2016年7月24日日曜日

「20歳(ハタチ)のころ(30)」

わたしたちはつぎの目的地、アッシジ(Assisi)へと向かいました。アッシジも赤居さんがどうしても訪ねてみたい観光地のひとつだったようです。いつものように道中、赤居さんの後ろをついてゆくしかありません。

コモからアッシジまでは、イタリア半島をかなり南下します。しかしその途中の記憶がまったくありませんので、おそらく前日のジュリアーナ宅での歓迎パーティで飲みすぎたせいか、ずっと眠っていたのかもしれません。

やっと列車を降りて駅舎のそとへ一歩出ると、ほそ長い道路がまっ直ぐに田園を貫いてのびていました。その前方の小高い丘の上にアッツシジの古い街並みが遠望できました。まるで蜃気楼をみているようでした。

まっ青な空にまっ白な雲がいくつかぽっかりと浮いていました。あたりは静寂に包まれていて、空気は乾燥していました。一瞬、耳が聞こえなくなったような錯覚を覚えました。あたりには一面オリーブの木が植えられていました。

アッツシジの街は、中世そのままの趣きを残しており、白っぽい石造りの街並みは陽光をいっぱいに浴びていました。すり減った石畳の路地をぬけると、荘厳な教会がありました。

その教会は聖フランチェスコ聖堂といって、13世紀に建てられた由緒ある歴史的建造物です。中に入ってみると、ひんやりとして、外とは違ってピンと張り詰めた厳かな空気に包まれました。壁面は、数々の中世美術のフレスコ画で飾られていました。

高い天井や美しいステンドグラスを仰ぎみながらさらに奥へと進むと、祭壇中央の上部に十字架のキリスト像(聖母マリア像だったかもしれません)が見えました。キリスト教徒でなくとも、厳粛な気持ちになりました。

赤居さんとしばらくアッツシジの街路を散策しました。その通りには、カリフォルニアにある都市の名前の由来となったらしい、サンフランチェスコ通りやロスアンジェロス通りなどがありました。薄いピンク色の大理石をつかった優美な修道院もありました。

歩き疲れて、通りに面した小さなカフェに入りました。石畳通りに面したパティオの椅子に座り、コーヒーを注文しました。初めて飲んだ本場のエスプレッソは、とても苦味があって閉口しました。店のおじさんも日本人がよほど珍しいのか、しきりに話しかけてきましたが、そのイタリア訛りのきつい英語にも閉口しました。

(つづく)

2016年5月23日月曜日

「20歳(ハタチ)のころ(29)」

コモ(Como)では、1泊の滞在でした。イタリア人留学生たちに別れを告げました。か れらはその大きな瞳に涙をあふれさせていました。みんなで駅舎まで見送ってくれま した。駅のホームには、再びかれらの唄うジャクソン・ブラウンの『ステイ』が響き ました。

涙が出ました。イタリア語の「チャオ(Cao)」と日本語の「サヨナラ」を交えて、 ジュリアーナやパオラたちと別れのキスをしました。列車に乗り込むと、かれらの悲 しい顔が並んでいました。発車の合図でゆっくりとホームを離れていきました。赤居 さんと列車の窓から、かれらの姿が見えなくなるまで手を振りつづけました。

「――ホントにイイ奴らですね・・・」と、後ろで手を振っている赤居さんを振り返 ると、その丸メガネの奥の細い眼はしとどの涙で濡れていました。それにつられて、 不覚にも涙がとめどもなく流れました。もうかれらに一生会えないのかもしれないと いう刹那(せつな)さに、われを忘れて涙しました。

座席に深く身を沈め、車両の単調な振動に身をまかせました。ケンブリッジでかれら と過ごした日々が思い出されました。特に、ワインバー『シェイズ』で唄い飲み明か した夜が、懐かしく浮かんでは消えました。胸にじんわりと熱いものがこみ上げてき ました。

赤居さんとふたり、おし黙ったまま、気が抜けたようにぼんやりと外の景色を眺めて いました。イタリア北部の穏やかな田園風景が車窓に流れていました。あれから30 数年、いまごろかれらはどうしているだろう――。 さぞや、みんないいオバサンや オジサンになっただろうな。

列車は、南へと進んでいました。

(つづく)

