2010年8月31日火曜日

Twitter について

今晩放送のあったNHKクローズアップ現代で取り上げられた、Twitterに早速登録しました。まずはどういったものかと思い、興味を持ったからです。

簡単な短い文章だけを書き込むだけで、自分の呟きとしてネット上に流れるらしい。ブログの携帯版とでも言えそうです。その瞬間ごとに思ったこと、感じたこと、やっていることを特定の人物あてにではなく絶えず書き込み続けるというのは、無限に拡がるネット空間に対して、「僕はここにいるよ! 誰か気づいてくれない?」、と絶えず叫び続けているようですね。不思議な感覚です。

これはまさに、寂しい超ヒマ人たちの新しいコミュニケーション・ツールのひとつなのでしょうか。

2010年8月30日月曜日

鉄砲伝来についての勘違い

よく知っていると思っていた歴史上の事実が、実際は違っていたということがたまにあります。鉄砲伝来についての歴史的事実も、その一つに入るかもしれません。

長年、鉄砲伝来は、種子島に漂着したポルトガル船のポルトガル人によってもたらされたと思っていましたが、実際は、中国船の中でも比較的大きなジャンク(戎克船)と呼ばれる船に乗っていた3人のポルトガル商人によるものだということです。

南浦文之(なんぽぶんし)という人の著した「鉄炮記」という資料によると、「天文癸卯秋八月二十五丁酉、我が西村の小浦に一つの大船あり。何れの国より来るということを知らず。船客百余人、その形類せず、その語通ぜず、見る者以て奇怪となす。」と記されています。この「鉄炮記」や古い記録によると、3人の名前は、フランシスコ、キリシダ=ダ=モッタ、アントニオ=ペイショットとなっています。

その場景を想像してみると面白いですね。まるで宇宙人が突然やってきて、どう対応していいか分からず、うろたえている様子がありありとうかがえます。

このポルトガル人たちが、その当時、まだ16歳だった種子島領主、種子島時尭(ときたか)に謁見して、持参した鉄砲を撃ってみせたらしい。それを見た好奇心旺盛の時尭が2挺を譲り受け、島の鍛冶屋に分解させて、複製を作らせたのが、その後日本本土へ伝わり、戦国時代の合戦方法を変えたと言われています。

この鉄砲がなかったら、織田信長と武田勝頼が戦った、設楽が原・長篠の戦いも違ったものになっていたかもしれません。歴史はやはり面白い。


2010年8月25日水曜日

坂本龍馬を探せ

民主党が代表選で大いに揺れています。現総理大臣の菅直人と、党内実力者の小沢一郎の戦いの様相を呈してきています。国民や今の経済状況はそっちのけで、まったくコップの中の嵐といった感があります。

それにしても、有権者の熱い期待を受けて政権をとった民主党の脆弱さにはがっかりです。これでは何のための政権交代だったのか、また、一体この国を任せられる政党なのか、大きな疑問符がつきそうです。

菅総理のリーダーシップの無さも可哀想なくらいです。野党時代のあのエネルギーはどこへ消えてしまったのでしょうか。現内閣も、まるで大きな子供たちの仲良し組のようです。

円高が急速に進み、経済の舵取りはまったなしの状況の中、仲間内での抗争とは何とも情けない。民意を十分に理解しているであろう小沢氏が、どうして代表選に出るなどと話が出てくるのか、不思議でなりません。

NHK大河ドラマでいま人気の坂本龍馬のように、薩摩だ、長州だと狭い世界で物事を考えずに、もっと地球規模の広い視野をもった人が出てこないものでしょうか。

2010年8月18日水曜日

ふっと思ったこと

ふらっと立ち寄った場末のラーメン屋の、油で薄よごれた壁にかかっていた格言:

「鯵(あじ)のひらきも浮世の人も 塩をふられて味がでる」

なんとも「味のある」格言ですね。そうです、人生いろんなことがあって、さまざまな苦い経験をし、苦労をしながら幾多の困難を乗り越え、次第に人としての魅力が出るのでしょうか。

