2015年4月25日土曜日

「20歳(ハタチ)のころ(16)」

ケンブリッジでの生活もすっかり慣れ、留学生活を満喫しました。

授業が終わると、ライオン・ヤード(Lion Yard)にある本屋や図書館へ直行しました。学生街ということもあり、図書館内の施設や蔵書も非常に充実しており、様々な本を時を忘れて読んだ記憶があります。まさに、お金はないけど、時間は有り余るほどある、といった生活でした。

殊に、歴史家G.M.トレヴェリアン(G.M.Trevelyan)の『イギリス史』は愛読書でした。辞書を頼りに、没頭しながら読みました。その中でも、ノルマンディー候ウイリアム征服王の記述は、とても興味深いものがありました。夫婦ともども異常なほど小柄で、殊に征服王はその晩年、腹部が異様に膨らみ、亡くなったときに柩(ひつぎ)に収まりきらず、無理に押し込むとお腹が破裂して、あたり一面、異常なほどの臭気が漂ったそうです。ロンドンへの小旅行の折、ウエストミンスター寺院内の奥でウイリアム王夫妻の柩(ひつぎ)を見ましたが、やはりその小ささには驚きました。まるで子供のようでした。

関戸さんは、大学教授のお宅にホームステイをしていました。ケム川(Cam River)沿いの白壁に大きな木組みの家だったような記憶があります。関戸さんは、その明るくて、ひょうきんな性格のおかげで、ホームステイ家族みんなからも親しくされていたようです。神経質そうな銀髪の奥さんと、中学生くらいの可愛い娘がいるといっていました。その娘から日本について様々な質問を浴びせられ、ひとつひとつ答えるのに苦労している、と笑っていました。

その質問のひとつに、「どうして日本人は電話をしているときも、受話器を持ったままお辞儀をするのか?」、と訊いてきたそうです。関戸さんがどのように返答したかは覚えていません。関戸さんによると、その娘は学校での成績も優秀らしく、夜中の3時くらいまでひたすら本を読んでいると驚いていました。ある日、「三島由紀夫の作品をどう思うか?」と訊かれたそうです。イギリスの中学生が、遠い日本の三島由紀夫をすでに読んでいるという事実に愕然(がくぜん)としたそうです。

(つづく)

2015年4月19日日曜日

「20歳(ハタチ)のころ(15)」

ロンドンへは何度も足を運びました。とても魅力的な都市です。大きなテムズ川が市の中央を流れていて、歴史的建造物が所狭しと並んでいます。広大なハイド・パーク(Hyde Park)やバッキンガム宮殿につながるセント・ジェイムズ・パーク(St. James’s Park)など、緑が豊かで美しく、散策や憩いの場所として大好きでした。

歴代のイギリス王が埋葬されてあるウエストミンスター寺院、テムズ川沿いの国会議事堂のビッグベンや血塗られた歴史のロンドン塔など、歴史好きにはたまらない場所が数多くあります。また大英博物館は何度行っても飽きることはありませんでした。バッキンガム宮殿へと真っ直ぐ伸びるザ・モール(The Mall)を壮麗に行進する衛兵交代式も一見の価値があります。

イギリスには通常のホテルとは別に、B&Bといってベッド・アンド・ブレックファースト(Bed & Breakfast) と呼ばれている簡易ホテルが各地にあります。一度、赤居さんやスイス人留学生の女性二人とロンドンへ小旅行へ行ったことがありました。宿泊の予約もせず行き当たりばったりの旅行だったので、どこもホテルは予約でいっぱいでした。

B&Bをやっと一軒探し出し、宿泊をお願いすると、4人部屋の一つしか空いていないということでした。仕方ないので(?)、そこへ泊まることになりました。しかし、すぐ隣のベッドで金髪の若い女性が二人寝ていると想像しただけで、その夜は何度も寝がえりをうって、なかなか寝つけませんでした。赤居さんも同じ心境だっただろうと思います。若い頃、特に、男の妄想(もうそう)というものは、制御不能になると、果てしなく限りがありません。

手元には、タワー・ブリッジ(Tower Bridge)を背景に、テムズ川沿いで撮った古い写真があります。雨の多いロンドンのことですから、手には傘を持って写っています。女性ふたりと並んで撮ったので、赤居さん同様、妙にニヤけて写っています。明治の文豪、夏目漱石はロンドンでの留学中、神経衰弱になってしまったそうですが、私にとって、当初のホームシックを克服した後は、まさに充分に英国での生活を満喫していました。

(つづく)

2015年4月13日月曜日

「20歳(ハタチ)のころ(14)」

ブライトンでの短期語学留学を終えました。それとともに、スペイン人の留学生サルバとも別れることとなりました。彼は、日本人以外では初めての友人でした。短いながらも異国での生活を共にした経験は、国際感覚を養う上において貴重な糧でした。人種や国籍はどうであれ、人間として心が通じ合う関係とは何と素晴らしいものか、と感じました。