2016年5月8日日曜日

「20歳(ハタチ)のころ(28)」

南フランスのニースを出発したふたりは、つぎの目的地であるイタリアへと向かいました。

ブーツの形をしたイタリア半島西側のつけ根に位置するジェノバ(Genova)を過ぎ、列車は一路、北へと進路を変え、ミラノ(Milano)へと向かいました。

アニメ好きの赤居さんは、『母をたずねて三千里』の舞台でもある港町ジェノバに立ち寄りたかったようですが、しだいに旅の予定が狂い出していたふたりは、つぎの目的地、コモ(Como)へと急ぎました。

コモは、ケンブリッジで知り合ったイタリア人留学生たちが住んでいる街です。かれらに再会するのは、今回のヨーロッパ旅行で楽しみにしていた予定のひとつでした。

毎週金曜日の夜にワインバー『シェイズ』で、一緒にドンチャン騒ぎをしていた連中です。あらかじめ連絡を入れていたので、コモ駅に到着すると、イタリア人特有の大げさなジェスチャーをまじえて大歓迎をうけました。

イタリア人は一般に喜怒哀楽の感情の起伏が激しいといわれていますが、かれらの再会時の喜びようは凄まじいものがありました。長年生き別れた肉親が、苦難の末やっと会えたような情景でした。

コモは、まわりを森と湖にかこまれた、それはそれは美しい街でした。さぞかし待ち望んでいたのでしょう、到着するやいなや、ふたりのための予定がびっしりと組まれてありました。

かれらは得意になって私たちを街のあちらこちらに案内すると、コモ湖へと連れて行ってくれました。

そこはまさに息をのむような景観でした。ボートで澄みきった湖面を滑るように進むと、湖の両側の緑の丘陵には、いくつもの豪奢な別荘が建ちならんでいるのが見えました。そのうちの一つは、かのナポレオンの別荘であったそうです。

いくつかの観光名所を巡ったあと、留学生の一人、ジュリアーナの自宅で夕食をご馳走になりました。一見すると石造りの古い家でしたが、内装や家具類はとてもシックなデザインに統一されてありました。

ケンブリッジで知り合った留学生たち以外も集まっていました。いくつものイタリア料理が大きなダイニング・テーブルに並べられてあり、何本ものワインやフルーツなどのデザートが用意されてありました。

そのかれらの歓待ぶりには、しきりに赤居さんとふたり恐縮してしまいました。その夜は、遅くまで飲み明かし、歌ったり踊ったり、ケンブリッジでの旧交を温めました。

かれらは、最後に私たちのために、何度もジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)の『ステイ(Stay)』を歌いました。

♪ People, stay just a little bit longer ♪
♪ We wanna play just a little bit longer ♪

かれらの友情に、涙があふれました。

(つづく)

2016年4月18日月曜日

「20歳(ハタチ)のころ(27)」

バルセロナ観光を満喫した私たちは、ふたたび列車に乗って地中海沿いにフランスへと入国しました。進行方向の右手の窓辺には碧い地中海が見渡す限りどこまでも拡がっていました。南仏の穏やかな陽光が、あたり一面にふりそそいでいました。まさに地中海気候ともいうべき気持ちの良い陽気でした。心地良い単調な列車の揺れと、ときおり訪れる眠気でボーっとしているうちに、私たちはマルセイユ(Marseille)、カンヌ(Cannes)と素通りし、ニース(Nice)で下車しました。

ニースは、いわずと知れたヨーロッパ屈指のリゾート地です。お決まりの美しいビーチがあり、赤居さんとそのビーチ沿いの歩道をブラブラ歩いていると、その横を高級スポーツ・カーが颯爽(さっそう)と走り去っていきます。ハッとするように魅力的なブロンド美女たちを何人も見かけ、おもわず振りかえりました。ヨーロッパの成り金連中がバカンスに来ているようでした。あいも変わらずフトコロ寒い二人にとって、世の中は何と不条理で不平等に出来ているのかと呪わずにはいられませんでした。

いつものように裏路地の安ホテルを探しだし、ようやくその日のネグラを確保しました。ホテルの支配人は、頭髪の薄い、無精ひげを生やした、いかにもダサい中年男でした。着ているランニング・シャツがピッチリとそのでっぷりとした体に張りついていました。狭い階段をのぼって、暗い部屋に入ると、カビ臭いにおいが鼻につきました。陽光溢(あふ)れる同じニースにいるとは思えませんでした。古く軋(きし)んだ窓を開けて、何気なく路地に目をやると、けだるそうに野良犬が寝そべっていました。

