2014年5月3日土曜日

憲法記念日に夏島を訪ねる。


今日5月3日は「憲法記念日」ということで、憲法に関わる場所へ歴史探索に行ってきました。以前より一度訪ねてみたいと思っていた所です。

憲法といっても、GHQに押し付けられた現行憲法ではなく、新しい国家の礎となるよう起草された、【日本人の、日本人による、日本人のための】大日本帝国憲法、いわゆる明治憲法です。

まずは横須賀から車で横浜方面へ国道16号線を走り、京浜急行「金沢八景駅」を過ぎて右折すると、500メートルほど進んだ左手のロータリーに、【明治憲法起草の碑】が建っています。起草メンバーの一人であった金子堅太郎の書です。



しかしながら、この場所は実際に憲法草案を練っていた場所ではありません。起草メンバーの金子や伊東巳代治は、以前この地点より100メートルほど戻った辺りにあった料亭旅館「東屋」に宿泊し、そこで草案の起草作業に励んでいました。いまではその場所に第一生命のビルが建っており、その脇に説明板が設置されています。



ところがこの東屋で大変なことが起こります。ある夜、当旅館に泥棒が忍び込み、憲法草案などの機密書類の入ったカバンを盗まれてしまいます。幸いにも、翌日、近くの畑道でお金だけを抜かれた状態で無事発見されます。盗んだ泥棒も、まさか大日本帝国憲法の草案が入っていたとは夢にも思わなかったでしょう。なんともおおらかだった明治時代の世相が感じられます。

しかし当の起草メンバー本人たちにしてみれば、一大事です。安全のため、夏島と呼ばれる近くの小島の伊藤博文の別荘に移り、草案を完成させます。この夏島の別荘は手狭であったため(12帖半しかなかった)、当初は伊藤ひとりが寝起きしていたようです。つまりそれまで金子と伊東は「東屋」のあたりから小舟に乗り、草案を携えて、その夏島へ通っていたのです。

4人目の起草メンバーであった井上毅も近くの野島の旅館に宿泊していたようで、彼も小舟に乗って夏島の伊藤の別荘へ通っていたようです。夏島は孤島であり、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論を戦わせても誰にも聞こえないため、機密を保持するにも都合がよかったのではないでしょうか。

次にその夏島を目指しました。16号線を横須賀方面へ戻り、京急急行「追浜駅」の前を左折して、真っ直ぐな追浜商店街の道を抜けると、そこは広大な日産自動車工場や住友重機械工業横須賀製造所などの建物が連立する工業地帯でした。

夏島は一体どこにあるのかと探しましたが、一向に見つかりません。地図で調べてみると、夏島という孤島は無くなっていました。どうも大正時代に追浜との間の海が埋め立てられ、陸続きとなってしまったようです。その後、一帯は横須賀海軍航空隊の基地となり、少年飛行生制度の「海軍飛行予科練習生(略称よかれん)」の訓練基地とされ、終戦後はアメリカ軍に接収されて1972年に返還されたようです。

夏島側から野島方面を望む。手前は工場群。右手奥には八景島シーパラダイス。
その平坦な工場群の中を奥へ進むと、右側に「明治憲法草案起草の跡」がありました。その記念碑の文章を読むと、憲法起草の場所として使われた伊藤博文の草庵は、この記念碑の200メートル南にあったらしく、現在は日産自動車の敷地内に位置するとのことで、ここへ移設されたようです。ほとんど目立たないこの場所に佇むと、「坂の上の雲」を目指して突き進んだ明治という日本の記念すべき場所であったことに想いを馳せ、感慨深いものがありました。



この起草碑のすぐ横には、いまから9,500年前という国内最古級の「夏島貝塚」もありました。



ちなみに起草メンバーのひとり、金子堅太郎は、初代内閣総理大臣伊藤博文の側近として、その後大活躍します。米ハーバード大学を卒業し、その大学OBとして面識のあったセオドア・ルーズベルト大統領を通じて、日露戦争後のポーツマス会議においてロシアとの講和成立に貢献しています。

金子はもともと九州福岡藩の出身ですが、彼の先祖である「金子十郎家忠」は、源頼朝が鎌倉に幕府を開く以前、衣笠城を居城とする三浦一族を攻めています。その陣屋跡が意外にも我が町内の一画にあります。

さて、改憲か護憲か、これから益々議論が深まっていくことでしょうが、殊に近年の中国の台頭や北朝鮮の核開発問題などを考えると、時代に即した、現実的な憲法が必要とされてきているのではないでしょうか。

伊藤博文は憲法について西欧で法学を学んでいますが、その中で、憲法についてこう教えられたそうです。「憲法は法文ではない。精神である。そして法は、民族精神の発露である」と。

後記

このブログを書き終えて、ふと気づいたことがあったので、書き加えます。この夏島は、縄文時代の貝塚は別として、大日本帝国憲法を生んだ地として、また、中国大陸や南方戦線へ送るため、まだ年若い青年たちを戦闘機乗りにさせるため訓練をした地として、そして世界に誇る自動車産業の拠点として、日本の近代からの歴史が不思議と存在する因果な地であると言えます。。


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