2008年11月10日月曜日

新選組関連マップ

今日は有休で、終日新選組関連の資料を読む。その中で以下のような面白い記載を発見した。

元治2(1865)年3月、壬生浪士組は屯所を壬生より西本願寺へ移転し、現存の太鼓楼ほか堂宇、北集会所(現・参拝会館付近)を使用した。その北集会所建物は、現在、姫路市内本徳寺本堂となっており、島田魁が晩年警備員を務めてたらしい。

また、斎藤一は、土方が仙台から箱館(函館)へと転戦していくなか、会津藩にとどまり、会津藩士として降伏したが、その後、厳寒の地、斗南(となみ)藩へ行き、やがて会津藩の重臣の娘、高木時尾と結婚している。その後、警視庁に勤め、西南戦争にも従軍し、晩年は東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)の庶務係兼会計係になっている。永倉新八や沖田総司とともに剣豪として怖れられた斎藤が、晩年会計係をしていたとは意外である。

Googleマップで新選組関連の京都マイマップを作成する。

0 件のコメント:

Readers