2011年12月21日水曜日

金王朝の落日


金正日が死にました。

とうとう北朝鮮の独裁者は人民に対して一切の幸福を残さず、その代わりに長年の辛苦と飢餓を強いてこの世を去りました。出来うることなら、同じ独裁者としてリビアを私物化し長期支配したカダフィ大佐のように、また、ルーマニアを混乱の坩堝に陥れたチャウシェスク大統領のように、最後は惨めな末路を迎えてほしかった。それが独裁者としての当然裁きを受けるべき死にざまではないでしょうか。

1983年10月8日に起きたラングーン事件の計画立案をし、その4年後の1987年11月29日に多数の乗客を死に追いやった大韓航空機爆破事件を指揮した正にその張本人であり、日々人民が飢えているのをよそに核開発をすすめ、それを姑息な外交カードに使い、まるで物乞いのように食糧支援を要求した最悪の独裁者でした。

さて今後、金王朝の3代目となる金正恩への権力移譲が支障なく進むのか、それとも内部での醜い権力争いや、軍や反体制派の反乱が起こるのか、しばらくは情勢を注視してゆく必要がありそうです。願わくば、北朝鮮国内の混乱に乗じて、何かしら拉致問題解決の糸口が見つかり、一日も早い被害者の帰国が叶いますように心より祈っています。

2011年12月14日水曜日

沖縄の基地問題


先日、アメリカ議会上下両院は、沖縄に駐留している海兵隊のグアム移転関連費用を来年度予算は凍結することとしました。普天間基地移設問題と密接に関連している不可欠な予算であることを考えると、沖縄の負担軽減への道のりは更に険しくなったようです。

政権交代時に、「最低でも県外」と大風呂敷を広げたツケが回ってきたようです。最初の段階からボタンの掛け違いがあり、沖縄防衛施設局の局長発言により、ますます沖縄県民の国に対する怒りや不信感が増幅されました。

第一、政府のこの問題に対する対応の仕方がそもそもおかしいようです。まずは同じ日本人である沖縄の人たちの意見を真摯に聞き、そしてアメリカ政府と協議するのがスジというものでしょう。今の政府のやり方は、まずはアメリカにお伺いを立て、もう決定したことだからと自国民に押し付けるというのは本末転倒です。

この際、今回のアメリカ政府の判断をチャンスと受け止め、自らの国は自らで守るといった国防について議論を深め、日米安保改定も視野に入れながら、沖縄の基地問題を解決していくことが重要であると思います。

年々軍事予算を増大させ軍事力を強化させている中国を睨み、アメリカにおんぶに抱っこの現状を改め、憲法の理念を尊びながら自衛隊を今以上に増強させていくことが必要になってきているのではないでしょうか。

2011年12月5日月曜日

他にだれかいないの?

沖縄防衛施設局の局長が更迭されたかと思うと、今度はその監督者である防衛相の更迭へと発展しそうな雲行きです。

就任当初の『防衛については初心者』といったお粗末な発言や、『沖縄少女暴行事件について詳細は知らない』といった呆れた発言などを考えると、どうも日本の防衛を任せられる器ではないようです。まったく国防についての認識がなく、知識も覚悟もないように見うけられます。

まるで田舎の小金持ちのおっさんが政治家になって、小沢氏に媚(こび)をうっていたら、棚からぼた餅的に大臣になれたといった感じがします。いま放映されているNHKスペシャルドラマ、「坂の上の雲」で描かれている明治日本の命運をかけた偉大な政治家や軍人たちとは雲泥の差があります。

このまま職に留まるようでは、本人にとってただ恥をさらすだけでなく、日本国にとっても不幸です。もっと政権内に良い人材はいないものでしょうか。いっそ民間人からの登用を考えて、政権が変わろうが引き続き防衛について責任の持てる人を選んだらどうでしょうか。

近年の中国軍の海洋進出、またはロシアの北方四島での動きをみると、いまの防衛相では不安です。国の安全を任せられる御仁ではないようです。

2011年12月2日金曜日

言葉による暴力


前回、沖縄の基地問題に関して書きましたが、その直後、沖縄防衛施設局の局長による暴言問題が発生しました。

マスコミとのオフレコによる酒の席での発言とはいえ、まさに女性に対する蔑視と、基地負担に長年苦しんでいる沖縄の人達の心情を逆撫でする侮辱的言葉です。更迭では済まされない許されざる言動と言えます。