サルバとの別れは非常に辛いものがありました。お互いに眼に涙をため抱き合い、再会を誓いました。母国を離れ、勉学に励む同じ留学生として、別れはさらに胸に堪えました。彼とは、留学後半のヨーロッパ旅行でマドリッドに立ち寄った折、奥さんともども再会を果たしました。非常な努力家でしたので、後年は、さぞかし銀行内でも偉くなったでしょう。

ホームステイ先のウェルズさん老夫婦も、涙を流していました。滞在中には、実の子供のように接してくれました。夫婦には、スティーブ・ジョブズに似た息子さんが一人いました。たまに遊びにきた折には様々なことを話しました。とても紳士的な人でした。やはり人種は違っても、人間としての繋(つな)がりや暖かさが身に染みました。

語学学校の同級生たちともお別れのパーティをしました。海の見える学校の教室でした。クラスメイトひとりづつと抱き合って、別れを告げました。すると突然、金髪のフランス人のクラスメイトが抱きついてきて、キスをしました。クラスでもほとんど話したことがなかったのに、彼女の突然の行動に戸惑ってしまいました。呆気にとらわれて茫然(ぼうぜん)としてしまいました。しかし、なぜか嬉しさが込み上げてきました。

ブライトンを発って、ケンブリッジへ向かう途中、ロンドンへ立ち寄りました。英国留学を勧めてくれた神戸の叔母さんの知り合いを訪ねるためです。叔母さんから英国滞在中に一度は訪ねるように言われていました。ロンドンの郊外に住む日本人家族です。小さい女の子がひとりいて、ご主人は、日本大使館近くの和食レストランで働いていました。英国にはもともとレーサーを目指して来たけど、思い通りにはいかなかった、と苦笑していました。わざわざ会いに来てくれたことを喜んでくれて、歓迎してもらいました。とっておきのスコッチ・ウイスキーをシコタマ飲まされ、死ぬかと思うほどトイレで嘔吐(おうと)したのが、「苦い」思い出です。

日本は、はるか彼方(かなた)にありました。

(つづく)

2015年4月3日金曜日

「20歳(ハタチ)のころ(13)」

ブライトン(Brighton)でのホームステイ先は、当初、語学学校が推薦してくれた家族のお宅でした。クイーンズ・パーク通り(Queen's Park Road)にありました。その名前が示すように、通りから一歩中に入った裏手には、広く美しい緑地が拡がっていました。イギリスの公園は、どこもよく手入れされた花壇や芝地があります。まさにイングリッシュ・ガーデン(English Garden)です。散策するのには気持ちの良い場所です。

ホームステイ先での同居人は、スペイン人の同じ留学生でした。スペインの首都、マドリッド(Madrid)出身でした。小柄ですがガッチリとした体型をしていて、黒く濃い髭をたくわえていました。サルバドール・ロペス(Salvador Lopez)という名前です。30代前半の銀行員でした。いつもは短く『サルバ』と呼んでいました。仕事の関係で英語が必要になり、短期での語学留学だ、と言っていました。すぐに彼とは気が合って、友達になりました。夕方になると、よく近所のパブ(Pub)へビールを飲みに行きました。

パブは街のあちこちにあって、気楽にビールを飲んだり、軽食をとることができます。どこのパブも歴史を感じさせる店構えと落ち着いた内装です。ビールはパイント(Pint)で注文します。1パイントは568mlで、ビール専用のパイント・グラス(Pint Glass)になみなみと注がれて出てきます。ルート・ビール(Root Beer)と呼ばれている黒ビールもよく飲みました。たまには気取って、ドライ・マティーニ(Dry Martini)を注文したりしました。この頃になると、お酒が美味しい、と思うようになりました。

サルバは、このホームステイ先が気に入っていないようでした。朝食にシリアルと牛乳を出してくれましたが、どうも牛乳は水で薄めてあるし、シャワーを使う時間を制限したりする、と不満を洩らしていました。ランドレディ(Landlady) は、高校生の息子がいるシングル・マザーでした。生活は苦しそうでした。日常生活において、家族との会話も一切ありませんでした。そんなある日、サルバが突然、一緒に他のホームステイ先を探さないか、と言い出しました。英会話上達の為にも、自由に会話ができる家庭を希望をしている、とのことでした。したがって、この最初のホームステイ先には数ヶ月も滞在しませんでした。

次に移った先は、ディッチリングズ通り(Ditchlings Road)にありました。イギリス特有の棟続きのタウンハウスで、なだらかな坂の途中にありました。裏庭には、綺麗に手入れされた鮮やかなバラが幾つも咲いていました。ウェルズ(Wells) さんという老夫婦のお宅でした。食事中は色んな話をしたり、ご主人が所有しているボートで近くの川を遡ったりしました。どこまでも拡がる草原地帯の中をゆっくりと流れる川を遡り、途中、岸辺でピクニックをしたりしました。もう30数年も昔のことですから、ウェルズさん夫婦もとうに亡くなっているでしょうね。大変お世話になりました。

(つづく)

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