2011年11月26日土曜日

昭和天皇と沖縄


沖縄にあるアメリカ軍普天間基地の移転問題は、政権交代直後のボタンの掛け違いによって、一向に進展しない様相を呈しています。

鳩山前首相の「最低でも県外」といった言葉によって踊らされ、現在に至るまで解決の糸口が見つからず、県知事との話し合いも一層もつれています。

このような状態で辺野古への移転を強行すると、おそらく流血騒ぎに発展し、日米安保全体の根幹を揺るがすことになるでしょう。その与える影響は非常に大きいでしょう。したがって普天間基地問題の早期解決は、現状では不可能と言えます。

それにしても何故これほど沖縄にアメリカ軍基地が集中しているのでしょうか? 日本に駐留しているアメリカ軍のほぼ70%が沖縄に集中しています。

沖縄の地政学的に見た軍事拠点としての重要性もあるでしょう。また、中国や北朝鮮を睨んだ東アジアの安定にとって、必要な抑止力としての役割を果たしているとも言えます。

しかし、先日ある本を読んでいて、沖縄がいまのような状況に至った驚くべき事実を知ることとなりました。

それによると、終戦直後、昭和天皇とマッカーサーとの間の通訳を務めた寺崎英成氏の日記に、沖縄が負担しなければならなくなった生々しい記録が残されているそうです。

昭和22年当時の片山・芦田連立内閣に、アメリカ軍から日本防衛のため基地を設置し駐留する話が伝わります。

政府としては、駐留もやむを得ないという判断から、さてどこがいいかと尋ねると、アメリカ側の返答は以外にも、「日本本土のどこでもよろしい」ということだったらしいのです。

しかしその話を耳にした天皇は、なんと、「本土はまずい、沖縄をお貸しする、米軍の沖縄占領継続を認める」と、寺崎氏を通じてGHQへ伝えたらしいのです。彼の日記にははっきりとそのことが記されてあるそうです。

太平洋戦争での激戦地沖縄は、日本本土防衛の捨石とされ、敗戦後は20年近くも占領され、日本へ返還されてからも、長い苦痛を味わっています。

昭和天皇も亡くなられるまで、「沖縄の人たちへは大変申し訳ないことをした」と、さぞかし心を痛めておられたことでしょう。一度沖縄へ行って、直接お詫びをしたかったのかもしれません。

2011年11月17日木曜日

男親はつらいよ。

昨日、最近娘を嫁に出した職場の同僚と立ち話をしていて、おもわず目を伏せてしまいました。

彼によると、もう娘が家にいないという現実に、日々淋しさが無性に募っているとのことでした。娘と一緒に過ごした二十数年という楽しかった日々がしきりに思い出されて、ひしひしと淋しさがこみ上げてくると、しみじみと語りました。無骨な普段の彼からそのような言葉がでてくるとは以外でした。それと同時に、われながら身につまされました。男親というものは、母親以上にツライものでしょうか。

同じように娘をもつ親として、彼の吐露(とろ)した何気ない言葉が胸に迫りました。ウチの娘たちが嫁にゆくには、まだまだ先の話です。しかし将来確実にそういった日が来るのかと思うと、いまさらながら、彼女たちとの今の生活を大切にしていかなければいけないな、と痛感しました。その日の夕飯の会話もいつもより弾みました。これからも娘たちの成長を見守り、ささやかな日々のふれあいを大切にしてゆこうと思います。

気落ちしている同僚に、『いまでは義理の息子となった娘の亭主が始めて挨拶に来たときは緊張したでしょうね』、と訊くと、『そうね、でも娘が気に入った男だから反対してもしょうがなかったしね・・・。でも、ひとことだけ言ってやったよ、俺の娘に手をあげたら容赦しないって』。まるで映画ゴッドファーザーで、妹に暴力を振るった義弟を半殺しにしたソニー・コルレオーネみたいですね。しかし娘に対する強い男親の愛情を感じました。

2011年11月15日火曜日

開国するべきか?

ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉に、「歴史は繰り返す」があります。つまり歴史上、過去に起こった事象は、同様にして、その後の時代にも繰り返し起こるということです。

現在賛否両論で議論が沸騰しているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の問題を考えるとき、徳川300年の長い鎖国を解き、開国を決めた幕末期の混乱となぜか重なります。

幕末、米国のペリーに率いられた黒船による砲艦外交に屈して、幕閣はやむなく開国を決断します。1854年(安政元年)には横浜において日米和親条約を結び、その後、安政5年(1858)には日米修好通商条約を結びます。いわゆる日本側に不利な不平等条約です。そして、それを知ったオランダ・ロシア・イギリス・フランスも同等の条約を要求し調印します。

ニュースによると、野田総理がAPECでTPP参加協議へ入ることを表明した途端、カナダやメキシコも参加を表明したようです。どこか幕末の状況に似ていませんか? 今後は余程しっかりと国益を考えて協議をしていかなければ、不平等条約を引き継いで長年大変苦労しながら改定していった明治政府の二の舞になりかねません。

周知の通り、朝廷の正式の許可もなく開国を決めた大老井伊直弼は、攘夷の嵐の吹き荒れる中、水戸浪士たちに桜田門外で暗殺されてしまいます。この事件は幕府の権威を失墜させ、それを契機に日本は明治維新へと突き進みます。

現代の日本もしばらくはこのTPP問題で混乱が続くのでしょうかね。やはり、開国という時代の流れは止められないのでしょうか? つまり、「歴史は繰り返される」のでしょうか。

2011年11月12日土曜日

ああ神様、仏様!

