2010年10月9日土曜日

中国政府について

中国当局に拘束されていたフジタの社員の高橋さんが開放されました。

やはりというべきか、尖閣諸島海域での海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突映像を公表しないと発表した途端での処置です。明らかに人質をとっておいて、相手の出方で判断したといっても過言ではありません。これが世界第2位の経済大国に躍り出た国のやることでしょうか? 

昨日は、獄中の人権活動家、劉暁波(リウシアオポー)氏に対して、ノルウェーのノーベル賞委員会は平和賞を授与すると発表しました。共産党独裁を批判し、言論と宗教の自由などを求め、中国の民主化運動を推進した彼に対して、ノーベル賞委員会は中国政府の事前の圧力にも毅然たる態度でこの決定をしたようです。

これから世界の国々と共存し発展していくには、中国はその根本から変わっていかなければならないでしょう。インターネットなどであらゆる情報が瞬時に世界中を飛び交う現代、国家体制にとって都合の悪い情報や動きを封じ込めようとしても限界があります。はやく国を開き、市民の自由な発言や行動を許してゆくことが必要だと思います。

2010年10月8日金曜日

尖閣諸島問題について

尖閣諸島問題では、中国の卑屈なまでの外交圧力には呆れ返ります。

海上保安庁の巡視船に体当たりした中国漁船の船長らを公務執行妨害で逮捕すると、執拗な抗議をし、日本のハイテク産業にとって必要なレア・アースの輸出を止めました。中国人観光客の予約も大量にキャンセルされ、文化的交流も制限されました。はたまた軍事施設を撮影したとの「言いがかり」によって、フジタの社員も拘束されました。いまだに1名の社員の解放がなされていません。中国側にとっては、もし巡視船との衝突を記録したビデオを公表すれば、拘束を続けるといったカードをちらつかせているとしか思えません。まるでヤクザの脅迫と変わりありません。

尖閣諸島は日本の領土です。明治政府は当時の中国清朝や台湾の支配が及んでいないのを確認し、日本の領土として国旗を立てたそうです。現在も日本の灯台があり、以前は日本人も住んでいたそうです。中国側にとっては、先の大戦後、日本は北方諸島ともども支配を放棄したとの見解のようですし、琉球王朝との交易の途中に自国領土として立ち寄っていた歴史があるとの主張です。

周辺海域でのガス田開発、また、増強を続ける海軍力などをもとに、中国はこの機会に国際社会に向けて、尖閣諸島は自国の領土であるといったプロパガンダを始めたようです。韓国との竹島問題同様、尖閣諸島はこれからも続いていく外交課題になるでしょう。日本にとって、領土問題は存在しないといった明確な意思を示し、歴史的な事例をもとに、尖閣諸島は日本固有の領土であると発信する必要があるようです。

2010年9月24日金曜日

検察

検察官による証拠改ざんという大変な事件が起きましたね。

まさに前代未聞ともいうべき検察庁の大失態です。組織ぐるみという線はなさそうですが、ひとりの主任検察官の犯罪では済まされない問題をはらんでいます。司法制度の根幹を揺るがす衝撃です。

飲酒運転で捕まった警察官や、放火した消防署員などは今までも聞いたことがありますが、まさか、検察官が事件の証拠物を立件の筋書きどおりに改ざんするとは・・・信じられません。都合の良いように容易に手を加えることができるとは、考えただけでも恐ろしいことです。

逮捕された検察官は、尋問で容疑者を落とすエースだったそうですが、いままで彼の扱った事件を再度検証したほうが良さそうです。

今回の事件に接して、以前、考古学者が自ら埋めた石器を掘り出して、あたかも発見したように見せかけた事件を思い出しました。

2010年9月18日土曜日

組閣について

ずいぶん朝晩涼しくなりました。

強烈に暑かった夏も、そろそろ秋へと徐々にバトンタッチを始めたようです。連日30度を越していた気温も、ぐっと下がり、もうエアコンのお世話にはならなくてすむようになりました。窓を開けていると、ひんやりとした風が舞い込んできます。どっかりと日本列島に居座っていた強力な高気圧も、その勢力を弱めつつあります。1日中しのぎ易く、おかげで大好きな読書もはかどります。

それとは反対に、政界の方は熱くなってきています。菅総理が再選され、あたらしい内閣の顔ぶれが明らかになりましたが、反小沢色が一層濃くなっています。殊に党幹事長に岡田氏を選んだのは、その象徴的な動きです。剛腕の小沢氏もしばらくは鳴りをひそめて、お手並み拝見といったところでしょうか。なんとも不気味です。クワバラ、クワバラ。

