2010年7月25日日曜日

漂流について

吉村昭の小説を愛読しています。


彼の作品の中に、「漂流もの」というジャンルがあります。江戸時代、数々の和船が大時化に会い、漂流しています。その多くは、海の藻屑となり、記録に残ることはありませんでした。しかし、奇跡的に帰国を果たすことができた船乗りたちの証言によって、詳細な記録として残っているものもあります。


江戸時代、商品経済が発達すると、諸国の物産は一旦大坂に集められ、船によって大消費地の江戸へ送られていました。米や日本酒などは、日本海側から長州の馬関(いまの下関)を通って、穏やかな瀬戸内海を横切り、大坂へと運ばれ、そこからまた紀州の潮岬を回って太平洋側へ出、熊野灘沿いに進み、日和見しながら一気に江戸へと送られていました。


太平洋側へ出て一番危険なのが、南の方から北へ絶えず流れている黒潮にのってしまうことです。いったん黒潮にのってしまうと、遠くカムチャッカ半島沖まで流されてしまい、アリューシャン列島から最終的にはアメリカ西海岸まで到達します。暴風雨などで破船してしまうと、その経路で幾日も流されてしまったようです。


幸運にも無人島やカムチャッカ半島にたどり着いたり、その当時盛んに捕鯨をしていたイギリスやアメリカの捕鯨船などに保護されたりしています。有名なところでは、大黒屋光太夫、ジョン万次郎、アメリカ彦蔵などがいます。


彼らが、当時鎖国をしていた日本に様々な西洋事情を知らせ、幕末から明治にかけて、多大なる影響を与えたことは興味深いものがあります。

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