昨日は朝から、東京上野にある東京国立博物館へ行って来ました。今開催されている特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」を見に行ってきたのです。

明け方から一日中あいにくの雨でしたが、たくさんの参観者でした。それも年寄りばっかり。博物館の中に入ってしまえば雨も気になりませんが、よくもまあこんなに人が集まるものかと、驚きと共にただ感心しました。展示室はどこも大勢の人また人でした。

浄土宗の開祖「法然」と浄土真宗の「親鸞」に関わりのある名宝の数々が展示されていて、大変興味深く見て回りました。11時頃に入館し、出てきたのが3時過ぎですから、4時間近くかけて展示品の一つ一つを丁寧に見て歩きました。終わった頃には足が痛くて、昼食もとらずに見ていたので、空腹でヘロヘロでした。

浄土宗、浄土真宗ともに、誰でも身分の別なく「南無阿弥陀仏」と唱えればーこれを専修(せんじゅ)念仏というー、阿弥陀如来が支配する極楽浄土へ行けるという教えは、当時の人々に広く受け入れられたようです。平安末期、戦乱は絶えず、疫病は蔓延し、飢饉による飢餓が続く現世に苦しむ人々にとって、死んだ後は極楽へ行きたいと願う気持ちが強かったのかもしれません。ちなみに日蓮宗では「南妙法蓮華経」ですね。

しかし日本独自の仏教がこの時代から始まっています。鎌倉仏教から日本の宗教は大衆へと広まったようです。ブッダによる「オリジナル」の仏教にとって、救済という教えはなかったのではないでしょうか。ただ解脱のみ。特に今の葬式仏教をゴータマ・シッダールタが見たら、腰を抜かすのではないでしょうかね。

そんなことを知っていたのかどうか、終戦直後の連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーと渡り合った白洲次郎は葬式が大嫌いだったそうです。その遺言には、「葬式無用 戒名不用」の2行だけだったようです。

2011年11月8日火曜日

なんとも羨ましい!

ティッシュ王子こと、大王製紙の創業家出身の井川意高前会長が、106億8千万円という巨額のカネを子会社から無担保で借りた「事件」が世間の注目を集めています。そのすべてのカネをどうもカジノにつぎ込んだらしいというのですから驚きです。まったく金銭感覚が麻痺(まひ)しているとしか考えられません。

ちなみに106億8千万円を算用数字に表すと、

10,680,000,000円 となります。

数字を並べると11ケタです。スゴイですね。そして、これだけのカネを2010年5月から11年9月までの17ヶ月間に使ったのですからね。つまり、1ヶ月に換算すると、6億3千万円あまりです。17ヶ月間毎月1回連続でBIGの1等に当選したようなものです。単純に計算すると、1日あたり2千万円も使ったことになります。朝起きて夜寝るまで15時間だとすると、1時間あたり140万円もの大金を使ったことになります。

大好きなゴルフを毎日365日やったとして、ナント、1951年間もプレーできるんです。邪馬台国の卑弥呼の時代から始めて、源平の戦い、信長・秀吉の戦国期、江戸、明治、大正、昭和を通して、いままでずっと連日ラウンドできる計算になります。200万円の乗用車を5340台購入できる金額ですよ。

やはり生まれながらに大金持ちというのは、ケタが違いますね。3代目というのは、お金の苦労を知らないし、小さい頃から周りにチヤホヤされて育っていますから、一般の人との常識がかけ離れているのかもしれません。多額の「子供手当て」をもらって、一旦政界を去ると言っていたアノ3代目も、その部類ですね。

2011年11月7日月曜日

大切なもの

ある本を読んでいて、「あいうえお」を大切にしましょう、と書いてありました。いったい何のことを言っているのかと読んでみると、

つまり、「あ」は「愛」、「い」は「命」、「う」は「運」、「え」は「縁」、そして、「お」は「恩」です。

「愛、命、運、縁、恩」。

上手いこと言いますね。いまの殺伐とした時代だからこそ、大切にしたいものです。

2011年11月3日木曜日

脱原発

通勤途中の車の中でラジオを聞いています。先日、ある番組のコメンテーターの話にゾッとしました。それと同時に、妙に納得してしまいました。

話題の内容は、今しきりに議論されている将来に向けての日本のエネルギー政策や脱原発に関してでした。深刻な事故を起こした福島第一原子力発電所の原子炉を、一日も早く冷温停止させ、放射能の飛散を防ごうと政府や東電は必死の努力をしています。

しかし彼の話によると、もう原子力発電に関する問題は日本だけの力ではどうすることもできないそうです。いくら日本だけ脱原発を掲げても、国際的な同意が無い限り、放射能を封じ込めることはできないそうです。

つまり、お隣中国は、近い将来、沿岸部にナント100基の原子炉を建設する計画だそうです。最終的には、400基までその数を増やしていく予定だそうです。それもそれらを中国独自の技術で動かしていくらしいのです。

怖いですね。今でさえ、やれ大気汚染によるばい煙や黄砂が日本まで到達しているというのに、もし中国の原発で事故があった場合、放射能は確実に日本列島を覆い尽くします。新幹線事故でも表面化した隠蔽体質を考えると、もし深刻な事故が発生しても正確な情報は発信されないのではないでしょうか。

そう考えると、人類は何と厄介な発電方法を発明したものです。

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