英国留学の当初は、ケンブリッジではなく、ブライトン(Brighton)という街に住んでいました。ロンドンのビクトリア(Victoria)駅から列車で真っ直ぐ南に下ったところにある海辺の保養地です。サセックス(Sussex)州に属しています。いつもどんよりとした天気のイギリスには珍しく、陽光あふれる明るくて緑豊かな街です。海岸線は、白い石灰岩の断崖が続います。街の前面には、大西洋が広がっています。
まずは英会話を習得するため、数ヶ月間、語学学校へ通いました。クラス担任の先生は、リンダ(Linda)とセーラ(Sera)という二人でした。ふたりとも若くて、美しく魅力的な女性でした。特にリンダは、小柄でしたがスタイルもよく、鳶色(とびいろ)の瞳と小麦色の肌が印象的でした。いつも胸元が微妙に開いた、身体に密着したTシャツを着ていました。純粋無垢(むく)な青年(?)には、少々刺激が強すぎましたね。時折、目のやり場に困って、授業に集中できないこともありました。
セーラも清楚な美人で、いつもブロンドの髪をポニーテールにして、深く澄んだブルーの瞳が輝いていました。リンダとは違って、質素で地味な服を好んで着ていましたが、淡い色合いでセンスがあり、よく似合っていました。まだ新婚で、イケメンのご主人がいつも終業時に迎えにきていました。セーラはリンダ同様、非常に優秀で、クラスメイトによると、二人とも一流大学を卒業している才媛だ、とのことでした。
授業内容は、文法や発音、または作文などがありました。授業の一環として、さまざまな話題について、クラスで議論(Discussion)や討論(Debate)もしました。当時は、日本経済の隆盛期で、メイド・イン・ジャパンの製品が世界を席巻していました。ある日の授業では、南米チリから来ていた留学生が、日本製品について討論を始めました。かれは日本車がいかに優れているか強調しましたが、その異常なまでの世界市場への販売行動に危惧(きぐ)を抱いていると話しました。
しかし悲しいことに、日本人として、それに対する反論ができませんでした。英語力の問題は明らかでした。それと同様に、日本車の海外への輸出や貿易問題について、一切考えたこともありませんでした。それに関する知識も持ち合わせていませんでした。いかに自国のことを知らないのか、身に染みました。反論に窮していると、セーラが助け舟を出してくれました。日本のメーカーがただ単に製品を売るだけではなく、アフター・サービスも優れていることを話してくれました。英会話を勉強する前に、まずは様々な問題について基本的な知識を得ていないと、内容のない会話を続けるだけになってしまうことを痛感しました。
授業が終わると、ひとり浜辺に出て海を眺めて過ごしました。砂浜に腰を下ろして、ボンヤリと遥かな水平線を見つめていました。穏やかな海がどこまでも続いていました。カモメが鳴いていました。その声はなんとも哀愁を帯びていました。この海の先に広大な大西洋が広がっていて、その南にはアフリカ大陸があるのかと思うと、不思議な気持ちでした。その当時、スーパートランプ(Supertramp)の『ブレックファースト・イン・アメリカ(Breakfast in America)』という曲が流行っていました。いまでもこの曲を聴くと、その物悲しい旋律(せんりつ)と相まって、あの頃の記憶が鮮やかに蘇(よみがえ)ってきます。
(つづく)
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