2010年9月14日火曜日

菅総理大臣続投

民主党代表戦が終わりました。結果は菅首相の勝利でした。やはり党サポーターとはいえ、民意が反映された結果となったようです。

小沢前幹事長の善戦も光りましたが、最終的に、「政治とカネ」に絡んだ大衆受けしないダーティーなイメージがどうしても拭いきれない感がありました。

さて、これからは、菅総理も祝賀パーティで言っていたように、挙党体制で難題の山積の政局を乗り切っていくことでしょう。

しかし、ノーサイドと言っても、やはりこれだけ2派に分かれて選挙戦を戦ったわけですから、シコリが残らないはずがありません。菅総理の行う人事に影響がでることは確かでしょう。

まずは、以前自民党がやったような密室での決着とはならなかったことが幸いです。3ヶ月で国の総理大臣が変わるような事態は避けられたことに少なからずホッとしています。

2010年9月7日火曜日

またストレスが溜まった!

昨日、仕事の仲間と久しぶりにラウンドしました。千葉にあるタクエー・カントリーという、料金的にリーズナブルで、コースの維持管理もしっかりとしたゴルフ場です。何百とある千葉のゴルフ場のなかでも、中の上といったクラスでしょうか。

自身の成績の方は、下の下といった惨憺たるものでした(苦笑)。ショットはまずまずの出来でしたが、パットが最悪でした。3パットがいくつあったのか、いまさら数えるのも嫌になるほどです。あんなパッティングをしていては、スコアメイクにつながらないのは当然といえます。スポーツでよく言われる一種のイップス病に陥ってしまったようです。

昨夜はあれこれとその原因について考えていると、なかなか寝つけませんでした。一体どうしてしまったのか。以前まで自然に出来ていた一連の動きができなくなっています。だんだんと身体のバランスや感覚が鈍くなってきているのでしょうか? ちょっと心配です。

さあ、練習、練習。


2010年8月31日火曜日

Twitter について

今晩放送のあったNHKクローズアップ現代で取り上げられた、Twitterに早速登録しました。まずはどういったものかと思い、興味を持ったからです。

簡単な短い文章だけを書き込むだけで、自分の呟きとしてネット上に流れるらしい。ブログの携帯版とでも言えそうです。その瞬間ごとに思ったこと、感じたこと、やっていることを特定の人物あてにではなく絶えず書き込み続けるというのは、無限に拡がるネット空間に対して、「僕はここにいるよ! 誰か気づいてくれない?」、と絶えず叫び続けているようですね。不思議な感覚です。

これはまさに、寂しい超ヒマ人たちの新しいコミュニケーション・ツールのひとつなのでしょうか。

2010年8月30日月曜日

鉄砲伝来についての勘違い

よく知っていると思っていた歴史上の事実が、実際は違っていたということがたまにあります。鉄砲伝来についての歴史的事実も、その一つに入るかもしれません。

長年、鉄砲伝来は、種子島に漂着したポルトガル船のポルトガル人によってもたらされたと思っていましたが、実際は、中国船の中でも比較的大きなジャンク(戎克船)と呼ばれる船に乗っていた3人のポルトガル商人によるものだということです。

南浦文之(なんぽぶんし)という人の著した「鉄炮記」という資料によると、「天文癸卯秋八月二十五丁酉、我が西村の小浦に一つの大船あり。何れの国より来るということを知らず。船客百余人、その形類せず、その語通ぜず、見る者以て奇怪となす。」と記されています。この「鉄炮記」や古い記録によると、3人の名前は、フランシスコ、キリシダ=ダ=モッタ、アントニオ=ペイショットとなっています。

その場景を想像してみると面白いですね。まるで宇宙人が突然やってきて、どう対応していいか分からず、うろたえている様子がありありとうかがえます。

このポルトガル人たちが、その当時、まだ16歳だった種子島領主、種子島時尭(ときたか)に謁見して、持参した鉄砲を撃ってみせたらしい。それを見た好奇心旺盛の時尭が2挺を譲り受け、島の鍛冶屋に分解させて、複製を作らせたのが、その後日本本土へ伝わり、戦国時代の合戦方法を変えたと言われています。

この鉄砲がなかったら、織田信長と武田勝頼が戦った、設楽が原・長篠の戦いも違ったものになっていたかもしれません。歴史はやはり面白い。


2010年8月25日水曜日

坂本龍馬を探せ

民主党が代表選で大いに揺れています。現総理大臣の菅直人と、党内実力者の小沢一郎の戦いの様相を呈してきています。国民や今の経済状況はそっちのけで、まったくコップの中の嵐といった感があります。