鯵(あじ)のように何事にも開き直って生きていくことが大事なのでしょうか。夏目漱石が晩年座右の銘にしていた言葉が、「則天無私」だそうです。私情を捨て、運命の赴くままに身をゆだねるといったことでしょうか。

2010年8月15日日曜日

夏のささやかな思い出

今日は朝から家族で市営のプールへ行ってきました。

今年の夏は何かと忙しく、家族で旅行もできなかったので、日頃の罪ほろぼしと家族サービスを兼ねて手軽な近場のプールとしました。

それにしても多かったですね。身動きがとれないほどの入場者でした。世のお父さんたちの考えることは同じなのでしょうか? 

娘たちも大喜びで、まずはひと安心でした。覚えたてのクロールや平泳ぎを一生懸命に披露する姿に、思わず笑わずにはいられませんでした。息継ぎがうまく出来ずに水を飲んでしまったり、バタアシをしながらお尻がポッカリと浮かんできたりと、そんな娘たちの泳ぎぶりを見ていて、久々に夫婦で大声を上げて笑ってしまいました。

ささやかな幸せとは、このようなことなのでしょうかね。でもしかし、疲れたァ~。

2010年8月12日木曜日

ウソのようなホントの話

これはアメリカ人の友人から聞いた話です。

以前、彼の奥さんは、アメリカのある地方都市にあった大銀行の支店で働いていたそうです。その銀行は世界中に支店があり、いまも総顧客数が何千万というメガバンクだそうです。

ある日、彼女にあるお客さんから、自分の口座にある金額を詳しく調べてみると、どうも1ドル足りない、という問い合わせがあったそうです。彼女も出入金を調べてみると、やはり1ドル足りません。おかしいと思って、銀行の本店に連絡をとると、ホストコンピューターの方も調べてみるという返答でしたので、お客さんには、わかり次第報告しますという連絡を入れたそうです。

数日後、本店のおエライさんから連絡があって、やはり手違いで1ドル不足していた、すぐに入金するということでした。そのあと、どういう訳か、この件は一切口外しないようにと念を押されたそうです。

あとで分かったのは、何かの理由で、この銀行のすべての口座から1ドル多めに差し引かれていたそうです。つまり、何千万ドルという額のお金が、知らないうちに銀行側で徴収されていたのです。驚くべきことに、この問題は、一切おおやけにはされなかったそうです。

だれも1ドルくらいは気にかけないのでしょうか? それにしてもスゴイ話ですね。

2010年8月10日火曜日

仕事というもの

今夜は久しぶりに質の高い感動的なテレビ番組をみました。

今夏公開したジブリ最新作「借りぐらしのアリエッティ」の制作過程を追った、NHKのスペシャル番組です。巨匠・宮崎駿氏に監督として大抜擢された若き才能のあるアニメーターを長期密着したドキュメントでした。

初監督という大きなプレッシャーと闘いながら、彼のひたむきに仕事に向かう姿勢や妥協を許さない厳しさが胸を打ちました。また、宮崎氏が一旦任せたからには、制作に一切口を挟まない態度は、仕事を通して人を育てるには何が必要なのかを教えてくれました。ふたりの無言のうちの心の通いあいが爽やかな風のように感じられました。

非常な努力の末に作品が完成し、プロデューサーや制作スタッフたちと試写会をし、それまで目も合わせなかった宮崎氏が、最後にその作品の出来に監督を賞賛するシーンは思わずウルッときました。

人を感動させる仕事というのは、それを成し遂げるまでにどれ程の知られざる幾多の苦悩と絶え間ない努力と忍耐が必要であるか、この番組をみてそう思いました。

2010年8月9日月曜日

パワースポット?

