- Sam's Diary -
Yesterday is history. Tomorrow is a mystery. Today is a gift. - Eleanor Roosevelt
2008年11月29日土曜日
電化製品の寿命について
お昼過ぎ、ジャパネット・タカタに注文しておいた洗濯乾燥機が配達された。8年前に九州からこちら関東へ転勤した時に買い替えた洗濯機の調子がおかしくなってきていたので、昨今の洗濯乾燥機の定番ともいうべきドラム式を購入したのである。
この8年間というもの、ほぼ毎日洗濯をしている。やはりもう耐用年数を迎えたのかもしれない。今年は、冷蔵庫も買い替えた。やはり8年ほど使ったが、氷がうまく作れなくなってしまった。うまい具合に壊れるようにできているのかもしれない。
ちなみにアメリカ海軍には、住宅官舎に備え付けられる電化製品についての仕様書なるものがある。それによると、冷蔵庫、洗濯機、乾燥機、オーブンなど電化製品は5年を買い替える目安にしている。アメリカ製なので耐用年数が日本製よりも短いのかもしれない。
2008年11月28日金曜日
失言
昨今、
麻生総理大臣の失言が新聞やテレビでとりあげられています。
今回は、『たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(
医療費)を何で私が払うんだ』、と発言したらしい。ま、
彼の言いたいことは心情的に分からないでもないが、
一国の首相が吐くセリフではないと思いますね。
小沢さんも言ってたけど、まるでチンピラのような口ぶりですね。
育ちの良いお坊ちゃまらしいけど、
どうも言葉に品が感じられません。
安倍さんも福田さんも頼りなかったし、総理大臣に誰がなろうが、
あまり代わり映えのしないような気がします。
それを思うと、
小泉さんは少しはマシだったのではないかな。
在任中はイロイロ反発もあったけど、地元という贔屓目に見ても、
一本、筋の通った政治家だったように思えます。
北朝鮮に乗り込んでいって拉致被害者たちを数人でも帰国させたし
、道路公団を解体したり、
郵政民営化にこぎつけた政治手腕は評価できるものではないでしょ
うか。
2008年11月22日土曜日
夢占い
今朝の夢の中に蛇が出てきた。それも大蛇で、青大将もいた。緑色と白い斑模様の蛇もいて、眼の前をゆっくりと過ぎてゆく。足もとには小さく茶色っぽい蛇も数匹いた。誤って踏まないかどうか気が気ではなかった。
最近同じような夢をみる。この間は金色に輝く鯉が一匹泳いでいる夢を見たし、そのあと6匹の錦鯉が自分に向って泳いで来る夢もあった。いったいこれらの夢にはどんな意味があるのだろう。
ルナ・マリア著の「夢占い事典」によると、蛇はセックスや男性の性器を表すらしい。特に、蛇がとぐろを巻いている夢や、自分が締め付けられる夢はよほど強い願望や欲求不満の表れらしい。今朝見た夢はそのような夢ではないので、その点、いまのところ問題はなさそうだが・・・。 蛇が夢の中に出てくると、金運が上がったり、願望が叶うこともあるらしい。 今年は年末ジャンボでも買っとこうかな。
さて今晩はどんな夢を見ることか。おやすみなさい。
2008年11月19日水曜日
入院の記憶
今日は一日風が強く吹き、気温もぐっと下がった。また一段と冬へと近づいている。11月も後半になり、2008年も終わろうとしている。来週は感謝祭で、それが終わるとあっと言う間にクリスマスになる。
しかし、今年はやはり9月に髄膜炎で入院したことが大きなニュースになるだろう。小学生の時に一度入院したことがある。坂道を自転車で駆け下って風船を割る遊びをしていて転倒し頭を強打した。数日意識がなかったそうだが、数週間入院したらしい。今回のように病気で入院したのは初めてだった。これだけ医療が発達した時代に、髄膜炎に対する確実な治療法がないというのが不思議だ。
来年こそは良い年となりますように。
2008年11月18日火曜日
悲しい知らせ
知り合いの奥さんが亡くなった。末期ガンだったらしい。3年ほど前にガンが見つかり、治療を施していたが、進行は止められなかったようだ。
かれは町の世話役とも言うべき人で、4年前に自治会長を務めた時に大変お世話になった。いつも自治会活動には率先して参加し、かれなしには恒例の行事も開催できなかった。
子供もなく、夫婦二人だけの生活だったらしい。それを思うと、とても悲しい。いまでも仲良くゴルフをしていた姿が思い出される。今はご冥福を祈るだけだ。合掌。
家に帰ってウチのかみさんに、「俺よりぜったいに先に逝くなよ!」っと念を押した。
2008年11月16日日曜日
九九よふたたび
一日冷たい雨の日曜日だった。確実に冬へと向かっているようだ。
ところで、うちの長女は小学校2年生で、いま九九をしきりに暗記している。トイレと風呂場の壁には九九の表が張ってあり、「ニニン ガ シ、ニサン ガ ロク・・・」と声に出しながら覚えている。面白いもので、かならず同じところで間違ってしまい、また一からやり直しで、「ニニン ガ シ、ニサン ガ ロク・・・」とやっている。
そんな娘の姿を見ていると、自分の小学生のころを思い出した。わたしも夕食の前には必ず九九を両親の前で暗唱していた。父親が仕事から帰ってくるのを待ち構えたように、その日覚えた5の段や6の段を披露したものである。いま思い出しても懐かしい家族の情景である。いまは親となって、あの頃の両親と同じように子供の九九を聞いている。
娘よ、頑張れ!