それにしても、有権者の熱い期待を受けて政権をとった民主党の脆弱さにはがっかりです。これでは何のための政権交代だったのか、また、一体この国を任せられる政党なのか、大きな疑問符がつきそうです。

菅総理のリーダーシップの無さも可哀想なくらいです。野党時代のあのエネルギーはどこへ消えてしまったのでしょうか。現内閣も、まるで大きな子供たちの仲良し組のようです。

円高が急速に進み、経済の舵取りはまったなしの状況の中、仲間内での抗争とは何とも情けない。民意を十分に理解しているであろう小沢氏が、どうして代表選に出るなどと話が出てくるのか、不思議でなりません。

NHK大河ドラマでいま人気の坂本龍馬のように、薩摩だ、長州だと狭い世界で物事を考えずに、もっと地球規模の広い視野をもった人が出てこないものでしょうか。

2010年8月18日水曜日

ふっと思ったこと

ふらっと立ち寄った場末のラーメン屋の、油で薄よごれた壁にかかっていた格言:

「鯵(あじ)のひらきも浮世の人も 塩をふられて味がでる」

なんとも「味のある」格言ですね。そうです、人生いろんなことがあって、さまざまな苦い経験をし、苦労をしながら幾多の困難を乗り越え、次第に人としての魅力が出るのでしょうか。

鯵(あじ)のように何事にも開き直って生きていくことが大事なのでしょうか。夏目漱石が晩年座右の銘にしていた言葉が、「則天無私」だそうです。私情を捨て、運命の赴くままに身をゆだねるといったことでしょうか。

2010年8月15日日曜日

夏のささやかな思い出

今日は朝から家族で市営のプールへ行ってきました。

今年の夏は何かと忙しく、家族で旅行もできなかったので、日頃の罪ほろぼしと家族サービスを兼ねて手軽な近場のプールとしました。

それにしても多かったですね。身動きがとれないほどの入場者でした。世のお父さんたちの考えることは同じなのでしょうか? 

娘たちも大喜びで、まずはひと安心でした。覚えたてのクロールや平泳ぎを一生懸命に披露する姿に、思わず笑わずにはいられませんでした。息継ぎがうまく出来ずに水を飲んでしまったり、バタアシをしながらお尻がポッカリと浮かんできたりと、そんな娘たちの泳ぎぶりを見ていて、久々に夫婦で大声を上げて笑ってしまいました。

ささやかな幸せとは、このようなことなのでしょうかね。でもしかし、疲れたァ~。

2010年8月12日木曜日

ウソのようなホントの話

これはアメリカ人の友人から聞いた話です。

以前、彼の奥さんは、アメリカのある地方都市にあった大銀行の支店で働いていたそうです。その銀行は世界中に支店があり、いまも総顧客数が何千万というメガバンクだそうです。

ある日、彼女にあるお客さんから、自分の口座にある金額を詳しく調べてみると、どうも1ドル足りない、という問い合わせがあったそうです。彼女も出入金を調べてみると、やはり1ドル足りません。おかしいと思って、銀行の本店に連絡をとると、ホストコンピューターの方も調べてみるという返答でしたので、お客さんには、わかり次第報告しますという連絡を入れたそうです。

数日後、本店のおエライさんから連絡があって、やはり手違いで1ドル不足していた、すぐに入金するということでした。そのあと、どういう訳か、この件は一切口外しないようにと念を押されたそうです。

あとで分かったのは、何かの理由で、この銀行のすべての口座から1ドル多めに差し引かれていたそうです。つまり、何千万ドルという額のお金が、知らないうちに銀行側で徴収されていたのです。驚くべきことに、この問題は、一切おおやけにはされなかったそうです。

だれも1ドルくらいは気にかけないのでしょうか? それにしてもスゴイ話ですね。

2010年8月10日火曜日

仕事というもの

今夜は久しぶりに質の高い感動的なテレビ番組をみました。

今夏公開したジブリ最新作「借りぐらしのアリエッティ」の制作過程を追った、NHKのスペシャル番組です。巨匠・宮崎駿氏に監督として大抜擢された若き才能のあるアニメーターを長期密着したドキュメントでした。

初監督という大きなプレッシャーと闘いながら、彼のひたむきに仕事に向かう姿勢や妥協を許さない厳しさが胸を打ちました。また、宮崎氏が一旦任せたからには、制作に一切口を挟まない態度は、仕事を通して人を育てるには何が必要なのかを教えてくれました。ふたりの無言のうちの心の通いあいが爽やかな風のように感じられました。

非常な努力の末に作品が完成し、プロデューサーや制作スタッフたちと試写会をし、それまで目も合わせなかった宮崎氏が、最後にその作品の出来に監督を賞賛するシーンは思わずウルッときました。

人を感動させる仕事というのは、それを成し遂げるまでにどれ程の知られざる幾多の苦悩と絶え間ない努力と忍耐が必要であるか、この番組をみてそう思いました。

2010年8月9日月曜日

パワースポット?

