2010年5月30日日曜日

南京大虐殺の真相について

渡部昇一の「昭和史」を読んだ。非常に興味深く、一気呵成に読了した感じだ。

日本がなぜ戦争をしなければならなかったのか、いや、戦争をしかけるように巧妙に誘導されたのかということが、論理的に、わかりやすく語られている。読後、まさに目からウロコが落ちる思いがした。日本の戦後教育によって故意に作られた、先の大戦はすべて日本の貪欲なまでの領土侵略が原因であったという固定観念が覆された。

その当時の世界情勢、悪辣な政治的駆け引き、欧米各国のあくまで自国の領土的野心を満足させる軍事行動、および、ABCD包囲網という経済封鎖によって日本を追い詰めていく過程が語られている(実際、渡部氏が編集者を前にテープレコーダーを廻しながら語ったことが基になっている)。

もっとも興味をひいたのが、南京大虐殺はすべて東京裁判でのデッチ上げであるという部分である。東京裁判で主張された「南京大虐殺の真相」は次のようなものらしい。

南京落城直後の数日で、非戦闘員の中国人が少なくとも1万2千人殺害された。

占領後、1か月の間に約2万人の強姦事件が起こった。

同じく6週間にわたって略奪・放火が続けられ、市内の3分の1が破壊された。

降伏した中国兵捕虜3万人以上が殺された。

占領後6週間で殺された一般人・捕虜の総数は20万から30万人に上る。

渡部氏のこれらの真相に対する反論をまとめると以下の点があげられる。

かりに大虐殺があったとして、何故ほとんどの日本人は戦後になるまでその事実を長い間誰も知らなかったのかという疑問である。当時の南京に報道管制は行われていないし、南京入城に際して100人以上の報道関係者が同行しており、外国のジャーナリストもその中に含まれていたのにも拘わらず。

戦後、証拠写真なるものが発表されたが、それらの写真はすべて、中国兵が馬賊を殺したときの写真であり、戦後に作られたトリック写真であったことが判明した。

南京の面積は東京の世田谷区よりも小さく、鎌倉市とほぼ同じ広さである。その狭い地域に10万人を超える中国人が虐殺されていれば、あきらかに世界に向けて報道されていたはずである。誰も「累々と積み上げられた死体を見た」とか、「虐殺の現場を目撃した」といった報告をしていない。

当時の国際社会で「南京の虐殺」ということを正式のルートで非難する声は上がっていない。渡部氏がその当時のアメリカ「タイム」のバックナンバーをすべて調べたところ、ひとつとして虐殺の記事は書かれていなかった。

被害者である中華民国政府代表は、国際連盟の議場で「南京大虐殺」のことを取り上げなかった。米英仏からも公式に日本政府に抗議が寄せられたという事実もない。

英国の特派員が書いた本が唯一「南京大虐殺」の記録ということになっているが、彼は一度も南京に行ったことはなく、すべて伝聞によって書いており、内容に信頼性がない。

当時の日本軍には、住民を20万人も殺せるほどの弾丸の余裕などなかった。東京大空襲では、300機のB29が1665トンの焼夷弾を投下し、その時の死者が8万人であり、広島・長崎に投下された原子爆弾による死者が約20万人である。

東京裁判における審理は、マギー牧師らの証言を中心に進められたが、弁護団に実際に何件の殺人を目撃したかと訊かれ、正直に一人だったと答えている。

当時の南京を守備していた5万人の中国軍人も合わせ、人口はせいぜい25万人であった。つまり、かりに大虐殺があったとしたら、南京にいたすべての人を殺害したことになる。また、戦争が終わって1カ月後には、南京の人口は25万人と発表されている。

以上、渡部氏の主張は的を得ており、「南京大虐殺」とは、あくまで日本軍の残虐性を示すため戦勝国によって捻じ曲げられたものであるとしている。

この本を読んで、いかに歴史というものの真実を追求する姿勢が大事であるかということを教えられたように思う。


2010年5月29日土曜日

IQについて

先日、歴史上の人物や現在活躍中の人たちのIQについての面白いウェブ・ページを見つけた。

まず、IQがいかにも高そうだと思うのは、相対性理論のアインシュタインだが、以外に160だったようでそんなに高くはない。大作曲家モーツアルトは165で、ベートーベンと変わらない。ちなみに同じ作曲家のバッハも165、ヘンデルとヨハン・シュトラウスは170、ハイドンは160となっている。

歴史上の政治家としては、ジョージ・ワシントンが118と意外と低い。リンカーンは128、アンドリュー・ジャクソンは123、ニクソン143、クリントン137、奥さんのヒラリーは140、ジョージ・W・ブッシュは125、ケネディは117と意外と低い。