どうもそれ以外の記憶が定かではないので、さぞかし長旅で疲れ果て、眠りこけてしまったのかもしれません。折角、ヨーロッパ屈指のリゾート地に足を運んだのに惜しいことをしたものです。しかし別段、高級なレストランで食事をしたり、贅沢にショッピングをしたりするつもりもなかったので、もともと身分不相応な観光地を訪れたのがオコガマシイのかもしれません。しかしながら、南フランスの有名リゾート地で一泊でも過ごせたことは事実です。たとえキラキラと輝く地中海に面した勝ち組エリアとは隔絶され、路地裏の安ホテルの一室で惰眠を貪っていたとしても・・・。

(つづく)

2016年2月6日土曜日

「20歳(ハタチ)のころ(26)」

バレンシアからは地中海沿いに列車で北東へと進みました。つぎの目的地は、バルセロナ(Valcerona)です。バルセロナは、マドリッドに次ぐスペイン第二の都市です。古い石造りの建物が立ち並ぶ街路は、とても開放的で魅力にあふれていました。ベランダにはベゴニアの赤い花々が飾られていました。街全体が陽光にあふれていて、美しいビーチがどこまでも続いていました。もちろん当時はまだオリンピックの開催まえです。

バレンシア同様、真っ青に澄みきった空の下、赤居さんと眼前にひろがる地中海の碧い海原を眺めながら、時折、眼の覚めるように美しいスパニッシュ女性たちにすっかり心を奪われていました。貧弱で挙動不審な若い東洋人ふたりが何やら物欲しそうに砂浜にすわってキョロキョロしている様子というのも、何とも痛ましい光景だったでしょうね。

しかしながら、あくまでふたりの名誉のために言っておくと、バルセロナを訪ねた目的は、もちろんビーチで日長一日、眼の保養の『ビキニ・ウォッチング』をすることではありません。現在も建設中のサクラダ・ファミリア(Sagrada Família)を訪ねることが主な目的でした。

その教会を訪ねた折、観光客の出入り口付近で一心に石を削っている若い日本人作業員を見かけました。頭にはタオルを巻いて、全身が粉塵で真っ白でした。思わず声を掛けましたが、どんな会話をしたのか今では思い出せません。まだ重要な仕事を任せられていない一介の作業員のようでした。コツコツと地道に作業している彼の姿がいまでも記憶に残っています。

日本に帰国して数年後、何気なく、サクラダ・ファミリアを特集したテレビの旅番組を見ていると、あの時の日本人作業員が映っていました。なんと彼は全工事の監督責任者になっていました。いや驚きましたね。さすがに勤勉な日本人です。いつ終わるのかも分からない歴史的建造物の工事に、日本人が携わっていることに同じ日本人として誇りを感じました。

(つづく)

2015年11月1日日曜日

「20歳(ハタチ)のころ(25)」

マドリッドでは、そのほかに荘厳な王宮やプラド美術館を訪ねました。とくにプラド美術館は素晴らしかった。スペインを代表する画家、アル・グレコやセルバンテスなどの絵画が展示されてあり、その独特な色合いと構成は美術鑑賞素人(しろうと)の自分でも感動しました。それぞれの絵に表現されている宗教的背景や歴史を理解できていれば、作品の魅力も増すのではないかと思いました。パリのルーブル美術館も感動しましたが、プラド美術館も引けをとらない芸術の宝庫でした。この貴重な体験以来、絵画芸術の魅力に惹かれ、帰国後も美術館へ足を運ぶようになりました。

マドリッドを後にし、南へ少し下ったトレド(Toledo)という街へ向かいました。おそらく赤居さんがスペインでどうしても訪ねてみたい場所だったようです。トレドはアル・グレコを輩出した街です。城壁に囲まれた中世の街並みは、一見の価値があります。まるで何百年も時間が止まったような雰囲気でした。ゆっくりと古い石畳を歩いていると、タイムスリップしたような感覚におそわれました。街の南側には旧市街を取り巻くようにテージョ川が緩やかに流れています。