いわゆるエリートという選良意識が優越感を生み、まったく人の心の痛みの分からない、自己中心的で自分以外の人間を蔑む「小役人」です。哀しいことです。酔って気のゆるんだ瞬間、日頃密かに抱いている差別心があのような発言をさせたともいえます。

この問題により、普天間基地の辺野古への移転がますます難しくなったようです。

2011年11月26日土曜日

昭和天皇と沖縄


沖縄にあるアメリカ軍普天間基地の移転問題は、政権交代直後のボタンの掛け違いによって、一向に進展しない様相を呈しています。

鳩山前首相の「最低でも県外」といった言葉によって踊らされ、現在に至るまで解決の糸口が見つからず、県知事との話し合いも一層もつれています。

このような状態で辺野古への移転を強行すると、おそらく流血騒ぎに発展し、日米安保全体の根幹を揺るがすことになるでしょう。その与える影響は非常に大きいでしょう。したがって普天間基地問題の早期解決は、現状では不可能と言えます。

それにしても何故これほど沖縄にアメリカ軍基地が集中しているのでしょうか? 日本に駐留しているアメリカ軍のほぼ70%が沖縄に集中しています。

沖縄の地政学的に見た軍事拠点としての重要性もあるでしょう。また、中国や北朝鮮を睨んだ東アジアの安定にとって、必要な抑止力としての役割を果たしているとも言えます。

しかし、先日ある本を読んでいて、沖縄がいまのような状況に至った驚くべき事実を知ることとなりました。

それによると、終戦直後、昭和天皇とマッカーサーとの間の通訳を務めた寺崎英成氏の日記に、沖縄が負担しなければならなくなった生々しい記録が残されているそうです。

昭和22年当時の片山・芦田連立内閣に、アメリカ軍から日本防衛のため基地を設置し駐留する話が伝わります。

政府としては、駐留もやむを得ないという判断から、さてどこがいいかと尋ねると、アメリカ側の返答は以外にも、「日本本土のどこでもよろしい」ということだったらしいのです。

しかしその話を耳にした天皇は、なんと、「本土はまずい、沖縄をお貸しする、米軍の沖縄占領継続を認める」と、寺崎氏を通じてGHQへ伝えたらしいのです。彼の日記にははっきりとそのことが記されてあるそうです。

太平洋戦争での激戦地沖縄は、日本本土防衛の捨石とされ、敗戦後は20年近くも占領され、日本へ返還されてからも、長い苦痛を味わっています。

昭和天皇も亡くなられるまで、「沖縄の人たちへは大変申し訳ないことをした」と、さぞかし心を痛めておられたことでしょう。一度沖縄へ行って、直接お詫びをしたかったのかもしれません。

2011年11月17日木曜日

男親はつらいよ。

昨日、最近娘を嫁に出した職場の同僚と立ち話をしていて、おもわず目を伏せてしまいました。

彼によると、もう娘が家にいないという現実に、日々淋しさが無性に募っているとのことでした。娘と一緒に過ごした二十数年という楽しかった日々がしきりに思い出されて、ひしひしと淋しさがこみ上げてくると、しみじみと語りました。無骨な普段の彼からそのような言葉がでてくるとは以外でした。それと同時に、われながら身につまされました。男親というものは、母親以上にツライものでしょうか。

同じように娘をもつ親として、彼の吐露(とろ)した何気ない言葉が胸に迫りました。ウチの娘たちが嫁にゆくには、まだまだ先の話です。しかし将来確実にそういった日が来るのかと思うと、いまさらながら、彼女たちとの今の生活を大切にしていかなければいけないな、と痛感しました。その日の夕飯の会話もいつもより弾みました。これからも娘たちの成長を見守り、ささやかな日々のふれあいを大切にしてゆこうと思います。

気落ちしている同僚に、『いまでは義理の息子となった娘の亭主が始めて挨拶に来たときは緊張したでしょうね』、と訊くと、『そうね、でも娘が気に入った男だから反対してもしょうがなかったしね・・・。でも、ひとことだけ言ってやったよ、俺の娘に手をあげたら容赦しないって』。まるで映画ゴッドファーザーで、妹に暴力を振るった義弟を半殺しにしたソニー・コルレオーネみたいですね。しかし娘に対する強い男親の愛情を感じました。

2011年11月15日火曜日

開国するべきか?

ローマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉に、「歴史は繰り返す」があります。つまり歴史上、過去に起こった事象は、同様にして、その後の時代にも繰り返し起こるということです。

現在賛否両論で議論が沸騰しているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の問題を考えるとき、徳川300年の長い鎖国を解き、開国を決めた幕末期の混乱となぜか重なります。

幕末、米国のペリーに率いられた黒船による砲艦外交に屈して、幕閣はやむなく開国を決断します。1854年(安政元年)には横浜において日米和親条約を結び、その後、安政5年(1858)には日米修好通商条約を結びます。いわゆる日本側に不利な不平等条約です。そして、それを知ったオランダ・ロシア・イギリス・フランスも同等の条約を要求し調印します。

ニュースによると、野田総理がAPECでTPP参加協議へ入ることを表明した途端、カナダやメキシコも参加を表明したようです。どこか幕末の状況に似ていませんか? 今後は余程しっかりと国益を考えて協議をしていかなければ、不平等条約を引き継いで長年大変苦労しながら改定していった明治政府の二の舞になりかねません。

周知の通り、朝廷の正式の許可もなく開国を決めた大老井伊直弼は、攘夷の嵐の吹き荒れる中、水戸浪士たちに桜田門外で暗殺されてしまいます。この事件は幕府の権威を失墜させ、それを契機に日本は明治維新へと突き進みます。

現代の日本もしばらくはこのTPP問題で混乱が続くのでしょうかね。やはり、開国という時代の流れは止められないのでしょうか? つまり、「歴史は繰り返される」のでしょうか。

2011年11月12日土曜日

ああ神様、仏様!

昨日は朝から、東京上野にある東京国立博物館へ行って来ました。今開催されている特別展「法然と親鸞 ゆかりの名宝」を見に行ってきたのです。

明け方から一日中あいにくの雨でしたが、たくさんの参観者でした。それも年寄りばっかり。博物館の中に入ってしまえば雨も気になりませんが、よくもまあこんなに人が集まるものかと、驚きと共にただ感心しました。展示室はどこも大勢の人また人でした。

浄土宗の開祖「法然」と浄土真宗の「親鸞」に関わりのある名宝の数々が展示されていて、大変興味深く見て回りました。11時頃に入館し、出てきたのが3時過ぎですから、4時間近くかけて展示品の一つ一つを丁寧に見て歩きました。終わった頃には足が痛くて、昼食もとらずに見ていたので、空腹でヘロヘロでした。

浄土宗、浄土真宗ともに、誰でも身分の別なく「南無阿弥陀仏」と唱えればーこれを専修(せんじゅ)念仏というー、阿弥陀如来が支配する極楽浄土へ行けるという教えは、当時の人々に広く受け入れられたようです。平安末期、戦乱は絶えず、疫病は蔓延し、飢饉による飢餓が続く現世に苦しむ人々にとって、死んだ後は極楽へ行きたいと願う気持ちが強かったのかもしれません。ちなみに日蓮宗では「南妙法蓮華経」ですね。

しかし日本独自の仏教がこの時代から始まっています。鎌倉仏教から日本の宗教は大衆へと広まったようです。ブッダによる「オリジナル」の仏教にとって、救済という教えはなかったのではないでしょうか。ただ解脱のみ。特に今の葬式仏教をゴータマ・シッダールタが見たら、腰を抜かすのではないでしょうかね。

そんなことを知っていたのかどうか、終戦直後の連合軍総司令官ダグラス・マッカーサーと渡り合った白洲次郎は葬式が大嫌いだったそうです。その遺言には、「葬式無用 戒名不用」の2行だけだったようです。

2011年11月8日火曜日

なんとも羨ましい!

