昨夜、今まで経験したことのない出来事がありました。いま思い返しても、とても不思議です。まさか自分自身にそんなことが起きたこと自体、いまだに信じられません。
夜中、ベッドにひとりで寝ていると、突然、女性の声が聞こえました。明らかに女性の声でした。左側を下にして横向きに寝ていたので、ちょうど右耳の近くで聞こえたのです。その声は、はっきりと聞こえました。内容はわかりませんでしたが、若い女性の声だったのは確かです。一瞬で眼が覚めました。しかし、あまりの恐怖に眼を開けることができませんでした。
最初は、隣の部屋で寝ている娘のひとりが、また寝言でも言っているのかと思いましたが、その女性の声は明瞭な音で、部屋の中から聞こえているのは明らかでした。寝室のドアは閉まっていましたし、そこには、私しかいませんでした。もちろん、テレビもラジオも消してありました。若い女性の低くて澄んだ声でした。その声は、部屋の中で続いていました。
とうとう自分にも聞こえてしまった、と思って、しばらく怖くて眼を開けることができませんでした。恐怖で身体が震えてきました。その声に対して何も出来ず、ベッドにそのままの状態でじっとしていました。震えが止まりませんでした。すると、声が消えたので、意を決して、眼を開けました。しかし、暗闇で何も見えませんでした。
声が聞こえた方に向かって、「誰ですか? どうしましたか?」、と声をかけました。しかし部屋の中はシーンと静まりかえっていました。『彼女』は、何も答えてくれませんでした。何度か声をかけましたが、沈黙が続きました。すると、何故か今までの恐怖は消え去り、震えもおさまりました。ベッド脇の目覚まし時計を見ると、3時を少し過ぎていました。
一体、彼女は誰だったのでしょうか? また、どうして私に声をかけたのでしょうか? 声の調子は、悲しんでいるようでも、苦しんでいるようでもありませんでした。先祖のひとりが何かを告げに来たのでしょうか? それとも行きずりの霊とたまたま波長が合ってしまったのでしょうか? あくまで幻聴だったということもありえますが、なんとも不思議です。
早速、一階に寝ていた妻を起こしました。何度か女性の声が聞こえた、という私の話を聞いた彼女は、また冗談を言っている、と思っているようでした。しかし異様な体験をした真剣な様子に、本当に起きたことだと信じてくれました。霊の声を聞いたのは、もちろん生まれて初めてでした。
また今夜も彼女は現れるのか、今からドキドキしています。
2015年6月14日日曜日
「20歳(ハタチ)のころ(21)」
パリでは、まずは最初にお決まりの観光コースとして、ルーブル美術館へ行きました。大理石造りの立派な建物で、それぞれの展示スペースの広さには驚きました。やはりルーブルに来たからには、レオナルド・ダビンチ作のモナリザを観なければと思い、眼前にその「謎の微笑」を見たときには感動しました。絵を前に右や左に動いても、モナリザの瞳がどこまでもこちらを見詰めて追いかけてきました。まるで生きているようで、なんとも不思議でした。流石(さすが)は天才ダビンチだ、と感心しました。ふと横を見ると、ハリウッド・スターのジェーン・フォンダが同じようにモナリザを鑑賞していました。
ルーブル美術館は、ミロのビィーナスなどの古代ギリシャの芸術作品や、エジプトの遺跡からナポレオンがかき集めたという数々の品々、そして膨大な数の有名絵画が展示されてあります。それぞれの作品をじっくり鑑賞して歩いていると、一日あっても足りないほどの規模です。残念ながら時間的制約もあり、結局、足早に観て歩かなければなりませんでした。いま思うと、もう少し予定を延ばして滞在する必要があったようです。パリは芸術・文化の街と言われていますが、ルーブル美術館はその象徴的な存在です。
パリのどこをどう訪ねて廻ったのか、いまでは記憶にありません。シャンゼリゼ通りを凱旋門へ向かってブラブラと歩き、お決まりのようにエッフェル塔を手のひらに乗せたような写真を撮ったのは覚えています。それと、「おノボリさん」の文字通り、塔に登ってパリの街を一望しました。セーヌ川沿いを散策し、せむし男で有名なノートルダム寺院も訪ねました。お腹が空いたので、フランスパンのハム・チーズサンドを買って食べました。まるで煉瓦(レンガ)のように硬いパンでした。
