2010年7月12日月曜日

信長フリーク

唐突ですが、無性に織田信長が好きです。調べれば調べるほど、信長の人間としての巨大さに圧倒されます。

信長という戦国武将の魅力といえば、抜群の行動力、柔軟な発想力、強力なリーダーシップ、優れた国際感覚、神仏をも恐れぬ超合理主義、驚くべき好奇心、未来を見据える先見性など、数え上げたらキリがありません。それだけ人間的な魅力に溢れた歴史上の人物といえます。その一つひとつを象徴するエピソードを書き出すと、時間がいくらあっても足りません。織田信長という人は、日本の歴史において、間違いなく一位か二位を争う傑物です。

比叡山の焼き討ちや、伊勢長島一向宗徒の殲滅(せんめつ)、裏切った義理の弟(浅井長政)やその父親などのドクロで正月用の盃を作るなど、その残忍性がクローズアップされがちですが、信長が日本の中世を終わらせ、斬新なビジョンをもって新しい時代を切り開いていったことは紛れもありません。信長の死後、天下をとった秀吉や家康がやったことは、あくまでも信長の模倣にすぎません。

昨年末には、長年の夢であった『信長の足跡を訪ねるひとり旅』をしました。まずは琵琶湖畔にある安土城址を訪ね、安土町の「信長の館」でセビリア万博に出展された荘厳な安土城天主閣のレプリカを見ました。次の日は、時間的余裕がなかったので、岐阜城を遠望し、小牧、清洲、名古屋に入り、名古屋城(那古野城があった)、熱田神宮(今川義元との決戦前に戦勝祈願をした)、そして最後に桶狭間の戦場跡を訪ねました。

今後も信長関連本の収集をし、読み続け、『信長の足跡を訪ねるひとり旅』を重ねていこうと思います。

「・・・で、あるか」









安土城址

安土山のふもとから山頂へと連なる大手道。信長の壮大な天下布武の理想を表すような石段です。神仏を恐れない信長らしく、石段の踏み石に石仏が使われているところがありました。この大手道の左手に秀吉の邸宅跡があり、右手に前田利家の邸宅跡がありました。通常の大手道は、敵の侵入を防ぐように曲がりくねっているのが普通ですが、信長らしく広く真っ直ぐに伸びています。


桶狭間古戦場跡

2万5千の今川義元軍を、たった3千の軍勢で打ち破った桶狭間の古戦場です。出陣前、清州城の広間で突然、「敦盛」を舞い始め、「人間五十年、下天(げてん)の内をくらぶれば、夢幻(ゆめまぼろし)のごとくなり」と謡ったのは有名な話です。

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