自民党の内閣不信任決議案提出に、小沢一郎派の民主党議員たちが賛成にまわるようだ。情けない・・・(嘆息)。
東日本大震災の復興や福島第一原子力発電所での放射能封じ込め対応で大変なこの時期、いったい何をしているのか。憤りを感じるとともに、呆れ返ってしまう。「菅おろし」に割く時間と労力をもっと今やるべきことに集中させるべきではないのか。まったく開いた口がふさがらないとはこのことだ。わが国にとって、このまさに1000年に一度の大災害に対して、政府がこのテイタラクでは我々国民にとっては悲劇だ。いまはトップを代えるよりも、与野党一致団結し英知を結集して、この困難に打ち勝っていくことだと思う。
それにしても、小沢一郎という政治家はいったい何をしているのか。お膝元の岩手では多くの被災者がいまでも不自由な避難所生活を強いられ、放射能による農産物への風評被害も深刻な様相を呈してきている。震災発生後、真っ先に現地へ行って、その豪腕といわれる指導力を発揮すべきではなかったのか。ダム工事での利権をむさぼることしか頭にないのかもしれない。いまこそ彼の政治家としての底力を見せてほしいものだ。100人ほどいるといわれる彼の取り巻き連中も、この国難を直視し、いま行動すべきことは何かを自問して欲しい。
話は変わるが、最近、豪腕小沢一郎が、力ばかり強い「ジャイアン」に、優柔不断な鳩山由紀夫が、口先だけの金持ちのお坊ちゃま「スネ夫」に見えてしょうがない。誰かドラえもんのような人が出てきて、いまのこの状況を一気に解決する魔法のような秘策をポケットから出してくれないものか・・・。そう言えば、以前、「のび太」にそっくりな首相がいたなァ~(笑)。
2011年5月31日火曜日
2011年5月30日月曜日
書評 ー 吉村昭「冷い夏、熱い夏」
珠玉の作品
いままで数多くの吉村昭作品を読んできましたが、私にとってこの小説は、その中でも珠玉の作品といえます。ひたすら死へと向かう弟を見つめながら、深い兄弟愛と、あくまでもガン告知をしないという葛藤と苦悩とが、硬質な文体によって淡々と語られています。作品全体を流れる静謐な空気と低音な旋律が、死というテーマを一層際立たせています。文学に対する吉村昭という小説家の恐ろしいまでの執念を感じました。
いままで数多くの吉村昭作品を読んできましたが、私にとってこの小説は、その中でも珠玉の作品といえます。ひたすら死へと向かう弟を見つめながら、深い兄弟愛と、あくまでもガン告知をしないという葛藤と苦悩とが、硬質な文体によって淡々と語られています。作品全体を流れる静謐な空気と低音な旋律が、死というテーマを一層際立たせています。文学に対する吉村昭という小説家の恐ろしいまでの執念を感じました。
2011年5月29日日曜日
ブログ再開
しばらくぶりにブログ再開です(苦笑)。昨年の10月からですから約半年ぶりです。
この間に起こったことを箇条書きに記すと、
① 年末恒例になった「歴史を訪ねるひとり旅」で、伊豆の下田に滞在した。マシュー・ペリー提督上陸地点やタウンゼント・ハリスが日本に最初に設置した米国領事館の玉泉寺、また、吉田松陰が密航を企て黒船へと漕ぎ出した弁天島や勘定奉行川路聖謨とロシア海軍提督プチャーチンとの間で取り交わされた日露和親条約の舞台となった長楽寺などを見てまわった。その後、西伊豆の戸田(へだ)を訪ね、津波で壊滅的被害を受けたロシア軍艦ディアナ号や、当時、洋船の知識もなく苦労の末に日本人船大工たちによって建造されたヘダ号の資料などを見てまわった。吉村昭著の「落日の宴 勘定奉行川路聖謨」に感動し、思い立った旅だった。
② 年が変わり、1月15日から1週間、アメリカ南部のニューオリンズへ研修。毎年この時期に、世界各地の米軍基地から住宅に関わるスタッフが集まる。ヒルトンホテルでの滞在は快適だった。夜は、ホテル真向かいにあるカジノで遊んだ。見渡すかぎりスロットマシーンが並ぶ巨大なそのスケールには圧倒された。さすがはアメリカだ。歓楽街として有名なフレンチクォーターへも足を運び、全身に音楽と酒を浴びるほどだった。いま思い出しても一体研修で何を得たのだろうかと思う(汗)。研修が終わると、サンフランシスコ郊外にあるフェアフィールドに住んでいる古い友だちを訪ね、1週間ほどお世話になった。ゴルフ場脇にある4ベットルームの邸宅で、室内は日本滞在中にコレクションしただろう数多くの骨董品が飾られ、まるで博物館のようだった。
③ ついに老眼(遠近両用メガネ)を購入した。年はとりたくないものだ。ついでに仕事で使用する、パソコン用メガネも購入。読書用としても重宝している。
④ 3月11日の東日本大震災によって引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴って、アメリカ軍人家族の国外退去が始まり、その対応に多忙を極めたが、一旦退去が収まると、1ヶ月ほどはヒマであった。いまではほとんどの家族が帰ってきている。原発の1日も早い収束が待たれる。震災によって亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、現在も不自由な避難所生活を余儀なくされている方々を思うと、胸が痛む。
この間に起こったことを箇条書きに記すと、
① 年末恒例になった「歴史を訪ねるひとり旅」で、伊豆の下田に滞在した。マシュー・ペリー提督上陸地点やタウンゼント・ハリスが日本に最初に設置した米国領事館の玉泉寺、また、吉田松陰が密航を企て黒船へと漕ぎ出した弁天島や勘定奉行川路聖謨とロシア海軍提督プチャーチンとの間で取り交わされた日露和親条約の舞台となった長楽寺などを見てまわった。その後、西伊豆の戸田(へだ)を訪ね、津波で壊滅的被害を受けたロシア軍艦ディアナ号や、当時、洋船の知識もなく苦労の末に日本人船大工たちによって建造されたヘダ号の資料などを見てまわった。吉村昭著の「落日の宴 勘定奉行川路聖謨」に感動し、思い立った旅だった。
② 年が変わり、1月15日から1週間、アメリカ南部のニューオリンズへ研修。毎年この時期に、世界各地の米軍基地から住宅に関わるスタッフが集まる。ヒルトンホテルでの滞在は快適だった。夜は、ホテル真向かいにあるカジノで遊んだ。見渡すかぎりスロットマシーンが並ぶ巨大なそのスケールには圧倒された。さすがはアメリカだ。歓楽街として有名なフレンチクォーターへも足を運び、全身に音楽と酒を浴びるほどだった。いま思い出しても一体研修で何を得たのだろうかと思う(汗)。研修が終わると、サンフランシスコ郊外にあるフェアフィールドに住んでいる古い友だちを訪ね、1週間ほどお世話になった。ゴルフ場脇にある4ベットルームの邸宅で、室内は日本滞在中にコレクションしただろう数多くの骨董品が飾られ、まるで博物館のようだった。
③ ついに老眼(遠近両用メガネ)を購入した。年はとりたくないものだ。ついでに仕事で使用する、パソコン用メガネも購入。読書用としても重宝している。
④ 3月11日の東日本大震災によって引き起こされた東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴って、アメリカ軍人家族の国外退去が始まり、その対応に多忙を極めたが、一旦退去が収まると、1ヶ月ほどはヒマであった。いまではほとんどの家族が帰ってきている。原発の1日も早い収束が待たれる。震災によって亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、現在も不自由な避難所生活を余儀なくされている方々を思うと、胸が痛む。
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