2010年8月30日月曜日

鉄砲伝来についての勘違い

よく知っていると思っていた歴史上の事実が、実際は違っていたということがたまにあります。鉄砲伝来についての歴史的事実も、その一つに入るかもしれません。

長年、鉄砲伝来は、種子島に漂着したポルトガル船のポルトガル人によってもたらされたと思っていましたが、実際は、中国船の中でも比較的大きなジャンク(戎克船)と呼ばれる船に乗っていた3人のポルトガル商人によるものだということです。

南浦文之(なんぽぶんし)という人の著した「鉄炮記」という資料によると、「天文癸卯秋八月二十五丁酉、我が西村の小浦に一つの大船あり。何れの国より来るということを知らず。船客百余人、その形類せず、その語通ぜず、見る者以て奇怪となす。」と記されています。この「鉄炮記」や古い記録によると、3人の名前は、フランシスコ、キリシダ=ダ=モッタ、アントニオ=ペイショットとなっています。

その場景を想像してみると面白いですね。まるで宇宙人が突然やってきて、どう対応していいか分からず、うろたえている様子がありありとうかがえます。

このポルトガル人たちが、その当時、まだ16歳だった種子島領主、種子島時尭(ときたか)に謁見して、持参した鉄砲を撃ってみせたらしい。それを見た好奇心旺盛の時尭が2挺を譲り受け、島の鍛冶屋に分解させて、複製を作らせたのが、その後日本本土へ伝わり、戦国時代の合戦方法を変えたと言われています。

この鉄砲がなかったら、織田信長と武田勝頼が戦った、設楽が原・長篠の戦いも違ったものになっていたかもしれません。歴史はやはり面白い。


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