村昭の本にのっていたのですが、漂流民たちが最も驚いたことに、「キス」があるそうです。当時の日本人にとって、キスをする風俗はなかったので、初めて男女がキスをする姿を見たときは、さぞかし驚いたことでしょうね。
先ほどの会話集のなかにも「キス」についてのことが書いてあり、「互いに口をなめあうことなり」と書いてあるそうです。思わず笑ってしまいます。または、「互いに唇を強く吸い合いて、チューというなり」とも書いてあるそうです。そして非常に面白いのは、その説明文の下には必ず、「甚だ汚らわしき風俗なり」などと書いてあるようです。
この紋所が目に入らぬか!
超がつくほどのマンネリTV番組といえば、「水戸黄門」ですが、その時代劇の定番ともいえる長寿番組も、やはり時代の流れには逆らえないようで、今年でついに幕をおろすそうです。残念ですが、仕方ないでしょうね。
小さい頃は、よく観ていたような記憶がありますが、最近はトンと観ていません。いかにも憎たらしそうな悪代官が登場して、助さん格さんが颯爽と太刀まわりをして、ひとまず悪人たちを懲らしめたかと思うと、最後にはお約束の葵の印籠を出して、白いあごひげの黄門様の登場です。最初から明らかに結末が分かっていても、ついつい観てしまっていたような気がします。究極のワンパターン番組です。
いま思うと、よくもまあ同じような話が毎週出来たものですね。まったく同じ顔の悪代官が、数えきれないほど「出演」していたのではないでしょうか。また、格さん助さんに斬られても斬られても、同じ顔の悪人どもが次から次に出てきていたようにも思います。それも同じようにカメラ目線の派手な死に方で、画面の外へ消えてゆきます。
そう言えば、「暴れん坊将軍」もしばらく観ないですね。番組では、松平健が、主人公の享保の改革をした徳川七代将軍吉宗を演じていました。吉宗といえば、さまざまな倹約令を出して困窮していた幕府財政を再建した人です。将軍みずから1汁3菜だけの食事をし、絹の代わりに木綿を着ていたそうです。
特に、大奥の経費を大幅に削ったそうですが、ある本によると、大奥の女たち50人をリストラし、意図的にすべて美人を選んだそうです。その理由がふるっています。「美人なら、職を失っても良縁に恵まれて、すぐにでも他家に嫁ぐことができるだろう」といったそうです。ホントかなぁ。
2011年8月16日火曜日
エアコン
ついに、2階の子供部屋のエアコンが故障しました。
かれこれ12年ほど使用しましたので、そろそろ寿命かなと思っていた矢先でした。おそらく長年使用しているうちにガスが抜けてしまったのでしょう。スイッチを入れると、設定温度を下げても、なま暖かい送風だけになりました。12年も使えば、完全に元はとったと考えるべきでしょうね。
娘たちは連日の暑さのため、エアコンなしではぐっすり寝ることもできず、毎晩1階和室に布団を敷いて寝ていました。仕方なく、千葉の義兄の家へ遊びにいく前日、コジマ電器で新しいエアコンを購入しました。都合よく、帰宅した次の日の朝には取り替えてもらうことが出来ました。快適です。
購入時は、どこのメーカーのエアコンが良いか比較検討しましたが、先頃のドラム式洗濯機「故障事件」から、まずは東芝製は敬遠しました。その代わり、現在使っている家電製品の耐久性の観点から、パナソニック製に決めました。あっても使いそうもない様々な機能がついているよりも、シンプルなデザインで、基本的な機能が問題なく作動する方が、長い目で見た場合、価値があるように思います。
1階和室のエアコンも、そろそろ購入後10年になり、いつ故障してもおかしくない状態です。この夏だけでも何とかもってもらいたいものです。
2011年8月15日月曜日
夏休み
夏休みから帰ってきました。1月にサンフランシスコの友人宅で1週間の休暇をとって以来の休みとなりました。別段、帰省や海外旅行をしたわけではありません。ただただ毎日ノンビリと読書などして、日頃の慌ただしさから逃れられたようです。ブログもその間お休みしていましたが、今日から再開です。
今年は、家族を連れて、千葉の佐倉に住んでいる義兄の家へ遊びに行ってきました。滞在中は、近所にあるプールに子供たちを連れて行き、同じ施設内にある様々な種類のお風呂やサウナを満喫してきました。本当に久しぶりにリラックスしました。夕食は、キンキンに冷えた生ビールで乾杯をし、天ぷらやマグロ丼を堪能しました。一年に一度くらいは、親戚づき合いも良いものです。
帰りは夜遅く出発したので、高速道は渋滞もなく、スムーズに家路につくことができました。ヤレヤレ。
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