平間洋一氏の『軍都 横須賀』によると、日本で最初の運動会があったのは明治7年(1874)3月16日で、海軍兵学寮(海軍兵学校の前身)において、短距離(300ヤード)、中距離競走(600ヤード)、長飛(幅跳び)、高飛、玉投(砲丸投げか玉入れかは不明)、飛椅(跳び箱)、二人連三脚徒(二人三脚)、竿飛(棒高跳び)、三段飛びなどの18種目があり、審判員はイギリスの顧問団だったらしい。
興味深いのは、この運動会の開催に際して、兵学寮頭から海軍大臣に対して、「運動会の目的は単に生徒の遊技会ではなく、教育と言えば学術のみを強調し、体育の重要性を知らない。この競技会を広く有識者や国民に知らせ、『文弱の弊風』を打破せんとするものなので、広く国会議員や大臣、各官庁や東京府などの官吏に通知されたい」との依頼文書を出していることである。まさに明治という時代の威風が表れている。
しかし、日本で最初の運動会はそれよりも7年前、横須賀の製鉄所内で行われていたとも言われている。慶応4年(1868)6月27日、「仏蘭西大君(ナポレオン3世)の祭礼」として、フランス人と日本人が『うち交わり、さまざまの面白きこと致す』との張り紙が出され、フランスの顧問団が指導して、「綱渡」「帆柱登り」「両足を袋に入れて走る競技」「走馬競技」「青竹渡り」「日本人の相撲」「飛車にて差水の曲(内容不明)」などの競技が行われ、夜は花火も打ち上げられたそうである。
300年続いた徳川幕府が瓦解し、まだ2ヶ月も経っていない時期に、このような競技を開催したというのは大変面白い。日本人にとって娯楽が乏しかったその当時、この運動会、大変な賑わいになったのではないだろうか。
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