昨日、家族全員で走水神社(はしりみずじんじゃ)へ行ってきました。

以前ある番組で、江原啓之さんがパワースポットのひとつとして紹介していた場所です。三浦半島の東京湾側の突端に位置し、古代より古事記などにその地名が出ている場所です。参拝者用リーフレット「走水神社ポイントガイド」によると、以下のように紹介されています。

「景行天皇の御代、東征中の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、古代東海道をたどって来り走水から船で上総(かずさ。千葉県)へ渡ろうとしたが、暴風雨に阻まれ、立ち往生してしまった。このとき、同行していた弟橘媛(オトタチバナヒメ)がみずから入水して海神の怒りを鎮め、後悔の安全を図ったという伝説にちなみ、創建された古社。日本武尊は、航海に先立ち当地を「水走る」と称えられたことから走水の地名が起こったという。また、日本武尊は、わが身を犠牲にして海を鎮めてくれた弟橘媛を偲び、御所ヶ崎に祭る一方、村人の敬慕に謝し冠を下賜されたといわれる。村人はこの冠を石棺に納め、その上に社殿を建立して尊を祭ったのがはじまりと伝わる。明治43年、近くの御所ヶ崎に祭られていた弟橘媛は走水神社に合祀された。境内に弟橘媛の顕彰と航海安全の祈願を込めて奉納された舵の碑がある。」

神社の坂道を登っていくと、一番上の処に諏訪神社、神明社、須賀神社の3つの祠(ほこら)がありますが、江原さんによると、一番パワーがある場所は、それら祠の手前にある鳥居の前だそうです。

下の方の駐車場から一端社内に足を踏み入れると、なんだか空気の質が違うような、清らかで神聖な感じを受けました。やはりパワースポットなのでしょうか。

2010年8月8日日曜日

正夢になるか?

二日連続でなんとも不思議な夢をみました。

昨日は知らない男に突然殴られた夢をみて、今日は浴槽に特大のウンチが浮かんでいる夢をみました。一体これらの夢は何を暗示しているのでしょうか? なぜこんな夢をみるのか心当たりがありません。夢の内容は深層心理に深く関係しているようですが、僕はマゾではないし、お風呂の中で排便したい願望もありません。

さっそく本棚にある「夢占い事典」を開いてみました。それによると、「誰かに殴られる夢」は、思いがけない幸運が舞い込む暗示だそうです。「ウンチを見る夢」は、金運が上昇する暗示だそうです。殊にトイレから排泄物があふれている夢は、大きな幸運や金運の上昇を暗示しており、ギャンブルで大儲けしたり、玉の輿のチャンスの前触れかもしれないようです。つまり「ウン」がつくということでしょうか。

サマージャンボ宝くじは買ってあるんですが、もしや・・・?

さて、今晩はどんな夢をみるのでしょうか?

2010年8月7日土曜日

異常気象?

暦の上では今日は立秋だそうです。

つまり、今日を境に秋の気配が始まり、明日からの挨拶は残暑見舞いとなります。しかし、天気予報によると、残暑どころか、まだまだこれからも暑くなりそうです。まさに異常ともいえる天候です。

ニュースによると、モスクワは歴史的な猛暑だそうです。連日30℃を越す天気で、近隣で山火事が発生し、都市全体が煙に覆われて市民生活に支障が出ているようです。この暑さは、国内の穀物の生産に甚大なる影響を及ぼしているらしく、ロシア政府は小麦の輸出停止措置を決定したそうです。

日本と同様に、ロシアの異常気象は、北半球上を絶えず流れている偏西風の蛇行が原因のようです。この蛇行によって、南の温かい空気が北に押しやられ、記録的な暑さを引き起こしているそうです。

いまのところ、どうして偏西風が蛇行するようになったのか詳しくは判らないようです。早く正常な天候に戻るように祈るだけです。

残暑お見舞い申しあげます。

2010年8月6日金曜日

消えた高齢者

連日マスコミは、「消えた高齢者」の話題を取り上げています。ついこの間まで、「消えた年金」で騒いでいたと思ったら、今度は「消えた高齢者」です。

日本各地、100才以上の高齢者たちの身元が確認されないケースが、日に日に増えてきているようです。そのほとんどは、行政の記録上はまだ存命になっているが、行方不明などで生死を確かめられない状態のようです。ましてや肉親でさえその居場所も確認できないそうです。いったいどうなっているのでしょうか?