昨日、家族全員で走水神社(はしりみずじんじゃ)へ行ってきました。

以前ある番組で、江原啓之さんがパワースポットのひとつとして紹介していた場所です。三浦半島の東京湾側の突端に位置し、古代より古事記などにその地名が出ている場所です。参拝者用リーフレット「走水神社ポイントガイド」によると、以下のように紹介されています。

「景行天皇の御代、東征中の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、古代東海道をたどって来り走水から船で上総(かずさ。千葉県)へ渡ろうとしたが、暴風雨に阻まれ、立ち往生してしまった。このとき、同行していた弟橘媛(オトタチバナヒメ)がみずから入水して海神の怒りを鎮め、後悔の安全を図ったという伝説にちなみ、創建された古社。日本武尊は、航海に先立ち当地を「水走る」と称えられたことから走水の地名が起こったという。また、日本武尊は、わが身を犠牲にして海を鎮めてくれた弟橘媛を偲び、御所ヶ崎に祭る一方、村人の敬慕に謝し冠を下賜されたといわれる。村人はこの冠を石棺に納め、その上に社殿を建立して尊を祭ったのがはじまりと伝わる。明治43年、近くの御所ヶ崎に祭られていた弟橘媛は走水神社に合祀された。境内に弟橘媛の顕彰と航海安全の祈願を込めて奉納された舵の碑がある。」

神社の坂道を登っていくと、一番上の処に諏訪神社、神明社、須賀神社の3つの祠(ほこら)がありますが、江原さんによると、一番パワーがある場所は、それら祠の手前にある鳥居の前だそうです。

下の方の駐車場から一端社内に足を踏み入れると、なんだか空気の質が違うような、清らかで神聖な感じを受けました。やはりパワースポットなのでしょうか。

2010年8月8日日曜日

正夢になるか?

二日連続でなんとも不思議な夢をみました。

昨日は知らない男に突然殴られた夢をみて、今日は浴槽に特大のウンチが浮かんでいる夢をみました。一体これらの夢は何を暗示しているのでしょうか? なぜこんな夢をみるのか心当たりがありません。夢の内容は深層心理に深く関係しているようですが、僕はマゾではないし、お風呂の中で排便したい願望もありません。

さっそく本棚にある「夢占い事典」を開いてみました。それによると、「誰かに殴られる夢」は、思いがけない幸運が舞い込む暗示だそうです。「ウンチを見る夢」は、金運が上昇する暗示だそうです。殊にトイレから排泄物があふれている夢は、大きな幸運や金運の上昇を暗示しており、ギャンブルで大儲けしたり、玉の輿のチャンスの前触れかもしれないようです。つまり「ウン」がつくということでしょうか。

サマージャンボ宝くじは買ってあるんですが、もしや・・・?

さて、今晩はどんな夢をみるのでしょうか?

2010年8月7日土曜日

異常気象?

暦の上では今日は立秋だそうです。

つまり、今日を境に秋の気配が始まり、明日からの挨拶は残暑見舞いとなります。しかし、天気予報によると、残暑どころか、まだまだこれからも暑くなりそうです。まさに異常ともいえる天候です。

ニュースによると、モスクワは歴史的な猛暑だそうです。連日30℃を越す天気で、近隣で山火事が発生し、都市全体が煙に覆われて市民生活に支障が出ているようです。この暑さは、国内の穀物の生産に甚大なる影響を及ぼしているらしく、ロシア政府は小麦の輸出停止措置を決定したそうです。

日本と同様に、ロシアの異常気象は、北半球上を絶えず流れている偏西風の蛇行が原因のようです。この蛇行によって、南の温かい空気が北に押しやられ、記録的な暑さを引き起こしているそうです。

いまのところ、どうして偏西風が蛇行するようになったのか詳しくは判らないようです。早く正常な天候に戻るように祈るだけです。

残暑お見舞い申しあげます。

2010年8月6日金曜日

消えた高齢者

連日マスコミは、「消えた高齢者」の話題を取り上げています。ついこの間まで、「消えた年金」で騒いでいたと思ったら、今度は「消えた高齢者」です。

日本各地、100才以上の高齢者たちの身元が確認されないケースが、日に日に増えてきているようです。そのほとんどは、行政の記録上はまだ存命になっているが、行方不明などで生死を確かめられない状態のようです。ましてや肉親でさえその居場所も確認できないそうです。いったいどうなっているのでしょうか?

