2015年2月14日土曜日

「20歳(ハタチ)のころ(8)」


キングス・カレッジ(King’s College)の差し向かいに瀟洒(しょうしゃ)なワインバーがありました。石畳のキングス・ロード(King’s Road)に面したガラス張りのお店で、『シェイズ(Shade’s)』という名前でした。『薄暗がりの』といった意味でしょうね。

分厚く大きな扉(ドア)を押して店内に入ると、せまい螺旋(らせん)階段がありました。手すりを伝って薄暗い地下へ降りてゆくと、そこはワイン貯蔵庫といった穴倉(あなぐら)のような場所でした。暗めの照明で、壁は一面、白いペンキで塗られていました。いくつかの小さな部屋に分かれていて、それぞれに年季の入った木製のテーブルや椅子が置かれていました。

どのような経緯で『シェイズ』へ通い始めたのか覚えていませんが、おそらく関戸さんに誘われたのではないかと思います。貧乏学生の身分で、自らワインを飲みに行くわけはありませんし、別段ワインが好きでもありませんでしたから。しかし金曜の夜になると、飽きもせず関戸さんや阪大出の赤居さんたちと足しげく通いました。

以前書いたように、この阪大出の赤居さんは、最初バリバリの大阪人だと思っていましたが、のちに滋賀県出身だと知りました。長髪の天然パーマで、いつも丸眼鏡の奥で細い眼が笑っていました。どうも私同様に関戸さんの人柄に惚れ込んだようで、出かけるときにはいつも3人一緒でした。性格は、穏やかで心優しく、涙もろいところがありました。留学期間後半になって、ケンブリッジで知り合ったヨーロッパ各国からの留学生たちを、バックパックを背にして3人で訪ね歩きました。この時の珍道中も忘れがたいものがあります。その話は、またこのブログで書こうと思っています。

『シェイズ』は、ケンブリッジの留学生たちの溜り場のようなお店でした。したがって、知り合ったヨーロッパ各国の留学生たちとは、このワインバー『シェイズ』で友達となりました。お酒が入って酔いがまわると、人種や国境の壁はたちまち崩れ、人類みな兄弟となります。特にラテン系のイタリア人やスペイン人たちは陽気で、ワイングラスを掲げて、お国の歌を唄い始めます。歌詞の意味など皆目わからないのに、かれらと腕を組みながら一緒に身体を揺らしました。歌声は地下の穴倉全体に響きわたり、静かにワインを味わいたい他のお客さんには、さぞかし迷惑だったでしょうね。

いま思い出せる友人たちの名前では、イタリア人のパオラ、マリア、ジュリアーナ、オーストリア人のダギー、スイス人のクラウディア、キャサリンなどです。不思議なことに、すべて女性の名前しか覚えていません。それもみな魅力的な女性たちです。記憶力とは、対象物にいかに興味をもったかでその強弱が決定するそうですから、30数年経ったいまでも覚えているというのは、われながら笑ってしまいます。

(つづく)

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