2012年1月10日火曜日
戦争の一悲劇
吉村昭の短篇集「総員起シ」を読みました。
収録されている全5編とも、さきの戦争を題材にした作品で、驚くべき異常な体験を吉村昭の執拗で綿密な取材をもとに鮮やかに描き出しています。
その中でも表題作の「総員起シ」は秀逸です。昭和19年、愛媛県松山沖の瀬戸内海で、「伊号第33潜水艦」が潜行訓練中に事故によって不幸にも沈没してしまいます。
その後終戦となり7年後、民間のサルベージ会社により困難の末に引き上げられます。ところが艦内のある兵員室は浸水しておらず、果敢にも最初に艦内へ進入した新聞社のカメラマンがそこで異様な光景を目撃し写真に収めます。
真っ暗なその部屋を恐る恐る懐中電灯で照らすと、そこにはつい先ほどまで生きていたかのような水兵たちの遺体があったのです。まるで7年もの間、冷たい海底で眠っていたかのように。密閉された空間の酸素をすべて吸い尽くしたので、腐敗せずに沈没したときのままの状態でそれぞれのベットに横たわっていたのです。
それらの遺体をよく観察すると、旧海軍の水兵たちのイガグリ頭ではなく髪は伸び、無精髭は生え、指の爪も1センチちかくも突き出ていたようです。男たちに死が訪れても、毛と爪は成長し続けたのでしょう。開いた口の中も鮮やかな朱色だったようです。
それら水兵たちの中で、硬直して突っ立った遺体があったようです。鍛えあげられた肉体をもったその遺体は、縊死体だったようで、鉄の鎖が男の首に深く食い込んでいたそうです。不思議なのは、その遺体の褌(ふんどし)がずれて下半身が露出していたのですが、男根が突出していたようです。
この小説を読んで感銘を受けたのは、このように間近に差し迫った死を前に、誰ひとり取り乱したような様子が見られなかったということです。もし欧米の潜水艦で同じような事故が起きた場合、なんとか生き延びようとパニックになって発狂したような状態になるのではないでしょうか。
震災後、外国のメディアが特に取り上げた異常なほどの落ち着きにも通づる日本人の特異な死生観。最後のその時を静かに迎え、『死』と真直ぐに向き合う姿勢というものがあるようです。
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