ケンブリッジでの生活もすっかり慣れ、留学生活を満喫しました。
授業が終わると、ライオン・ヤード(Lion Yard)にある本屋や図書館へ直行しました。学生街ということもあり、図書館内の施設や蔵書も非常に充実しており、様々な本を時を忘れて読んだ記憶があります。まさに、お金はないけど、時間は有り余るほどある、といった生活でした。
殊に、歴史家G.M.トレヴェリアン(G.M.Trevelyan)の『イギリス史』は愛読書でした。辞書を頼りに、没頭しながら読みました。その中でも、ノルマンディー候ウイリアム征服王の記述は、とても興味深いものがありました。夫婦ともども異常なほど小柄で、殊に征服王はその晩年、腹部が異様に膨らみ、亡くなったときに柩(ひつぎ)に収まりきらず、無理に押し込むとお腹が破裂して、あたり一面、異常なほどの臭気が漂ったそうです。ロンドンへの小旅行の折、ウエストミンスター寺院内の奥でウイリアム王夫妻の柩(ひつぎ)を見ましたが、やはりその小ささには驚きました。まるで子供のようでした。
関戸さんは、大学教授のお宅にホームステイをしていました。ケム川(Cam River)沿いの白壁に大きな木組みの家だったような記憶があります。関戸さんは、その明るくて、ひょうきんな性格のおかげで、ホームステイ家族みんなからも親しくされていたようです。神経質そうな銀髪の奥さんと、中学生くらいの可愛い娘がいるといっていました。その娘から日本について様々な質問を浴びせられ、ひとつひとつ答えるのに苦労している、と笑っていました。
その質問のひとつに、「どうして日本人は電話をしているときも、受話器を持ったままお辞儀をするのか?」、と訊いてきたそうです。関戸さんがどのように返答したかは覚えていません。関戸さんによると、その娘は学校での成績も優秀らしく、夜中の3時くらいまでひたすら本を読んでいると驚いていました。ある日、「三島由紀夫の作品をどう思うか?」と訊かれたそうです。イギリスの中学生が、遠い日本の三島由紀夫をすでに読んでいるという事実に愕然(がくぜん)としたそうです。
(つづく)
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