2008年11月15日土曜日
17歳のころ
御殿場で三井住友VISA太平洋マスターズが開催されている。今日は大会3日目であった。17歳の高校生プロ、石川遼が後半5バーディーを奪って、4位タイと好調だ。外国招待選手も含め、錚々たるプロが凌ぎを削るトーナメントでこれほどの成績を収めているとは驚きだ。ゴルフを趣味としているものとして、ゴルフの難しさは身に浸みている。いくら練習をしてもなかなか良いスコアーが出せず、高い金を払って毎回ストレスを抱えて帰宅する。それにしても、かれの今の活躍は天性の才能と人知れない日々の努力の賜物だろう。
ところで、自分の17歳のころを振り返ってみると、いま何も思い出せない。ただ、反吐を吐くほど練習をしたクラブ活動のバスケットボールのことしか。高校生活はバスケットボール一筋だった。一体、何故あれほど直向きに頑張ったのだろう。いまではプロのチームもあるが、その当時、バスケットボールは実業団があるだけであった。高校野球のように、甲子園で活躍し、プロ野球へ進む道などなかった。しかし、いま思い出すと、ひたすら試合に勝ちたい、バスケットボールがうまくなりたいといった一心で汗を流していたように思う。
スポーツに限らず、何かに打ち込める時期を青春期に過ごすことは貴重であると思う。学校での勉学以外にも、教えられたものがある。いまの自分を形成するのに大切なものを得られた。いまあの当時のことを思い出しても、心の中にキラリと光るものがある。
遼君、明日も頑張れ。
2008年11月14日金曜日
上司の話
私の新しい上司(ボス)はアメリカ人です。近々還暦を迎える年齢です。奥さんは日本人で、結婚して40年近くになるそうです。結婚の申し込みに彼女の家を訪問すると、帝国陸軍軍人で南方のジャングルで戦いぬいた父親が、いかにも不機嫌な顔で、床の間に飾られた日章旗と軍刀を背に坐っていたそうです。眼も合わせてくれず、しまいには背を向けられ、口もきいてくれなかったらしい。それからしばらく沈黙がつづいたが、ずっと軍刀が気になってしかたがなく、生きた心地がしなかったらしい。日本人の女性と結婚するのもその当時は命がけだったのだろうか?
最後は親の反対を押し切って結婚したらしいが、最初の5年間くらいは会ってもくれなかったらしい。しかしその後、年を経るに従って、大変仲が良くなったと話していた。
2008年11月13日木曜日
歌川広重盗作疑惑について
先月、江戸東京博物館で開催されている「ボストン美術館浮世絵名品展」に行ってきました。
以前から浮世絵を見るのは好きだったので足を運んだのですが、やはり素晴らしい。そして保存状態が良く、いま刷り上がったような色合いだった。特に好きなのは江戸後期の浮世絵で、その構図や色づかいは世界に誇れる絵画だと思う。絵師たちの才能も素晴らしいが、絵を作り出した裏方でもある彫師や刷り師たちの技術は眼を瞠るものがある。髪の毛よりも細い線を彫って刷りあげていく、その集中力と正確さたるや正に熟練の技を超えている。
そんな浮世絵鑑賞で感動しているある日、あの有名な歌川広重の東海道五十三次の絵が盗作の疑いが濃いというテレビ番組をみた。それによると、どうも広重は東海道を歩いていないし、その構図がかれの時代より前の司馬江漢という絵師の描いた五十三次に酷似しているとのことだった。実際に描かれた地点に行ってみると、司馬江漢の絵の方が山の稜線や構造物の様子がより忠実に描かれている。たとえば、藤沢あたりの絵だが、広重が歩いたといわれる時期に、絵の中に描かれてあるお寺は火災で焼失していたとか、京都の三条大橋の橋げたは秀吉の頃に石造りになっていたにもかかわらず、広重の絵は木造になっているとかいった具合だ。大変興味深い。しかしそれが本当だったとしても、やはり広重の絵は素晴らしい。
2008年11月12日水曜日
いま凝っている作家
いま吉村昭の歴史小説に凝っている。かれの作品を初めて読んだのが、今年の初め頃だったと思う。オランダの解剖書「ターヘル・アナトミア」を「解体新書」として苦労の末に翻訳した杉田玄白の話で、「冬の鷹」という小説だった。
杉田玄白と解体新書は、教科書にも載っていることだが、実は前野良沢という中津藩医がそのほとんどの翻訳をしている。小説は、なぜ彼の名が訳者として記されなかったのか、名声をほしいままにした杉田玄白とは対照的に、晩年を孤高に生きたかれを主人公にしている。
この小説を読んだあと、シーボルトの娘として、女性が医者になるのは夢のまた夢といわれた幕末に、産婦人科医として生きた、お稲さんこと、楠本イネを主人公にした「ふぉん・しいほるとの娘」を読んだ。吉村昭の膨大な史料と地道な実地調査を踏まえて描く歴史小説に圧倒された。
それ以来、吉村昭の作品を読み続けている。司馬遼太郎、松本清張、浅田次郎に嵌ったあと、新たな作家を見つけたようだ。浅田次郎以外はもう亡くなっているけど・・・。
2008年11月11日火曜日
伊藤ハムの問題について
今日、生協からの通知で、問題になっている伊藤ハム東京工場製のあらびきウインナーを以前注文していたことが判明した。ということは、もうすでに食べてしまっているわけで、いまさら通知されてもどうすることもできない。別段身体への悪影響はないとのことだが、だれがそれを保証してくれるのだろうか?