面白いところでは、アメリカ・ポップ・アートの巨匠、アンディ・ウォーホールは86、ヒットラー141、シュワルツネッガー135、ビル・ゲイツ160、パスカル195、カント175、ニュートン190、ゲーテ210、レオナルド・ダビンチ220、マドンナ140、シャロン・ストーン154となっている。


2010年5月28日金曜日

Pain in the neck

3週間ほど前、左側の首の根元が急に痛くなった。

頭を少しでも動かすと痛みが走った。朝、ベットから起きるのも痛みを堪えながらの状態だった。 早速、仕事を休んで近所の接骨院を訪ねると、「頚部捻挫」という診断だった。つまり、首の骨を何かの拍子にひねってしまったらしい。

軽い指圧とマッサージをしてもらったが、その痛みは尋常ではなかった。それに両肩から首筋にかけてのコリがひどく、最低2週間は通ったほうが良いとのことだった。 ゴルフ練習のし過ぎかとも思ったが、どうも日常の仕事でのパソコン作業が原因のようだ。

通常、頚椎というものは弓のように反っているらしいが、僕の首はいわゆる「ストレート・ネック」といって、真っ直ぐならしい。女性にとっては首がいくぶん長く見えるからいいかもしれないが、首と肩への負担は大きいらしい。

いまでは痛みもずいぶん消えたが、これからは柔軟体操や適度な運動が必要のようだ。パソコン作業も控えめにしたほうが良さそうだ。

そう思いながらも、このブログを書いている(汗)。


2010年5月27日木曜日

ある夜の出来事

この話はあるアメリカ人から聞いた話です。

その人は若い頃(30年くらい前)軍人でしたが、ある時期、夜警として軍オフィスの戸締りなどの点検をしていたそうです。

ある夜、暗く長い廊下をひとり懐中電灯で照らして歩いていると、建物の奥にあったセクレタリーたち(すべて女性)の部屋から男の低い呻き声が聞こえてきたそうです。こんな時間になんだろうと思って、ドアの隙間からそっと中をのぞいてみると、身体の大きな黒人の男(オフィス清掃人と思われる)が自分のイチモツをセクレタリー達のタイプライターのキーの上に擦りつけていたそうです。しばらくそっと見ていると、ときどきキーの上に叩きつけては何度も呻き声をあげていたそうです。

いまその夜のことを思い出しても、なんとも不思議な光景であったと云っていました。彼が、その黒人の男を注意することもなく、静かにドアを閉めて立ち去ったのは云うまでもありません。次の日の朝、そのセクレタリーの部屋をのぞくと、いつものように若い女性たちが何も知らずタイプライターのキーを打っていたそうです。

世の中には不可解な性癖のひとがいるものです。



2010年5月26日水曜日

普天間基地移設問題について

鳩山政権の普天間基地移設問題が迷走しています。鳩山総理の少なくとも県外と言っていた自身の公約は、どうも守れないようです。残念ながら、沖縄以外に受け入れ先がないのと、抑止力の観点から現状の辺野古沖合に滑走路を建設する以外に選択肢はないようです。

まず、米海兵隊隊基地が沖縄に駐留し続けなければならない理由は何でしょうか? 鳩山総理の言葉を借りれば、極東地域の抑止力と言うことでしょう。さて、その抑止力はどの国、または、どんな紛争不安材料に対してかというと、やはり中国、特に台湾海峡における台中間の緊張関係でしょう。そして、北朝鮮の動向ということになると思います。

沖縄はその意味において、それらの地域に睨みを効かせるには位置的に最適ということになります。有事の際に、そのどちらの前線へも迅速に対応・出動できる位置です。

しかし、海兵隊のヘリコプター基地が本当に沖縄に必要なのでしょうか? 前線地域にヘリを運ぶには海軍の艦船に載せて行くのでしょうが、現在、強襲揚陸艦「エセックス」が佐世保基地を母港にしており、ヘリコプター群は、常時その近くに駐機させておくのが理想ではないでしょうか。

それから、日本国内で他に米海兵隊基地があるのは広島の岩国基地です。現在、岩国基地は岩国市の瀬戸内海沖合に日本の予算により新たな滑走路を建設中です。普天間基地のヘリ部隊を岩国基地へ移動させることは出来ないのでしょうか。

普天間基地移設問題の根本は、国防を日米安保によりアメリカに「おんぶにだっこ」の状態で頼りきっていることにあると思います。自分の国は自分で守るという考えを基にして、戦後60年も経った今こそ、段階的に見直していくという時期に来ているのではないでしょうか。日本の国が独自で自衛隊にヘリコプター部隊をつくり、その基地の場所を、自国の防衛、または地域の抑止力として選定していくことが必要なのではないでしょうか。


