沖縄にあるアメリカ軍普天間基地の移転問題は、政権交代直後のボタンの掛け違いによって、一向に進展しない様相を呈しています。
鳩山前首相の「最低でも県外」といった言葉によって踊らされ、現在に至るまで解決の糸口が見つからず、県知事との話し合いも一層もつれています。
このような状態で辺野古への移転を強行すると、おそらく流血騒ぎに発展し、日米安保全体の根幹を揺るがすことになるでしょう。その与える影響は非常に大きいでしょう。したがって普天間基地問題の早期解決は、現状では不可能と言えます。
それにしても何故これほど沖縄にアメリカ軍基地が集中しているのでしょうか? 日本に駐留しているアメリカ軍のほぼ70%が沖縄に集中しています。
沖縄の地政学的に見た軍事拠点としての重要性もあるでしょう。また、中国や北朝鮮を睨んだ東アジアの安定にとって、必要な抑止力としての役割を果たしているとも言えます。
しかし、先日ある本を読んでいて、沖縄がいまのような状況に至った驚くべき事実を知ることとなりました。
それによると、終戦直後、昭和天皇とマッカーサーとの間の通訳を務めた寺崎英成氏の日記に、沖縄が負担しなければならなくなった生々しい記録が残されているそうです。
昭和22年当時の片山・芦田連立内閣に、アメリカ軍から日本防衛のため基地を設置し駐留する話が伝わります。
政府としては、駐留もやむを得ないという判断から、さてどこがいいかと尋ねると、アメリカ側の返答は以外にも、「日本本土のどこでもよろしい」ということだったらしいのです。
しかしその話を耳にした天皇は、なんと、「本土はまずい、沖縄をお貸しする、米軍の沖縄占領継続を認める」と、寺崎氏を通じてGHQへ伝えたらしいのです。彼の日記にははっきりとそのことが記されてあるそうです。
太平洋戦争での激戦地沖縄は、日本本土防衛の捨石とされ、敗戦後は20年近くも占領され、日本へ返還されてからも、長い苦痛を味わっています。
昭和天皇も亡くなられるまで、「沖縄の人たちへは大変申し訳ないことをした」と、さぞかし心を痛めておられたことでしょう。一度沖縄へ行って、直接お詫びをしたかったのかもしれません。
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