2012年1月31日火曜日

議事録問題について

まったく呆れてものも言えないとは正にこのことでしょうね。

東日本大震災に対応して開かれた民主党政権の会議議事録が残っていないようです。もともと作成していなかったと言った方がいいかもしれません。新聞によると、議事録だけではなく議事概要さえない会議もあるようです。

それとも少し穿った考えをすると、一応作成はしていたが公表すると対応の稚拙さが露呈してしまう懸念から、はなから無かったことにしようと密かに決めたのかもしれません。この問題は、野党が批判するように、「民主党の隠蔽(いんぺい)体質の表れだ」といえます。

それにしても政策決定をめぐる記録の重要性に関する認識が欠如していますね。まったく政権運営がはなはだ幼稚でズサンであり、安心してこの国を預けられる政権ではないようです。民主党には心底失望しました。がっかりです。いま苦しんでおられる被災地の方々も、怒り心頭でしょう。

野田首相も開き直ったように、「公文書管理法では議事録の作成まで求められていないが、事後も含めて文書作成が求められている」、とまるで他人事のような弁明に窮しています。「文書作成」とはすなわち「議事録の作成」ではないのでしょうか?

民主党は政権交代時、「政治主導」という美名のもと、重要な政策決定過程において官僚を排除してきました。今回のこの議事録問題は、それに対する官僚組織のささやかな抵抗か嫌がらせ? それとも自ら自分の首を締めてきた民主党政権にとっては自業自得なのでしょうか?

2012年1月30日月曜日

吉原通い?

先日職場の同僚と吉原へ行ってきました。

吉原といえば、時代小説などでよく出てくる遊郭街です。現在、『吉原』という行政上の地名はなく、いまでは東京都台東区千束4丁目にあたります。ついこの間、NHKの番組『ブラタモリ』で紹介されていたので、東京国立博物館で開催している「北京故宮博物館展」に行くついでに、ちょっと寄ってみました。

まだあちらこちらに雪が残っているような肌寒い朝、男ふたりでウロウロと、昔の吉原の場所を探し回っている姿というのは、はたから見ると何とも滑稽に映ったでしょうね。まずは吉原へ続く昔でいう『日本堤(どて)』を寒風に向かってテクテクと歩き、ガソリンスタンド脇に今も残る見返り柳を確認して、右へカーブした衣紋坂を辿って、吉原大門にたどり着きました。いまではもう昔のように立派な門はありませんが、面白いことに、大門の脇には番小屋よろしく交番がありました。

大門から真っ直ぐに伸びた通りが仲の町です。手前の江戸町から一番奥の京町までの間を花魁がねり歩いたことから、東海道にみたてて「花魁道中」といったようです。あたりはやはり土地柄でしょうか、いまでも風俗店が多く、同僚とブラブラ歩いていると、中から「どうですか?」と、声をかけられる始末(苦笑)。朝っぱらからそんな気分にもなれず、イソイソと通りすぎました。吉原千両といわれた花のお江戸にタイムスリップして、大マガキを貸しきって豪遊したいもんです。

仲の町の一番奥の左手にある吉原神社に立ち寄り、帰りには『ブラタモリ』でも出ていた吉原公園脇の昔の「おはぐろどぶ」を確認し、薄幸な我が身を恨みながら吉原で過ごしただろう遊女たちに想いを馳せました。時代とともに随分と変わっているだろうけど、やはり現地に行って、その場の空気を感じることは、時代小説などを読む時などにもまた一味違った味わいを持てるのではないでしょうか。

2012年1月27日金曜日

消費税について

消費増税論議が今国会の焦点になっています。5パーセントの上乗せ分は、年金や介護などの社会保障関連へ充てられるようです。1千兆円を越える今の日本の借金額を考えると、増税は避けられないでしょう。

しかしながら上げるタイミングを誤ると、逆に国内の消費は冷え込み、企業の収益は落ち込み、労働者のリストラや給与カットが行われ、新たな設備投資なども控えることになります。つまり、それによって更に消費が冷え込むことになります。いわゆるデフレ・スパイラルです。そうなると、国の税収も次第に減ってゆくわけですから、何のために増税したのか分からなくなります。

今の状態は、将来の世代にすでに借金を負っているようなものです。これからも年々借金を重ねてゆくよりも、今の世代で安定的な税収を確保するために、消費増税は必要不可欠のようです。しかし実施にあたっては国民の納得が得られるよう、自ら身を削る意味においても、国会議員数の削減や公務員の給料減額、さらに税金の無駄使いを徹底的に洗い出して是正してゆくことが大切です。