ティッシュ王子こと、大王製紙の創業家出身の井川意高前会長が、106億8千万円という巨額のカネを子会社から無担保で借りた「事件」が世間の注目を集めています。そのすべてのカネをどうもカジノにつぎ込んだらしいというのですから驚きです。まったく金銭感覚が麻痺(まひ)しているとしか考えられません。

ちなみに106億8千万円を算用数字に表すと、

10,680,000,000円 となります。

数字を並べると11ケタです。スゴイですね。そして、これだけのカネを2010年5月から11年9月までの17ヶ月間に使ったのですからね。つまり、1ヶ月に換算すると、6億3千万円あまりです。17ヶ月間毎月1回連続でBIGの1等に当選したようなものです。単純に計算すると、1日あたり2千万円も使ったことになります。朝起きて夜寝るまで15時間だとすると、1時間あたり140万円もの大金を使ったことになります。

大好きなゴルフを毎日365日やったとして、ナント、1951年間もプレーできるんです。邪馬台国の卑弥呼の時代から始めて、源平の戦い、信長・秀吉の戦国期、江戸、明治、大正、昭和を通して、いままでずっと連日ラウンドできる計算になります。200万円の乗用車を5340台購入できる金額ですよ。

やはり生まれながらに大金持ちというのは、ケタが違いますね。3代目というのは、お金の苦労を知らないし、小さい頃から周りにチヤホヤされて育っていますから、一般の人との常識がかけ離れているのかもしれません。多額の「子供手当て」をもらって、一旦政界を去ると言っていたアノ3代目も、その部類ですね。

2011年11月7日月曜日

大切なもの

ある本を読んでいて、「あいうえお」を大切にしましょう、と書いてありました。いったい何のことを言っているのかと読んでみると、

つまり、「あ」は「愛」、「い」は「命」、「う」は「運」、「え」は「縁」、そして、「お」は「恩」です。

「愛、命、運、縁、恩」。

上手いこと言いますね。いまの殺伐とした時代だからこそ、大切にしたいものです。

2011年11月3日木曜日

脱原発

通勤途中の車の中でラジオを聞いています。先日、ある番組のコメンテーターの話にゾッとしました。それと同時に、妙に納得してしまいました。

話題の内容は、今しきりに議論されている将来に向けての日本のエネルギー政策や脱原発に関してでした。深刻な事故を起こした福島第一原子力発電所の原子炉を、一日も早く冷温停止させ、放射能の飛散を防ごうと政府や東電は必死の努力をしています。

しかし彼の話によると、もう原子力発電に関する問題は日本だけの力ではどうすることもできないそうです。いくら日本だけ脱原発を掲げても、国際的な同意が無い限り、放射能を封じ込めることはできないそうです。

つまり、お隣中国は、近い将来、沿岸部にナント100基の原子炉を建設する計画だそうです。最終的には、400基までその数を増やしていく予定だそうです。それもそれらを中国独自の技術で動かしていくらしいのです。

怖いですね。今でさえ、やれ大気汚染によるばい煙や黄砂が日本まで到達しているというのに、もし中国の原発で事故があった場合、放射能は確実に日本列島を覆い尽くします。新幹線事故でも表面化した隠蔽体質を考えると、もし深刻な事故が発生しても正確な情報は発信されないのではないでしょうか。

そう考えると、人類は何と厄介な発電方法を発明したものです。

2011年10月31日月曜日

ゴルフ・レッスン

先日、オーストラリア人のPGAプロからゴルフ・レッスンを受けました。

レッスン料は、約1時間で40ドル、日本円で3千円でした。まずはスイングをビデオに撮ってもらって、撮った映像をパソコンに落としこみ、下半身の動き、上体のひねり、クラブと腕の傾斜角など、スイング中に注意すべき点をチェックしてもらいました。

自分では気づかないポイントをいくつか指摘され、これからの練習に生かせるアドバイスももらいました。一回3千円が高いかどうかは分かりません。だけどプロのコーチにスイング・チェックをしてもらえるというのは貴重です。1打でもスコア・アップにつながれば恩の字です。

