2012年1月23日月曜日

平清盛について

NHK大河ドラマ「平清盛」、まずは上々のすべり出しのようです。視聴率も関東地区でほぼ17パーセント台をキープしているようです。歴史オタクとしては、これからも毎週興味深く視聴するつもりです。

初回の放送後、兵庫県知事がドラマの演出に苦言を呈したとのニュースがありました。「画面が汚い。番組の人気で観光も影響を受ける」と発言したようです。これには正直呆れましたね。

制作側もしっかりとした時代考証に基づき、なんとかリアリティを追求しようと努力しているのでしょう。個人的には、非常に平安時代の空気感が出ていて好感がもてます。

当時はなにもかも混沌として雑多で異臭を放つような雰囲気があったのではないでしょうか。いまのように道路がすべて舗装されているわけもなく、まさに泥だらけで、人々はボサボサの髪に半裸状態やボロ布をまとっていたでしょう。そのような時代背景がわかっていない県知事の見識が疑われます。

ところでドラマの主役、清盛。モノの本によると、まことにめずらしい合理主義的精神の持ち主だったようです。つまり迷信や超常現象などまったく信じなかったようです。

こんなエピソードがあります。ある年、田植え時に長く雨が降らなかったことがあり、比叡山の僧に頼んで雨乞いの祈祷をしたところ、とたんに大雨が降ったそうです。

後白河法皇が感謝して、その僧に位を与えようとすると、清盛はカラカラと笑って、「雨乞いのおかげではない、長く雨が降らなかったから降っただけだ」と言ってのけたらしいのです。非常な合理主義者だった信長に通じるものがありますね。

またドラマでは、清盛の出生の秘密として、名もない白拍子と白河院(ドラマでは伊東四朗)との子供として描かれています。一方、『平家物語』の「祇園女御」の巻では、白河院が自分の寵姫祇園女御(ドラマでは松田聖子)を妻とし清盛の父忠盛に与えたときに彼女はすでに身ごもっており、その生まれた子が清盛であるとしています。

しかし実際は、祇園女御は白河院に最後まで仕え、忠盛に嫁いだ形跡はないようです。一説では、祇園女御の妹が白河法皇の子を身ごもったという説もあるようです。

いずれにしても、清盛が白河法皇のご落胤であったのは、その後の彼の異例の栄進をみると、どうも事実のようです。これからのドラマの展開が楽しみです。

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