芸術家たちの溜り場ともいわれているモンマルトルの丘あたりへも足を運びました。辺りはもう日が暮れて薄暗く、古いアパルトマンの立ち並ぶ路地を赤居さんとトボトボと歩いていると、妖しい娼婦に何度も声をかけられました。一日中、歩き回っていたので、疲労困憊(こんぱい)している二人には、正直もうそんな元気は残っていませんでした(苦笑)。どんな女性でも美人に見える設定条件に、『夜の目、遠の目、傘のうち』、と言われていますが、薄暗い中でみる娼婦たちは、皆すこぶる美人でしたね。
(つづく)
ルーブル美術館は、ミロのビィーナスなどの古代ギリシャの芸術作品や、エジプトの遺跡からナポレオンがかき集めたという数々の品々、そして膨大な数の有名絵画が展示されてあります。それぞれの作品をじっくり鑑賞して歩いていると、一日あっても足りないほどの規模です。残念ながら時間的制約もあり、結局、足早に観て歩かなければなりませんでした。いま思うと、もう少し予定を延ばして滞在する必要があったようです。パリは芸術・文化の街と言われていますが、ルーブル美術館はその象徴的な存在です。
パリのどこをどう訪ねて廻ったのか、いまでは記憶にありません。シャンゼリゼ通りを凱旋門へ向かってブラブラと歩き、お決まりのようにエッフェル塔を手のひらに乗せたような写真を撮ったのは覚えています。それと、「おノボリさん」の文字通り、塔に登ってパリの街を一望しました。セーヌ川沿いを散策し、せむし男で有名なノートルダム寺院も訪ねました。お腹が空いたので、フランスパンのハム・チーズサンドを買って食べました。まるで煉瓦(レンガ)のように硬いパンでした。
芸術家たちの溜り場ともいわれているモンマルトルの丘あたりへも足を運びました。辺りはもう日が暮れて薄暗く、古いアパルトマンの立ち並ぶ路地を赤居さんとトボトボと歩いていると、妖しい娼婦に何度も声をかけられました。一日中、歩き回っていたので、疲労困憊(こんぱい)している二人には、正直もうそんな元気は残っていませんでした(苦笑)。どんな女性でも美人に見える設定条件に、『夜の目、遠の目、傘のうち』、と言われていますが、薄暗い中でみる娼婦たちは、皆すこぶる美人でしたね。
(つづく)
2015年6月7日日曜日
「20歳(ハタチ)のころ(20)」
ドーバー海峡を無事横断しました。
フェリーの乗り心地は上々でした。よほど興奮していたのかもしれません、フランス側のカレーに到着したあたりの記憶が欠落しています。その後、どのようにパリへ向かったのか、遠い微かな記憶を探ってみても、あいにく覚えていません。おそらく夕暮れ迫る頃にカレーへ到着し、入国審査を済ませ、その足でパリ行きの列車に乗ったのでしょう。カルガモの雛(ひな)のように、旅慣れた赤居さんに遅れないように後ろをついてゆくので必死だったのかもしれません。
カレーからパリまでは急行で1時間半ほどで到着します。パリに着くと、辺りはすでに暗く、やっと安ホテルを探して、ベッドへもぐりこみました。情景の記憶は曖昧(あいまい)ですが、臭いについての記憶は比較的残るようで、ベッドに入ったときに嗅いだ饐(す)えたようなカビの臭いを覚えています。あくまで学生の貧乏旅行ですから、文句はいえません。一応、最初の目的地であるパリへ無事にたどり着いたことにホッとしました。
そんな次の日の早朝、突然ものすごい音がして、ベッドから跳ね起きました。何事が起きたのかと、一気に窓を開けてみると、その目の前に教会の巨大な鐘(かね)がありました。ゴゥオーン・ゴゥオーンと荘厳な鐘の音がホテルの部屋中に響きわたりました。窓際に立って、呆然とその鐘を見つめていました。パリの朝日がその鐘を輝かせていました。
昨晩ホテルにチェックインしたときには夜も更けていたので、ホテルの目の前が教会の尖塔であることに気づきませんでした。ただ驚いてしまって、すっかり眼も覚めてしまいました。パリでの第一日は、こうして始まりました。まるでヨーロッパ旅行スタートの号砲のようです。
後年、同じような経験をしたことがあります。結婚してまだ日も浅い頃、神戸の祖母が亡くなりました。その葬儀は禅寺で行われ、新妻と本堂に泊り込みました。するとまだ夜も明けやらぬ頃、突然、寺の釣鐘(つりがね)がすぐ近くで鳴り響きました。その轟音に即座に飛び起きてしまいましたが、となりで寝ていた妻はスヤスヤと寝息を立てていました。まるで何事も起こっていないというように、ピクリともしていませんでした。その安らかな寝顔を眺めながら、これはスゴイ女を嫁にもらった、と苦笑しました。
(つづく)
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