ニュースによると、親の生存もわからないのに、本人に対して支給されている年金を長年受け取って使っていたというのですから、まったく呆れてしまいます。確信犯としかいいようがありません。良心というものが欠如しているようです。

これらの問題は、家庭や親子関係が希薄になってきているのがひとつの原因に挙げられるでしょう。また、近所づき合いがなくなって、高齢者を地域のみんなで見守っていくような仕組みが失われているようです。人と人のつながりが無くなってきています。

その点、まさに「消えた高齢者」問題は、いまの時代を象徴しているといえます。さびしい限りです。

2010年8月5日木曜日

定期健康診断

今日は定期健康診断がありました。診察者数が多いので、朝9時から始まって、すべて終了するのに10時過ぎまでかかりました。

まずは尿検査です。渡された紙コップに1センチほど尿を採り、リトマス試験紙のようなものを浸して検査します。まずは異常なしでした。

次に聴力検査があり、問題なし。そして身長と体重を測りました。 また体重が1キロほど減っているのが気になりました。猛暑のせいで、食欲があまりないのが原因かもしれません。

そして視力検査です。メガネをかけて両目とも0.9と視力が落ちていました。仕事上コンピューターを使うので、眼には悪い影響を及ぼしているのかもしれません。最近は老眼が入ってきています。

次に血圧測定と採血がありました。注射というのは幾つになっても嫌なものです。針の刺さっているところをあまり見ないようにしました。そして、心電図と診察です。別段異常はなさそうでした。

それが終わると、最近健康診断に新たに加わったようですが、腹部の測定です。メタボかどうかの判断になるようです。僕の場合はまず問題はなし。

最後は、胸部レントゲンです。多分、異常はなしでしょう。以上。


2010年8月3日火曜日

吉村昭の「赤い人」を読んで

吉村昭の「赤い人」を読みました。この小説は、史実を淡々と忠実に描く吉村昭の真骨頂が発揮された作品で、暗黒の北海道史ともいうべき内容です。

明治政府は、西南の役のような維新後続発した全国各地の乱でとらえた多くの者たちを収容する施設が必要になりました。 それにより、当時未開の大地であった北海道に集治監を建設し、囚人たちを北方の地で収監させることが効果的と判断しました。まずは現地調査を行わせ、石狩川上流の須倍都太(のち月形村)の地に集治監の建設を決定します。 

明治政府の国策により、囚人たちは赤い囚衣を着せられ、未開の原野を切り開き、開墾や炭山での過酷な労役、または道路開鑿へ駆り出されました。 その作業は非常な困難を極めます。 夏場の作業では、大量に襲いかかる蚊、虻、またはマムシと戦いながら日々酷使され、冬場の作業では、十分な防寒具もない上、ひどい凍傷にかかり、手足を切断しなければならないような囚人たちが増えます。

小説の後半では、死を賭して脱走を図る囚人たちと執拗に追跡し捕捉する看守たちの死闘が繰り返されます。そこには明日をもない状況の中、葛藤を繰り広げる緊迫した人間ドラマがあります。

読み進めるうちに、ぐいぐいと作品に引き込まれ、久しぶりにのめり込むように読了しました。

2010年8月2日月曜日

プール教室

今日から3日間の夏休みをとりました。


と言うのも、次女の小学校でプール教室があり、その付き添いで出席することにしたからです。付き添いと言っても、インストラクターたちの補助員のような役目です。100名ちかい児童たちを泳ぎのレベルにあわせグループ分けをして、それぞれのグループに入って、介助をする役です。


小学校5年生でさえも、異常に水を怖がって、一切顔をつけれない子がいたりして、まず水に慣れさせることから始めなければならないグループもいました。


受け持ったグループの子供たちは、ある程度、バタアシで前に進むことができました。しかし、どうしても前を向いてしまって沈んだり、バタアシも膝から曲げてしまって思うように進まないようでした。何度かインストラクターに教えてもらい、ずいぶんと上達していました。


一番気をつかったのが、女の子たちへの介助です。見学をしている親たちの前で、いくら小学生とはいえ、女の子たちの体を支えたり、バタアシの仕方を教えるのに両足を持ったりするのには、少々抵抗がありました。

2010年7月31日土曜日

実物について

今日は町内のお祭りです。


毎年この夏の時期に、サマーフェスティバルと銘打って開催しています。模擬店も自治会で運営し、おでんや焼き鳥、焼きソバにたこ焼きなどを作って売っています。公園の中央には櫓を設置し、提灯をぶら下げています。最後は盆踊りです。