彼によると、バックスイングからボール・インパクトまで、クラブがいくぶん外から入ってきているとの指摘でした。つまり、ターゲット・ラインに対して真っ直ぐにクラブが下りてきていないので球筋が安定せず、トップや右方向への引っ掛けの原因になっているとのことでした。まさにスコア・メイクがうまく出来ていない原因です。

今回のレッスンによって、がむしゃらに一人で練習するよりも、ときどき第三者にチェックしてもらい、客観的にいまの状態を見直すことも大事だと再認識しました。人生においても、そういえるかもしれません。

2011年10月25日火曜日

娘よ。

習慣として、夜9時過ぎには2階の書斎に入って本を読んでいるか、寝室のベッド横でパター練習をしています。そして小学生になるふたりの娘たちは、必ず寝る前に部屋へ立ち寄り、「おやすみなさい」と挨拶をします。われながらデキた娘たちです。

昨晩、いつものようにふたりで挨拶に来た娘たちの次女の方が、どうしたのか何故か涙目になっていました。訳をたずねると、何も言いません。長女の方も次女に口止めされているのか、黙っています。また兄弟げんかでもしたのだろうと思って、その後ふたりの寝室を覗くと、次女が布団に顔を押し当てて泣いていました。人生最大の危機ともいった様子です。まさに悲劇のヒロインです。

何があったのか白状しなさいと迫ると、次の日の授業にもっていく算数のノートがどうしても見つからないと泣きながら声をひきつらせて応えました。カバンの中も探したし、机の引き出しもすべて調べたけれど、見つからないと言うのです。仕方がないので、夜遅くまで可愛い娘の為しばらく辺りを探しましたが、結局ノートは見つかりませんでした。

そして今日、仕事から帰宅して夕飯時に、ところでノートは見つかったのかと聞きますと、学校に行ってはじめて先生に最近提出していたのを思い出したとのことでした。まったく人騒がせな娘です。ところが朝の時点でノートがなかった娘は、思いがけない行動をとったそうです。使いきった古い算数のノートの表紙だけをはがして、それに何も書いていない別のノート部分をセロテープで貼りつけて持っていったとのことです。つまり彼女がやったのは偽装工作です。先生に気づかれないよう、大胆にも算数の授業の時にそのカモフラージュ・ノートを使おうと計画したのです。

その報告を聞いて、思わず飲みかけていた味噌汁を噴き出しそうになりました。つまり、学校に行く朝の限られた時間で無い知恵を出して算数ノートを急造し、持っていくことにしたのです。なんとも世渡りが上手なのか、たくましいのか、となりで焼き魚にかじりついている娘の横顔を微笑ましく眺めてしまいました。

娘よ。お父さんは、そんなあなたが大好きです。

2011年10月19日水曜日

遠足

今日は、小学生の娘の遠足でした。

どこへ行ったのかというと、お台場のフジテレビです。貸切バスで首都高を走り、着いたらスタジオ見学だったそうです。ちょうど屋外でお天気番組の撮影をやっていたそうで、一瞬バックに映ってきたと言っています。

小学校の遠足というと、動物園か植物園、または野山の公園までみんなでテクテク歩いて行って、広い芝地に座ってお弁当を食べるというのが定番だと思うのですが、近頃の小学生たちが行く場所はどうも違っているようです。

やはり時代も変わってきたということでしょうか。でもスタジオ見学して帰ってきて、それって『遠足』って呼べるのでしょうかねぇ~。

2011年10月15日土曜日

サザエさん

突然ですが、サザエさんのお父さん、波平さんは何歳だと思いますか? ハゲ頭に髪の毛が一本、あの風貌だと70歳代に見えませんか? 同様に波平さんの奥さん、フネさんも70歳代に見えますね。どうでしょう?