政権交代前の民主党のマニフェストはもうすでに破綻しているのは明らかなのですから、野党の自民党や公明党もいつまででもマニフェスト違反について固執せず、震災復興や原子事故対応とも併せて、膨大な今の国の借金をどうしてゆくのか、もっと大局的な国家運営を議論してほしいと思います。

ちなみに増税へとひた走る野田総理のことを、『家政婦のミタ」をもじって『課税夫のノダ』と呼ぶそうです。

2012年1月23日月曜日

平清盛について

NHK大河ドラマ「平清盛」、まずは上々のすべり出しのようです。視聴率も関東地区でほぼ17パーセント台をキープしているようです。歴史オタクとしては、これからも毎週興味深く視聴するつもりです。

初回の放送後、兵庫県知事がドラマの演出に苦言を呈したとのニュースがありました。「画面が汚い。番組の人気で観光も影響を受ける」と発言したようです。これには正直呆れましたね。

制作側もしっかりとした時代考証に基づき、なんとかリアリティを追求しようと努力しているのでしょう。個人的には、非常に平安時代の空気感が出ていて好感がもてます。

当時はなにもかも混沌として雑多で異臭を放つような雰囲気があったのではないでしょうか。いまのように道路がすべて舗装されているわけもなく、まさに泥だらけで、人々はボサボサの髪に半裸状態やボロ布をまとっていたでしょう。そのような時代背景がわかっていない県知事の見識が疑われます。

ところでドラマの主役、清盛。モノの本によると、まことにめずらしい合理主義的精神の持ち主だったようです。つまり迷信や超常現象などまったく信じなかったようです。

こんなエピソードがあります。ある年、田植え時に長く雨が降らなかったことがあり、比叡山の僧に頼んで雨乞いの祈祷をしたところ、とたんに大雨が降ったそうです。

後白河法皇が感謝して、その僧に位を与えようとすると、清盛はカラカラと笑って、「雨乞いのおかげではない、長く雨が降らなかったから降っただけだ」と言ってのけたらしいのです。非常な合理主義者だった信長に通じるものがありますね。

またドラマでは、清盛の出生の秘密として、名もない白拍子と白河院(ドラマでは伊東四朗)との子供として描かれています。一方、『平家物語』の「祇園女御」の巻では、白河院が自分の寵姫祇園女御(ドラマでは松田聖子)を妻とし清盛の父忠盛に与えたときに彼女はすでに身ごもっており、その生まれた子が清盛であるとしています。

