漂泊の俳人、尾崎放哉の8ヶ月間におよぶ結核による死への悲壮な日々を、巧緻で淡々とした文体で描いた人物伝である。
大正時代末、東京帝国大学法科を卒業し大手保険会社の要職にいたエリートが、酒を飲むと悪態をつくという酒癖の悪さがもとで職を捨て、流浪の人生へと転落していく。若く美しい妻とも別れ、寺男として全国各地の寺を転々とし、最晩年には、終の棲家と決めた小豆島にある西光寺の分院南郷庵の庵主として、結核菌に冒されながら孤独で貧しい生活をおくる。その悲惨な日常の中で、自由律の作風で、「咳をしてもひとり」や「いれものがない両手でうける」など、極限にまで削りとられた数々の句をつくる。
若い頃、結核で同様に8ヶ月ほどの闘病生活を経験した吉村昭でしか書き得ない、放哉の日々刻々と衰弱していく肉体と死の恐怖に揺れ動く精神の記述には、ページをめくるたびに引き込まれる。吉村昭作品の中でも、実弟の癌闘病を克明に描写した『冷い夏、熱い夏』と並び、死生観について考えさせられる秀作である。
この小説を読むと、明治から昭和にかけての文明批評家、長谷川如是閑の次の言葉を思い起こさせる。
「生命は刹那(せつな)の事実なり、死は永劫(えいごう)の事実なり」
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