以前、職場の食堂で改修工事があり、アスベストが飛散したかもとの報告を受けた。ちょうどオフィスが隣に位置していたので、工事担当者が謝罪に来たことがある。その時も、いますぐ身体に異常がみられることはないとの説明だったが、どういった根拠にそんなことが言えるのかと思った。
現代は、自分のまったく気づかないうちに、身の回りに様々な危険が迫っている。いくら健康に留意しても、知らないところで知らないうちに私たちは化学物質に曝されている。どうしたら自らを守っていけるのか? いまの状況を考えると、それは不可能に近いようだ。誰もいないような土地で自給自足の生活を送るしかないのかもしれない。
2008年11月10日月曜日
新選組関連マップ
今日は有休で、終日新選組関連の資料を読む。その中で以下のような面白い記載を発見した。
元治2(1865)年3月、壬生浪士組は屯所を壬生より西本願寺へ移転し、現存の太鼓楼ほか堂宇、北集会所(現・参拝会館付近)を使用した。その北集会所建物は、現在、姫路市内本徳寺本堂となっており、島田魁が晩年警備員を務めてたらしい。
また、斎藤一は、土方が仙台から箱館(函館)へと転戦していくなか、会津藩にとどまり、会津藩士として降伏したが、その後、厳寒の地、斗南(となみ)藩へ行き、やがて会津藩の重臣の娘、高木時尾と結婚している。その後、警視庁に勤め、西南戦争にも従軍し、晩年は東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)の庶務係兼会計係になっている。永倉新八や沖田総司とともに剣豪として怖れられた斎藤が、晩年会計係をしていたとは意外である。
Googleマップで新選組関連の京都マイマップを作成する。
2008年11月9日日曜日
菜の花の沖
朝日新聞出版の週刊司馬遼太郎Ⅳを読んだ。「街道をゆく」全43巻を始め、司馬遼太郎の短・長編はすべて読んでいるので、このシリーズは小説ゆかりの舞台の写真や作品の裏話も載っていて興味が尽きない。
今回の内容で面白い記載があった。司馬遼太郎の編集者だった方の回想で、高田屋嘉兵衛を主人公とした「菜の花の沖」にまつわる話だ。
その編集者は
嘉兵衛の子孫の方から、「どなたか
嘉兵衛のことを書いてくれる作家はいないでしょうか、資料はたくさんあるのですが」、との相談を受けていたらしい。その話を作家の吉村昭に話したところ、「ちょうど
嘉兵衛について書いてみたいと思っていたところだ」との返答だった。
しかし、そんなある日、
司馬遼太郎から、突然、「今度、高田屋
嘉兵衛について書こうと思う」と話があった。そのことを吉村昭に伝えると、「それじゃ書かないことにします」と断念したとのこと。
やはり時代小説を書いていると、そのように同じ主人公やテーマがたまたまダブルことがあるだろうなあ。しかし、吉村昭の書いた
高田屋嘉兵衛も読んでみたかった。
2008年11月8日土曜日
高杉晋作と上海、そしてピストル
今朝の朝日新聞beの「うたの旅人」の中に、上海と
高杉晋作
の記述がありました。歴史好きの私にとって興味のある話が載っています。
司馬遼太郎の「世に棲む日日」を読んでいて、高杉晋作の上海行きは知っていましたが、購入した2丁のピストルのうちのひとつを坂本龍馬に贈って、京都伏見の寺田屋で幕吏に襲われた際、龍馬がこの銃を使ったとは知りませんでした。
NHK大河ドラマの「篤姫」で、龍馬がピストルを撃つ場面がありましたが、あのピストルがそうだったんですね。「スミス&ウェッソン32口径」だそうで、その模型が高知県立坂本龍馬記念館に展示されてあるそうです。やはり土佐の高知には一度行ってみたい。
2008年11月7日金曜日
早退
昼頃に後頭部に軽い痛みを感じ、身体が異常にだるかったので12時45分に早退した。
髄膜炎
がまだ完全に完治していないからだろうか?
ベットに横になって吉村昭の「桜田門外ノ変(下)」を読み終える。吉村昭のあらゆる資料を凌駕し、徹底した実地調査を踏んでの執筆の姿勢には感心する。
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