しかし実際は、祇園女御は白河院に最後まで仕え、忠盛に嫁いだ形跡はないようです。一説では、祇園女御の妹が白河法皇の子を身ごもったという説もあるようです。

いずれにしても、清盛が白河法皇のご落胤であったのは、その後の彼の異例の栄進をみると、どうも事実のようです。これからのドラマの展開が楽しみです。

2012年1月14日土曜日

昨日の眼科でのひとコマ

看護婦さん:「田中さ~ん、田中峰夫(仮名)さ~ん」

待合室:「・・・・・・」

看護婦さん:「田中さ~ん、いらっしゃいませんかぁ~?」

待合室:「・・・・・・」

看護婦さん:「・・・田中さ、アレ? あの隅で寝てらっしゃるおじいちゃんかしら」

待合室:「・・・・・・」

看護婦さん:「田中さん、田中さん、起きて下さい、次ですよ」

田中さん:「・・・あぁぁ、ずびばせん」

おじいさん、ヨタヨタ、ヨロヨロ、壁づたいに診察室へ。目の検査のため中は薄暗い。

お医者さん:「はい、そこに腰掛けて、アゴを軽くそこにのせて下さい」

田中さん:「・・・あぁぁ、はい」

お医者さん:「・・・ん? ちがう、そこじゃなくて、ここです」

田中さん:「・・・あ、あぁぁ、はい」

お医者さん:「はい、じゃあ、まっすぐ向いて、この赤い光をみてください」

田中さん:「・・・あ、あぁぁ、はい」

お医者さん:「はい、じゃあ、もっと大きく目を開けてぇ」

田中さん:「・・・あぁぁ、はい」

お医者さん:「はい、もっと大きく。もっとです、もっと」

田中さん:「・・・あぁぁ、はい」

お医者さん:「あの、もっと大きく目を開けないと、検査できませんよ」

田中さん:「・・・あぁぁ、はい」

お医者さん:「そうです、そう。もっと。はい、いいですよ。今度は右を向いてください」

田中さん:「・・・あぁぁ、はい」

お医者さん:「・・・ん? ちがいます! 顔を動かすんじゃなく、目を右へ動かすんです」

田中さん:「・・・あぁぁ、はい」

お医者さん:「・・・ん? ちがいます! 右ですよ、右! そっちは左!」

田中さん:「・・・あぁぁ、はい、ずびません」

お医者さん:「はい、そうです。動かないで、そのまま、そのまま」

田中さん:「・・・・・・」

お医者さん:「はい、次は下を見て」

田中さん:「・・・あぁぁ、はい」

お医者さん:「キョロキョロしない!! 下です、下!!」

田中さん:「・・・・・・」

お医者さん:「そうです、そう。はい、動かないで、そのままじっとして」

田中さん:「・・・・・・」

お医者さん:「・・・ん、あれ? 寝っちゃダメです、寝っちゃ!!」

田中さん:「・・・Zzzzz」

お医者さん:「ちょっと、ダメですよ!! 寝っちゃ!!」

看護婦さん:「田中さん、大丈夫ですか? 田中さん!」


待合室で文庫本を取り出して読んでいましたが、文章がまったく頭に入ってきませんでした。まるで志村けんのコントを聞いているようでした(瀑)

2012年1月10日火曜日

戦争の一悲劇



吉村昭の短篇集「総員起シ」を読みました。

収録されている全5編とも、さきの戦争を題材にした作品で、驚くべき異常な体験を吉村昭の執拗で綿密な取材をもとに鮮やかに描き出しています。

その中でも表題作の「総員起シ」は秀逸です。昭和19年、愛媛県松山沖の瀬戸内海で、「伊号第33潜水艦」が潜行訓練中に事故によって不幸にも沈没してしまいます。

その後終戦となり7年後、民間のサルベージ会社により困難の末に引き上げられます。ところが艦内のある兵員室は浸水しておらず、果敢にも最初に艦内へ進入した新聞社のカメラマンがそこで異様な光景を目撃し写真に収めます。

真っ暗なその部屋を恐る恐る懐中電灯で照らすと、そこにはつい先ほどまで生きていたかのような水兵たちの遺体があったのです。まるで7年もの間、冷たい海底で眠っていたかのように。密閉された空間の酸素をすべて吸い尽くしたので、腐敗せずに沈没したときのままの状態でそれぞれのベットに横たわっていたのです。

それらの遺体をよく観察すると、旧海軍の水兵たちのイガグリ頭ではなく髪は伸び、無精髭は生え、指の爪も1センチちかくも突き出ていたようです。男たちに死が訪れても、毛と爪は成長し続けたのでしょう。開いた口の中も鮮やかな朱色だったようです。

それら水兵たちの中で、硬直して突っ立った遺体があったようです。鍛えあげられた肉体をもったその遺体は、縊死体だったようで、鉄の鎖が男の首に深く食い込んでいたそうです。不思議なのは、その遺体の褌(ふんどし)がずれて下半身が露出していたのですが、男根が突出していたようです。

この小説を読んで感銘を受けたのは、このように間近に差し迫った死を前に、誰ひとり取り乱したような様子が見られなかったということです。もし欧米の潜水艦で同じような事故が起きた場合、なんとか生き延びようとパニックになって発狂したような状態になるのではないでしょうか。

震災後、外国のメディアが特に取り上げた異常なほどの落ち着きにも通づる日本人の特異な死生観。最後のその時を静かに迎え、『死』と真直ぐに向き合う姿勢というものがあるようです。

2012年1月9日月曜日

Fun & Smart Drive

「とうとう」と言うべきか、「やっと」と言うべきか、念願のハイブリッド車を購入しました。

年もおし迫った先月末、待望の新車が届きました。ダークブラウンのステーションワゴンです。ガソリン代の高値が続いている中、2回目の車検が近づいていたこともあり、「エコ」な車へ乗り替えることにしたのです。

乗り心地は快適です。エンジン音も静かで、加速もスムーズです。あとはどれほど燃費がよいのかが楽しみです。前車とあまり変わらないようだと、ハイブリッドにした意味がありませんからね。

ところで今回、契約から納車までの期間が通常より長くかかりました。契約したのが昨年10月の中頃だったので、実際に車を受け取るのに約2ヶ月半かかったことになります。はやく新車を運転したかったので、ちょっと待ちどおしかったですね。

ディーラーによると、まずは震災による影響で部品調達が遅れ、その後のタイでの洪水により工場が浸水し、更に部品製造に支障が出たそうです。何とか供給のバックログを解消するため、急遽日本での調達に切り替えて対応したそうです。