2010年5月25日火曜日

茂木健一郎氏について

最近注目している人で(恋愛感情はない)、脳科学者の茂木健一郎氏がいます。

近頃テレビでよく見かける、あの「アハ体験」が脳にとっては良い効果があるといっている、髪の毛がモジャモジャの人です。

彼の経歴をみると、東大理学部と法学部を卒業しており、英ケンブリッジ大学(トリニティ・カレッジ)に留学もしています。

ケンブリッジには自分も留学していたので-実際はろくに勉強もせず、トリニティ・カレッジ正門の向かい側にあったワイン・バーで毎晩飲んだくれていた(苦笑)、いくぶん興味を持ちました。現在、彼はソニー・コンピューター・サイエンス研究所シニアリサーチャー。つまり、まぎれもない秀才です。

一体どんな頭脳を持っているのか、また、日々どんなことを考えているのかと思い、
彼のブログを毎日興味深く読んでいます。それに以前から、脳については大変興味があったので・・・。

それにしても、脳科学の話になると、どうしても哲学的思考にならざるをえないようです。17世紀のフランスの哲学者デカルトがいったように、「我思う、ゆえに我あり」は、まさに脳と自我とが同一であることを云っているように思います。

自分自身が考えていることは、まさに脳の作用であり、感情は脳の複雑な化学反応によるものです。そして何とも不思議なのは、自分自身ともいうべき脳について、その詳しい仕組みをいまだに解明できていないということです。

脳という小宇宙の拡がりと、その可能性は計り知れないものがあります。


2010年5月24日月曜日

武市半平太について


毎週日曜日のNHK大河ドラマ「龍馬伝」、欠かさず興味深くみています。

龍馬役の福山雅治は、主役としての厚みというものが足りないようで少々気になりますが、武市半平太役の大森南朋は、主役を圧倒するほどの素晴らしい演技です。以前同じNHKドラマ「ハゲタカ」にも出ていた注目の俳優です。尊皇攘夷を掲げ、土佐勤皇党を率いる武市半平太の愚直なまでの生き様をストイックな演技で表現しています。

以前読んだ司馬遼太郎の「竜馬がゆく」で武市半平太のことは知っていましたが、その揺るぎない志と行動力には男の美学を感じます。しかし、それで幸せな一生を送れたといえるのかは疑問です。平井収二郎や岡田以蔵など、武市に心酔し、自らも命を絶たなければならなかった者たちのことを思うと、複雑な気持ちです。

孔子が云ったという、「水は方円の器に随う(みずはほうえんのうつわにしたがう)」 の意味は、水は容器の形によってどんな形にでもなるということです。つまり、人は、交際している仲間や環境次第で善にも悪にも感化されるということなのかもしれません。武市半平太と土佐勤皇党の若者たちのことを考えると、純粋に一途に生きる難しさを感じます。

つまり、どんなに強い風にも折れることなく、ゆらゆらと揺れる柳のように柔軟に物事にあたり、バランスのとれた自由な生き方をすべきでしょうね。武市半平太のように歴史に名を残すことはないかもしれませんが・・・(合掌)


2010年5月23日日曜日

矢田堀景蔵について

ファイル:YataboriCou.jpg

昨日、横須賀開国史研究会主催の記念講演会に出かけた。

ベイサイド・ポケットで午後2時15分から約1時間半ほどであったが、歴史好きにはワクワクする内容で、なかなか興味深く拝聴した。歴史時代小説家、植松三十里先生による矢田堀景蔵という、幕末に海軍総裁を務めた幕臣の話であった。

幕末、軍艦奉行であった勝海舟、幕府艦隊を奪って、箱館戦争で官軍と戦った幕府海軍副総裁、榎本武揚は歴史上有名であるが、この矢田堀については全く知らなかった。

その当時のエリートたちが学んだ幕府の学問所、昌平黌を卒業し、長崎海軍伝習所に生徒監として赴任、その後、鳥羽伏見の戦いでは軍艦奉行並として艦隊を率いて大坂湾に投錨している。慶応4年(1868)40歳の時には、幕府海軍総裁として、官軍に艦隊引き渡し交渉にあたっている。

その交渉中に榎本武揚が艦隊を奪って脱走するのだが、「自分たちは日本という国を守るために海軍を興したんだ。内乱のためではない」という思いによって沈黙を守る。維新後は、徳川家の移封に従って沼津に移住して、若者たちの教育に専念したらしい。

記念講演の後、平成18年度の新田次郎賞を受けた「群青」という小説を早速購入し、植松先生に署名をいただいた。今日から読み始めるが、いまから楽しみだ。


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