2015年5月4日月曜日

「20歳(ハタチ)のころ(17)」


関戸さんに関しての話は尽きません。人間的にも非常に魅力的でした。長野の実家は運送業を営んでいるとのことでした。その関係もあって、大学卒業後は日本通運本社に就職したそうです。入社式では、新入社員総代として挨拶をしたようです。英国留学によって得られた貴重な財産の一つとして、関戸さんと知り合えたことだったように思えます。人生において、人との出会いは大切です。そのことをつくづく感じさせます。

当初から関戸さんは、ケンブリッジから英国北西部の大学へ転入する予定でした。かれの留学の目的のひとつでもあった、本場のラグビーを体験したいとの希望を叶えるためです。国際関係論を学んで、政治の道へ進みたいという希望も語っていました。日本へ帰国した後は、かねてから交際していた彼女と結婚し、その長野での結婚式には、私も九州から参列しました。関戸さん夫婦はその後、仕事の関係上、シンガポールでしばらく生活したようです。

ある天気の良い日、関戸さんといつものように近所のパーカーズ・ピースと呼ばれる広い公園の芝生に腰をおろして、チャーシュー・フライド・ライスを食べていました。見上げると、真っ青な空が広がっていました。そよ風が吹いていました。そんな中、空腹も満たされ、ふたりで他愛もない話をしていると、関戸さんがふいに、夏休みを利用してヨーロッパを旅行してみないか、と芝生に横になりながら呟きました。もちろん赤居さんも一緒です。ワインバー『シェイズ』で親しくなった留学生たちを訪ねるのもいいな、と笑っていました。夏休みになると、一旦、母国へ帰る留学生たちも多いからです。

それを聞いて、「せっかくイギリスにいるんだから、3人でヨーロッパを旅するのも面白いかもしれません」、と即答しました。、関戸さんはそれを聞くと、赤居さんの都合も確かめず、「よし、決まった!」、と両手をパチンと叩いて起き上がりました。それからは、それぞれの希望の訪問地を持ち寄り、旅行の予定を立て始めました。しかし結局は、赤居さんがすべての計画を練り、それに沿って3人は旅を続けることとなりました。

(つづく)

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