その会場に自民党の若手、衆議院議員の小泉進次郎が来ていました。一緒の記念撮影に快く応じていました。これも次の選挙のためにも重要なアピールになるのでしょう。周りを取り囲まれていました。


テレビでみるよりも、なんだかダサいポロシャツを着ていて、背も意外に小さいのには驚きました。どこにでもいる青年ですね。いかにメディアの力というものの影響が大きいかを感じます。

2010年7月30日金曜日

映像の力について

今日は横浜にある「こども宇宙科学館」へ娘たちを連れて行きました。


実際は、ふたりが館内で遊んでいる間、ひとり休憩室で読みさしの吉村昭の「日本医家伝」と、双葉文庫の「松本清張 映画化作品集」を読み終えました。久しぶりにゆっくりと読書ができたようです。


午後からは、1階のドームシアターで、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を観ました。原作のように列車が天の川を走り、さそり座が燃え尽きる話などが盛り込まれていました。素晴らしく美しいCGで作られていて、小説の世界に溶け込める映像でした。


ふたりの娘もその映像美には感動した様子でした。紙の本からの想像力と、映像から直接的に受けるビジュアルな世界は圧倒的な差があるようです。いまアップルのiPADが売れているそうですが、これからは活字とは別に、映像も付加した小説が出てくることでしょう。


しかし、一方的に与えられる映像が、限りない想像力を固定しないようにしなければならないでしょうね。

2010年7月28日水曜日

人の一生は、糾える縄の如し

今日の新聞に興味深い記事がのっていました。

過去10年間、アメリカで最高の報酬を得た最高経営責任者(CEO)は、業務用コンピューターソフト大手のオラクルを急成長させたラリー・エリソン氏で、日本円で実に約1600億円だそうです。

スゴイですね。ひとりの人間が1600億円も稼ぐなんて。数字にすると、160,000,000,000です。単純計算で1年間に160億円、月に約133億円です。まさに想像を絶する金額です。世界でも6番目にリッチなんだそうです。

しかし彼の生い立ちをみると、必ずしも幸せな生活ではなかったようです。19才の未婚のユダヤ人母のもとに生まれ、生後9ヶ月で伯母さん夫婦に養子として引き取られています。また、48才で初めて実の母に会うまで、名前も知らなかったようです。実の父親はいまでもわからないそうです。

人間の一生というのは、本当に不思議なものです。まさにアメリカン・ドリームを成し遂げたような彼ですが、過去3度も離婚をしており、ビジネスでは、まさに生き馬の目を抜く激しい競争を切り抜け、様々な訴訟にもあっています。

いったい何が幸せなのか、考えさせられます。

2010年7月27日火曜日

横浜

先日の日曜日、横浜みなとみらいにあるランドマーク・タワーへ行ってきました。

当日はうだるような暑さで、適度にエアコンの効いたタワー内で過ごすことにしました。昼食は、豆腐料理の美味しいお店でとり、その後、69階にあるスカイ・ガーデンへ上りました。現在のところ日本で一番高いところにある場所のようです。超高速のエレベーターで驚くほどあっという間にたどり着きました

眼下に広がる横浜の港や街並みは一見の価値があります。残念ながら当日は少し霞(かすみ)がかっていて、遠く富士山や現在建設中のスカイ・ツリーを望むことはできませんでしたが、微かに三浦半島や房総半島の突端が見え、横浜港から東京湾が一望できました。展望室の北側の眼下には、所狭しとひしめき合いながら建ち並ぶビル群が拡がり、電車や道路などが錯綜(さくそう)し、自動車や人が昆虫のように蠢(うごめ)いていました。

そんな景色を見つめていると、ふっとある考えが湧いてきました。「果てしなく広がる地面に這いつくばり、私たちは日々何を思い、悩み、喜び、悲しみ、生きているのか?」

まるで、人間たちの営みを天上から見守る神になったような気分でした。

2010年7月26日月曜日

耳に異常が・・・

先週木曜日の朝から、右耳に違和感がありました。

耳の奥が何かで塞がっているような感覚がありました。軽く耳栓をしたように、ぼあ~んとした感じです。自分の発した声も、頭の中で微妙に反響しているように聞こえました。どうしたんだろう、いまはやりの(?)突発性難聴だろうか? 時折、耳の奥で耳鳴りもしました。 

