搭乗したアエロフロート機は、ようやくモスクワ空港に到着しました。着陸する直前まで、旧型の機体は一層ギシギシと不気味な音を立て続けました。モスクワの空は、薄墨を流したような厚い雲に覆われていました。まるで地の果てにたどり着いたように感じました。
モスクワ空港は、それ自体が強固な要塞(ようさい)のようでした。あたりはぴんと張りつめた異様に冷たい空気に包まれていました。到着ロビーへ出ると、早速ロンドン行きの飛行機に乗り換えるため、搭乗ゲートを探しました。
空港内をウロウロしていると、数人の厳(いか)つい警備の軍人が小銃をかかえて立っているのがみえました。モスクワ五輪を控えているので、特別に警戒しているようでした。空港のスタッフも、能面のように表情がありません。ロビーの壁には巨大なレーニンの肖像画が掲げられていました。この共産主義国から脱出しなければと焦(あせ)りました。足早に次の乗り換え便へと急ぎました。
乗り換えた飛行機は、無事にモスクワ空港を離陸しました。その後、ヨーロッパ各国の上空を横断し、ドーバー海峡を超えて、ロンドンへと近づきました。眼下には、テレビで見たような英国の街並みが拡がっていました。その風景を見つめていると、ようやく念願の留学が叶うという感傷に浸り、次第に胸があつくなりました。
着陸が近づき、窓の外を覗くと、陽光に輝くテムズ川をはさんで、赤褐色のレンガ造りの建物群が拡がり、緑の広い公園が市街地のそこここに点在しているのが見えました。空から見るロンドンの街並みは、かつての大英帝国の偉大さを感じさせました。
ロンドンのヒースロー空港に到着すると、入国審査でいきなり問題が発生しました。強面(こわもて)の審査官がしきりに何か言っているのですが、それが解らない。こちらも初めての経験のため動揺してしまって、一体かれが何を要求しているのか理解できない。ただ口元をじっと見つめていました。結局、入国カードがないことが分かりました。ロンドンへ向かう機内で手渡されたのでしょうが、どうも眠っていたため、カードはもらっていないし、当然記入もしていません。
やっとイギリスへ到着したかとおもった矢先、あえなく入国拒否され、日本へ強制送還ではと慄(おのの)き当惑しました。予期せぬ事態にたじろぎ、まるで車のヘッドライトに誤って飛び込んでしまって立ち竦(すく)むウサギのようでした。しかし、その後どうなったのか、記憶が定かではありません。結局、なんとか入国できたのですから、特別な配慮(?)を受けたのでしょう。不法渡航者やテロリストには見えない、純朴そうで穏やかな容姿が幸いしたようです。まずはメデタシ、メデタシ。しかし、先が思いやられる英国入国の初日でした。
ヒースロー空港からは、『ロンドン・タクシー』の名称で有名な、大きな黒塗りの箱型タクシーに乗りました。サブウェイ(Subway) と呼ばれている地下鉄を利用することも出来ましたが、到着早々、大都会ロンドンで迷子になってもいけないと思い、結局タクシーを拾いました。目的の駅を告げると、赤ら顔の運転手が快く応えてくれました。自分の拙(つたな)い英語が通じたことに、いたく感動しました。「どこから来たのか?」、と訊かれたので、「日本からだ」、と答えると、「旅行か?」、とまた質問してきます。「学生だ」、と答えると、納得したように車を走らせました。
タクシーの窓から望むロンドンの街並みは素晴らしいものでした。古色蒼然(そうぜん)とした石造りの建物群は、英国の重厚な歴史を感じさせました。広い通りには、赤い2階建てバスが走っていました。ゴシック様式の教会の塔が聳(そび)えていました。当然のように、街は英語の看板であふれています。
突然、広大な緑の公園が見えたかと思うと、また石造りの街並みが続いていました。まるで映画のセットのようでした。窓の外を流れる両サイドの景色は、見るものすべて珍しく、もう英国に居るんだ、と再認識させるのに十分でした。これから始まる異国での生活を思うと、さらなる期待に胸は高鳴りました。
(つづく)
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