ニュースによると、親の生存もわからないのに、本人に対して支給されている年金を長年受け取って使っていたというのですから、まったく呆れてしまいます。確信犯としかいいようがありません。良心というものが欠如しているようです。

これらの問題は、家庭や親子関係が希薄になってきているのがひとつの原因に挙げられるでしょう。また、近所づき合いがなくなって、高齢者を地域のみんなで見守っていくような仕組みが失われているようです。人と人のつながりが無くなってきています。

その点、まさに「消えた高齢者」問題は、いまの時代を象徴しているといえます。さびしい限りです。

2010年8月5日木曜日

定期健康診断

今日は定期健康診断がありました。診察者数が多いので、朝9時から始まって、すべて終了するのに10時過ぎまでかかりました。

まずは尿検査です。渡された紙コップに1センチほど尿を採り、リトマス試験紙のようなものを浸して検査します。まずは異常なしでした。

次に聴力検査があり、問題なし。そして身長と体重を測りました。 また体重が1キロほど減っているのが気になりました。猛暑のせいで、食欲があまりないのが原因かもしれません。

そして視力検査です。メガネをかけて両目とも0.9と視力が落ちていました。仕事上コンピューターを使うので、眼には悪い影響を及ぼしているのかもしれません。最近は老眼が入ってきています。

次に血圧測定と採血がありました。注射というのは幾つになっても嫌なものです。針の刺さっているところをあまり見ないようにしました。そして、心電図と診察です。別段異常はなさそうでした。

それが終わると、最近健康診断に新たに加わったようですが、腹部の測定です。メタボかどうかの判断になるようです。僕の場合はまず問題はなし。

最後は、胸部レントゲンです。多分、異常はなしでしょう。以上。


2010年8月3日火曜日

吉村昭の「赤い人」を読んで

吉村昭の「赤い人」を読みました。この小説は、史実を淡々と忠実に描く吉村昭の真骨頂が発揮された作品で、暗黒の北海道史ともいうべき内容です。

明治政府は、西南の役のような維新後続発した全国各地の乱でとらえた多くの者たちを収容する施設が必要になりました。 それにより、当時未開の大地であった北海道に集治監を建設し、囚人たちを北方の地で収監させることが効果的と判断しました。まずは現地調査を行わせ、石狩川上流の須倍都太(のち月形村)の地に集治監の建設を決定します。 

明治政府の国策により、囚人たちは赤い囚衣を着せられ、未開の原野を切り開き、開墾や炭山での過酷な労役、または道路開鑿へ駆り出されました。 その作業は非常な困難を極めます。 夏場の作業では、大量に襲いかかる蚊、虻、またはマムシと戦いながら日々酷使され、冬場の作業では、十分な防寒具もない上、ひどい凍傷にかかり、手足を切断しなければならないような囚人たちが増えます。

小説の後半では、死を賭して脱走を図る囚人たちと執拗に追跡し捕捉する看守たちの死闘が繰り返されます。そこには明日をもない状況の中、葛藤を繰り広げる緊迫した人間ドラマがあります。

読み進めるうちに、ぐいぐいと作品に引き込まれ、久しぶりにのめり込むように読了しました。

2010年8月2日月曜日

プール教室

今日から3日間の夏休みをとりました。


と言うのも、次女の小学校でプール教室があり、その付き添いで出席することにしたからです。付き添いと言っても、インストラクターたちの補助員のような役目です。100名ちかい児童たちを泳ぎのレベルにあわせグループ分けをして、それぞれのグループに入って、介助をする役です。


小学校5年生でさえも、異常に水を怖がって、一切顔をつけれない子がいたりして、まず水に慣れさせることから始めなければならないグループもいました。


受け持ったグループの子供たちは、ある程度、バタアシで前に進むことができました。しかし、どうしても前を向いてしまって沈んだり、バタアシも膝から曲げてしまって思うように進まないようでした。何度かインストラクターに教えてもらい、ずいぶんと上達していました。


一番気をつかったのが、女の子たちへの介助です。見学をしている親たちの前で、いくら小学生とはいえ、女の子たちの体を支えたり、バタアシの仕方を教えるのに両足を持ったりするのには、少々抵抗がありました。

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