2015年6月7日日曜日
「20歳(ハタチ)のころ(20)」
ドーバー海峡を無事横断しました。
フェリーの乗り心地は上々でした。よほど興奮していたのかもしれません、フランス側のカレーに到着したあたりの記憶が欠落しています。その後、どのようにパリへ向かったのか、遠い微かな記憶を探ってみても、あいにく覚えていません。おそらく夕暮れ迫る頃にカレーへ到着し、入国審査を済ませ、その足でパリ行きの列車に乗ったのでしょう。カルガモの雛(ひな)のように、旅慣れた赤居さんに遅れないように後ろをついてゆくので必死だったのかもしれません。
カレーからパリまでは急行で1時間半ほどで到着します。パリに着くと、辺りはすでに暗く、やっと安ホテルを探して、ベッドへもぐりこみました。情景の記憶は曖昧(あいまい)ですが、臭いについての記憶は比較的残るようで、ベッドに入ったときに嗅いだ饐(す)えたようなカビの臭いを覚えています。あくまで学生の貧乏旅行ですから、文句はいえません。一応、最初の目的地であるパリへ無事にたどり着いたことにホッとしました。
そんな次の日の早朝、突然ものすごい音がして、ベッドから跳ね起きました。何事が起きたのかと、一気に窓を開けてみると、その目の前に教会の巨大な鐘(かね)がありました。ゴゥオーン・ゴゥオーンと荘厳な鐘の音がホテルの部屋中に響きわたりました。窓際に立って、呆然とその鐘を見つめていました。パリの朝日がその鐘を輝かせていました。
昨晩ホテルにチェックインしたときには夜も更けていたので、ホテルの目の前が教会の尖塔であることに気づきませんでした。ただ驚いてしまって、すっかり眼も覚めてしまいました。パリでの第一日は、こうして始まりました。まるでヨーロッパ旅行スタートの号砲のようです。
後年、同じような経験をしたことがあります。結婚してまだ日も浅い頃、神戸の祖母が亡くなりました。その葬儀は禅寺で行われ、新妻と本堂に泊り込みました。するとまだ夜も明けやらぬ頃、突然、寺の釣鐘(つりがね)がすぐ近くで鳴り響きました。その轟音に即座に飛び起きてしまいましたが、となりで寝ていた妻はスヤスヤと寝息を立てていました。まるで何事も起こっていないというように、ピクリともしていませんでした。その安らかな寝顔を眺めながら、これはスゴイ女を嫁にもらった、と苦笑しました。
(つづく)
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