早速、耳鼻科に行ってきました。結果は、外耳のところが炎症を起こしていて、それに耳垢が鼓膜のあたりに貼りついているとのことでした。耳垢を吸い取ってもらい、痛み止めやビタミン剤をもらいました。ほとんど毎日めん棒で耳掃除をしているのに・・・。

左耳の方は、頭を左右に傾けると、奥の方で砂のような顆粒状のものが、ザー、ザーと動く音がすると言うと診てくれましが、よくわからないとのことでした。

2010年7月25日日曜日

漂流について

吉村昭の小説を愛読しています。


彼の作品の中に、「漂流もの」というジャンルがあります。江戸時代、数々の和船が大時化に会い、漂流しています。その多くは、海の藻屑となり、記録に残ることはありませんでした。しかし、奇跡的に帰国を果たすことができた船乗りたちの証言によって、詳細な記録として残っているものもあります。


江戸時代、商品経済が発達すると、諸国の物産は一旦大坂に集められ、船によって大消費地の江戸へ送られていました。米や日本酒などは、日本海側から長州の馬関(いまの下関)を通って、穏やかな瀬戸内海を横切り、大坂へと運ばれ、そこからまた紀州の潮岬を回って太平洋側へ出、熊野灘沿いに進み、日和見しながら一気に江戸へと送られていました。


太平洋側へ出て一番危険なのが、南の方から北へ絶えず流れている黒潮にのってしまうことです。いったん黒潮にのってしまうと、遠くカムチャッカ半島沖まで流されてしまい、アリューシャン列島から最終的にはアメリカ西海岸まで到達します。暴風雨などで破船してしまうと、その経路で幾日も流されてしまったようです。


幸運にも無人島やカムチャッカ半島にたどり着いたり、その当時盛んに捕鯨をしていたイギリスやアメリカの捕鯨船などに保護されたりしています。有名なところでは、大黒屋光太夫、ジョン万次郎、アメリカ彦蔵などがいます。


彼らが、当時鎖国をしていた日本に様々な西洋事情を知らせ、幕末から明治にかけて、多大なる影響を与えたことは興味深いものがあります。

2010年7月24日土曜日

空海という天才

弘法大師空海は、「自分は宇宙の意思によって、格別に手厚くもてなされている」、といったそうです。

いまから千数百年まえの平安時代初期に、このような世界観をもっていたとは驚きです。まさに天才です。空海は、苦難の末、遣唐使の中でも私学僧として当時の長安(現在の西安)へ渡っています。唐の時代の長安は、様々な人種が集まった非常に活気に満ちた国際都市でした。そこで空海は密教の教えを受け、帰国後、高野山で真言宗を広めました。金剛峰寺が総本山です。比叡山で天台宗を広め、同じく遣唐使として中国へ渡った最澄とは双璧をなしています。しかしながら空海は、ひとりの宗教家としてのみならず、その人間としてのエネルギーの巨大さは計り知れないものがあります。

真言密教をすべて理解するのは非常に難しいと思いますが、僅かでもその空気の感触を得たいと願い、今年の「歴史を訪ねるひとり旅」は、高野山へも足を延ばしてみようかと思っています。


2010年7月22日木曜日

泣けるなぁ~

録画しておいた日本テレビの「はじめてのおつかい」をみました。


この番組は確実に泣けます。以前、最近どうも涙もろくなってしまい、特に子役が熱演しているドラマをみると涙が出てしまうと書きましたが、この「はじめてのおつかい」は、そのド真ん中をつく泣ける番組です。一生懸命におつかいをしている子供の健気な姿をみると、もうだめです。涙腺がもうウルウルです。


幕末から明治にかけて、大勢の外国人たちが来日しましたが、彼らの驚いたことのひとつに、日本は子供たちを大変大事にすることだったようです。近所の大人たちがみんなで子供たちを育てているといった感じだったのでしょう。


しかし最近は、自分の子供を虐待死させる非道な親もいますし、近所の公園から聞こえる子供の声がうるさいと市役所に苦情を言う大人たちもいるようです。いったいこの国はどうなってしまったんでしょうね。


民主党の目玉政策のひとつ、子ども手当もどうなってしまうんでしょうか? 先の参院選での惨敗によって来年度の支給は難しくなるんでしょうか。ま、最初からそれほどアテにはしていませんけどね。


うちのふたりの娘たちも、そのうち成長し巣立っていくんでしょうね。早く大きくなって欲しい反面、まだまだ子供でいてほしいと思います。



2010年7月21日水曜日

朝鮮半島について

朝鮮半島情勢が緊迫化しています。


今年3月に起きた韓国海軍哨戒艦沈没事件以来、韓国と北朝鮮の関係は非常に緊張しているようです。アメリカのクリントン国務長官とゲーツ国防長官も、軍事境界線がある非武装地帯を視察しているようですし、釜山の港には横須賀を母港としている原子力空母ジョージ・ワシントンも入港しています。北朝鮮への圧力といえます。


