2012年8月30日木曜日

『悪人列伝 近世編』を読んで


海音寺潮五郎を読み始めるようになって、この作品で7作目になります。

これまでに読んだ作品は「赤穂浪士伝」、「武将列伝(戦国爛熟篇)」、「日本名城伝」、「寺田屋騒動」、「剣と笛」、「赤穂義士」、そして今回の「悪人列伝(近世篇)」です。これらどの作品も、膨大な資料を凌駕し、丹念に調べ上げて見事に書き上げている点において職人芸ともいえる珠玉の秀作です。

今回読んだ「悪人列伝(近世篇)」は、日野富子、松永久秀、陶晴賢、宇喜多直家、松平忠直、徳川綱吉の6人に焦点をあて、海音寺独自の史観を加えた史伝短編集です。それぞれの歴史上の人物が、現代の価値観に照らしていかに「悪人」であったかがよく分かります。作品中、ときより私見や余談をはさむあたりは、後輩作家の司馬遼太郎に受け継がれているように思えます。

以前このブログでも書いた松永久秀(弾正)篇を読むと、あらたに分かったことがありました。それは、東大寺に火を放ったのは実際はかれではないということです。海音寺によると、

「十月十日の夜、松永勢は夜襲をかけ、よき侍を七人、雑兵三百余人を討取ったが、その時火を失して、大仏殿に燃えうつり、殿宇全焼、大仏は首が焼けおちた。この火は久秀が放ったのではなく、ここにこもっていた味方が失したのであるが、夜襲なんぞかけなければこんなことにはならなかったろうという理窟から、久秀が焼いたことになり、仏道の信仰の厚い時代なので、大悪無道のはなはだしいこととなっている」

と書いています。さらに、

「しかし、現代人の理窟から言えば、合戦であるのにそんなところに陣取った方が、浅慮あるいは卑怯であるといえよう」

とも書いています。ナルホド。

それにしてもこれら6人の中でも一番の極悪人は、松平忠直のような気がします。かれは二代将軍徳川秀忠の兄、秀康の子です。つまり家康の孫にあたります。周知のように、忠直の父親である秀康は家康の妾腹(お万)の子ですが、お万の素行に疑問を持ち、どうも自分の子ではないとの思いから他の子供たちよりも父親家康の愛情を受けていません。

家康の長男、信康は信長の命により切腹させられています。したがって、当然次男である秀康が次期将軍になるはずでしたが、家康の意向により弟の秀忠が将軍職を継ぎます。つまり秀康の子、忠直にしてみれば、家光ではなく自分が三代将軍になるべき身であったと凄まじい恨みがあったのでしょう。

忠直は、やたらに罪のない人を切ったり部下に切らせたり、妊婦の腹を割かせたり、はたまた小姓を突き落として殺したり、残忍この上ない行為をくりかえします。しかしそれにしても逆恨みにしてはあまりに度が過ぎているようで、かれは嗜虐的趣味をもった一種の異常性格者だったのかもしれません。

「武将列伝」同様、この「悪人列伝」も古代篇や中世篇があるようなので、それらの作品もこれから読んでみようと思っています。まだしばらくは海音寺潮五郎にハマってそうです。

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