トレドの街を散策したあと、進路を東に変え、バレンシア(Valencia)へと向かいました。世界遺産のアルハンブラ宮殿で有名なスペイン南部のグラナダ(Granada)やセビーリャ(Sevilla)へも足を延ばしたかったのですが、やはり時間的・金銭的制約によって泣く泣く諦めました。広大なアフリカ大陸を目の前に、是非ともジブラルタル海峡を見たかった。残念です。したがって、ポルトガルも訪ねることができませんでした。

バレンシアはオレンジなどの果実が豊富で有名です。街の市場に行くと、色とりどりのフルーツを売っていました。あたり一面に甘い香りが溢れていました。ひとつオレンジを買ってナイフを入れると、誤って指を切ったかと思うほど真っ赤な汁が滴り出ました。ひと切れ食べてみると、甘酸っぱい果汁が口の中に広がりました。

バレンシアでは、ビーチへ行きました。真っ白な砂浜と真っ青な空、それに群青色の地中海が目の前に広がっていました。まず一番に眼を引いたのが、スパニッシュ女性の美しさでした。とび色の瞳に小麦色の肌が印象的でした。世界にはこんなに美しい女性たちがいるのかと、唖然としました。赤居さんとしばらく口をアングリと半開きにして、セクシーなビキニ姿のそんな彼女たちを眺めていました。まさに至福の時でしたね(笑)。

(つづく)

2015年9月9日水曜日

「20歳(ハタチ)のころ(24)」

スペインの首都、マドリッドへ向かう列車は、順調に砂漠の中を走っていました。南欧の強い日差しが窓から差し込んできました。ウトウトとしていると、また突然、列車が止まってしまい目が覚めました。窓の外を覗くと、そこは駅でもなく、砂漠の途中の何もないようなところでした。また速く走りすぎて故障でもしたのかと思い、前方を見ると、運転手が昼食をとっていました。驚いたことに乗客は誰一人それについて苦情を言っていません。みんな運転手の食事が終わるのをボンヤリ待っているようでした。なんとも長閑(のどか)な光景でした。

マドリッドに到着しました。パリからの長い長い列車の旅でした。空気は乾いていて、街の雰囲気もフランスとは違っていました。街全体が、開放感に溢れていて、明るく、時間の流れが緩やかで、のんびりしているようでした。しかし治安はあまりよくないようでした。驚いたことに、街のあちこちに公衆電話ボックスがありましたが、その中には肝心の電話機がありませんでした。どうもすべて盗難にあったようで、電話機もろとも外されていました。

スペインといえば闘牛ということで、赤居さんと一緒に闘牛場へ行きました。そこは小さな野球場といった場所でした。派手な衣装を身にまとった闘牛士が現れ、次々と暴れ狂う牛たちの眉間にすれ違いざまに剣を刺していきました。まさにテレビで観たことのある光景です。観客たちの興奮も最高潮に達しました。これこそスペインに来た甲斐があったものです。闘牛ショーを満喫しました。闘牛場の裏手では、牛たちを解体していました。コンクリートの床に真っ赤な血が流れていたのが、今でも鮮明に思い出されます。

マドリッドを訪ねた理由の一つは、以前、ブライトンで同居人だったサルバに再会するためでした。短い期間でしたが、慣れないイギリスでの留学生活を共にした友人でした。ヨーロッパ旅行に出発する前に、あらかじめ手紙で訪ねる予定を伝えていました。再会できる喜びを綴りました。彼の奥さんと会えるのも楽しみの一つでした。サルバも、再会を楽しみにしているとの返信をくれました。現在のようにメールで簡単にやり取りできる時代ではありませんでしたので、手紙の一字一字に心がこもっているようで、愛(いと)おしく感じられました。

サルバとの再会は感動でした。うっすらと涙が出ました。固い握手をして、抱き合いました。日本人以外では始めての友人でしたので、感動はまたひとしおでした。彼はまったく変わっていませんでした。かつてのように立派な黒髭をたくわえていました。その横には奥さんも一緒でした。とても美人でした。陽気な人で、少々寡黙(かもく)なサルバにはよく似合っていました。二人には、マドリッドでも有名なレストランで食事をご馳走になり、王宮にも連れて行ってくれました。彼との友情がまた一段と深まりました。はるばるマドリッドを訪ねて本当に良かった。

(つづく)

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