それに加えて、北朝鮮の神経を逆撫でするように、大韓航空機爆破事件実行犯・金賢姫元工作員が、北朝鮮拉致被害者家族らとの面会のため現在来日しています。拉致に関する新たな事実も期待できない中、この来日も政治的圧力のひとつかもしれません。一部報道では、現菅政権の一種のパフォーマンスという見方をとっているようです。


忘れていけないのは、半世紀以上も前の朝鮮戦争がまだ事実上は終わっていないということです。いまでも休戦という状態であることです。うわさでは、金総主席は痴呆症を患っているようですし、権力の移譲も近いうちに行われるかもしれません。


それにしても、同じ民族が敵対関係にあるというのは悲しいことです。朝鮮半島の平和が早く訪れることを願います。

2010年7月20日火曜日

桶狭間の戦いについて

日本史上あまりに有名な桶狭間の戦いは、尾張をほぼ統一した織田信長にとって、天下統一への第1歩となったことは疑いのない歴史的事実です。駿河・遠江・三河の3カ国を治める今川義元の2万5千の軍勢を、たった2千の軍で見事にうち破った奇跡ともいうべき戦いです。

しかし織田信長の進軍経路が、つい近年まで間違って伝えられていたことはあまり知られていません。永禄3年5月19日未明、織田方の鷲津砦と丸根砦陥落の報告に、籠城をつよく勧める老臣たちを振り切るように清須城を数騎で飛び出した信長が、熱田神宮で後続部隊を待ち、丹下砦から善照寺砦へ進み、鎌倉往還へ大きく迂回して、太子ヶ根から桶狭間で昼食のため休憩中の義元本隊へ奇襲攻撃をかけたように近年までは伝えられていました。

その理由として、善照寺砦から真っ直ぐに中島砦へ進むと、鷲津砦と丸根砦から進軍が丸見えになってしまうからのようです。その両砦の後方には、前日までに兵糧を運び入れているその当時義元側の松平元康(後の徳川家康)が陣を構えています。そのような危険を冒してまで中島砦へ向かうわけがないという理由からのようです。

しかしながら最近の研究では、信長は善照寺砦から真っ直ぐに中島砦へ進み、東海道を下って、桶狭間山に陣取る義元本隊へ山の反対側から駆け上がり奇襲をかけたようになっています。その理由として、善照寺砦から中島砦の間には窪地が多く、その窪地に身を隠しながら進軍できたこと、そして、鷲津砦・丸根砦と中島砦の間には沼地が広がり、発見されても追撃できなかったことなどです。ちょうど梅雨時で突然の雨に両砦からの視界が遮られていたことも幸運だったようです。つまり、いままで信じられていた経路とはまったく違っていたことになります。信長の性格からして、個人的には、この新たに提唱された進軍経路の方が、相応しいような気がします。

信長はその豊富な情報力で、それら地域の地形を事前に把握しており、たまたま天候も見方したのが大勝利に結びついたようです。信長は、詳細な戦略を当日まで近習でさえ明かさなかったそうですが、彼の頭の中には全て作成されており、出陣当日の清須城の大広間で「敦盛」を3回舞った時には、心に強く秘めたものがあったようです。

歴史の解釈は、これからも様々に書き換えられうるもののようです。またそこに、歴史研究の面白さがあるように思います。


2010年7月19日月曜日

お互い年をとったなぁ~

先日、高校の同窓会が東京のホテルでありました。

残念ながら当日は都合がつかなくて、あえなく欠席しましたが、参加した懐かしい同級生たちの写真が早速メールで届きました。卒業後何十年も会っていないので、写真に写っている顔々を見ても、「え、これ誰だっけ?」という始末です。過ぎ去った時の移ろいを感じさせます。

それにしても、みんなすっかり年をとったものです。妙に恰幅のいいオジサン、白髪頭が薄くなって見る影もないオジサン、育児も終わってすっかり老け込んだオバサン、やたらと若づくりしているけど少々無理のあるオバサンなどなど、お互いに青春を謳歌した高校時代は遠い昔に飛び去り、それぞれその後の人生をしぶとく生きた中年たちの顔が並んでいます。そんな彼ら同級生たちを見ていると、自らの人生を振り返り、胸が熱くなります。

あの頃に戻りたい気もするけど、正直、もう一度人生をやり直したいとは思わないなぁ~。

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