当然と言えば当然の話で、たとえ小さな部品ひとつが無くても車は完成しないということですね。殊に自動車産業は、グローバルな生産管理システムが構築されているようです。詳しいことは判りませんが、特にハイブリッド車の場合、複雑なコンピューター基板などが必要なのでしょうね。

しかしラッキーなことに、この納車の遅れが好転したのです。ディーラーの営業によると、今回政府がエコカーへの補助金を決定した次の日に納車になり、10万円ほど返金になるとのことです。待った甲斐があったということでしょうか。

ところで、ハイブリッドとはどういう意味でしょうか。手元の英和辞典で調べてみると、「(動物・植物の)雑種;(一般に)混成物」とあります。つまり、バッテリーとガソリンの両方で動く車ということでしょう。やはり横文字にすると、少々高級な響きを伴いますね。ハイブリッドの「ハイ」が「ハイクラス」を連想させるのでしょうか。

しかしそのうち大量にハイブリッド車が出回るようになり、白黒からカラーテレビになってしばらく経つといちいち「カラー」とは呼ばなくなったように、わざわざ「ハイブリッド」とは言わなくなるかもしれません。それともこれからは電気自動車の時代でしょうか。

2012年1月7日土曜日

眼を大切に


新年を迎えたと思ったら、「ものもらい」になりました。あくまで誤解のないように付け加えると、正月早々、「こじき」になったわけではありません。アシカラズ。

「ものもらい」、つまり目尻やまぶたが赤く腫れる、軽度の痛みを伴う細菌感染による炎症です。「家庭の医学」で調べると、正式な病名は、「麦粒腫(ばくりゅうしゅ)」というそうです。

正月あたりから右眼のふちに赤みが出現し、次第にぷっくりと腫れだしたかと思ったら、まぶたを閉じるたびに痛みが増してきました。

年末の大掃除の最中にバイキンが眼に入ったか、極端に細い我が眼に入る余地はないと思われるので、おそらくザッキンの付着した手で眼をこすったのが原因と考えられます。

そのうち自然治癒するだろうと放っておいたところ、人相が変わるほど下まぶたの腫れが拡大し、ときおりズキズキと頭痛も生じてきました。見るからに細い眼がさらに細くなったようです(苦笑)。

しばらく我慢していましたが、先日とうとう観念して眼科で診察を受けると、「よくこれほどまで放っておきましたね」と感心されました。「ものもらい」といってバカにしてはいけない、大切な眼を守るためにも、異常を感じたらすぐに医者に診てもらったほうがいいとのアドバイスを受けました(反省)。

殺菌用の目薬と化膿を抑える抗生物質を処方してもらい、その後ずいぶんと治ってきました。鏡を覗くとまだ少々赤みが見えますが、以前よりは痛みも和らぎ、腫れもひいてきました。

ちなみにこの「ものもらい」、関西地方では「めばちこ」と呼ばれているそうです。その他には、北陸や九州の一部(長崎・大分)では「めもらい」、面白いところでは、宮城県の「ばか」、熊本県の「おひめさん」などがあるそうです。

2012年1月5日木曜日

成人式を迎えるあなたへ

沖縄にいる妹夫婦からの年賀状で、不覚にも姪っこが今月成人式を迎えることに気づかされました。

その年賀状には、あでやかな振袖姿でポーズをとっている彼女の写真がのっていました。郵便受けから取り出した年賀状の束をくりながら、手がそこで止まってしまいました。「そうかぁ~、もうハタチになるかぁ・・・」。新年を迎えて清々しい澄み切った空のもと、おもわず玄関に立ち止まって、その年賀状の写真をしばらくジッと見つめてしまいました。

20年前、妹は里帰りをして出産しました。母子ともに非常に危険な状態の分娩でした。予定日よりも早い出産となり、姪っこは未熟児でした。妹は出産した産院での入院が続き、姪っこは別の総合病院へ移送され、しばらくは保育器の中で育てられました。

いま振り返ると、暑いさかりでした。ほぼ連日汗を流しながら、妹の母乳をドライアイスの入った発泡スチロール製の保冷器に入れて、一生懸命生きようとしている姪っこのもとへ届けました。つまりそれは、はじめて「伯父さん」となった頃です。あれから早くも20年が経ったのですね。

まだまだこれから様々なことが彼女の身に起こることでしょう。嬉しいこと、悲しいこと。大学を卒業し、社会人となり、恋愛し、結婚して、母親として子供を産み育ててゆくことでしょう。これからも、優しく愛情深い女性として生きていってほしいものです。

アスミ、おめでとう。

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