しかし実を言うと、波平さんは54歳、フネさんはそれより2歳若い、52歳だそうです。つまり、波平さんは島耕作より2歳ほど若く、フネさんもピンク・レディーのケイちゃんやミーちゃんより若いことになります。

そう言えば、波平さんはまだ会社に行っていますし、波平さんとフネさんの二人には小学生のカツオとワカメがいます。ちなみにサザエさんは28歳だそうですから、54歳と52歳の夫婦でもおかしくはありません。

どうして二人とも老けて見えるかというと、それは非常に面白いことだそうです。それは現代の日本社会を如実に映しだすと言うのです。と言うのは、サザエさんの連載が始まった1950年代、男性の平均寿命は65歳だったそうで、波平さんがそれよりも10歳ほど若い54歳と言うのは分かるような気がします。つまり、現在の男性の平均寿命は80歳ですから、それより10歳くらい若い70歳代に見えても不思議ではないのです。

生活習慣や食生活の変化、医療の発達によって、平均寿命は確実に伸びています。最近、年金支給開始年齢を68歳に引き上げようという案が出ていますが、この波平さんとフネさんの年齢を考えると、それもありかなと思ってしまいます。

2011年10月7日金曜日

Stay Hungry. Stay Foolish.

スティーブ・ジョブズが亡くなりました。

アップルを自宅のガレージで創業し、世界最大のIT企業にまで育て上げた、アメリカン・ドリームの典型ともいうべき人物です。70年代当時、コンピューターと言えば大型のIBM製の企業用でした。それをマウスによって誰でも簡単に操作できるパーソナル・コンピューター、「マッキントッシュ」を世に送り出したのです。まさに画期的でした。

その後、社内の紛争によって自ら創業した会社を追われます。若い頃から苦労して素晴らしく魅力的な会社に築き上げたアップルを去らなければならなかった彼の心情を思うと、どれほどの無念と苦しみがあったか察せられます。普通であったら、間違いなくそこで挫折し、二度と立ち直れないほどの人生を送るでしょう。

しかし彼の凄いところは、それからなのです。PIXERというコンピューター・アニメーションの会社を立ち上げ、世界で最初の全編コンピューター・グラフィックスによる映画、「TOY STORY」を世に出します。

そればかりではありません。その後アップルに復帰すると、クールな外観の「iMac」、そしてCDが売れなくなった原因をつくったともいわれる「iPod]、電話という概念を破壊した「iPhone」、自ら創造したパーソナル・コンピューターに取って代わる勢いの「iPad]と、矢継ぎ早に革新的な製品を開発し売り出します。

世界の人々の生活を変えたともいうべきこれらの業績をみると、彼のような偉大なビジョナリストは将来もう現れないのではないかと思われます。マイクロソフトを創業したビル・ゲイツさえ、かすんでしまうほどです。いまはただ彼の早すぎる死を惜しむばかりです。

スタンフォード大の卒業式での彼のスピーチは今や伝説となっています。もう一度聞いてみると、何とも胸に響きます。彼の死に対する考えが語られ、自分の好きなことに没頭し、亡くなる寸前まで夢を追いかけ命を燃やし続けた彼の姿が浮かびます。涙が出てきます。

心より冥福を祈ります。

http://news.stanford.edu/news/2005/june15/jobs-061505.html

2011年10月1日土曜日

ささやかな幸せとは

昨日は末娘の9回目の誕生日でした。

お祝に何かご馳走しようと言うと、間髪を入れず、「焼肉!!」、と叫びました。お寿司かステーキ・ディナーと覚悟していましたので、わが娘ながら我が家の家計の心配でもしているのでしょうか、経済的なハッピー・バースデーの夕食となりました。われながらデキすぎた娘です。ヨシヨシ。

近所にある焼肉店へ出かけ、サラダや韓国海苔などと共に、久しぶりに牛肉をタラフクいただきました。帰りはヨメさんが運転してくれると言うので、生ビールもグイグイと飲み干しました。そのせいか今日一日、お腹の調子が思わしくなく、朝からトイレとの往復を繰り返しました。生来、胃腸が弱く、すぐに下痢ピーになってしまいます(苦笑)。

ところで、昨晩、焼肉をほお張りながらフッと感じたことは、やはり家族みんなが元気で平凡に暮らせているということが、いかに幸せなことであるかということです。

大震災で大切な家族を喪った人も多いし、原子力発電所の事故によって、家族がバラバラになり、不自由な生活を余儀なくされている方々がいる現実を考えると、ささやかながらでも家族で末娘の誕生日をお祝いしているということが、何よりも貴重で大切なことだとあらためて感じました。

誕生日おめでとう。お父さんは、これからもあなたの成長を楽しみにしています。

2011年9月28日水曜日

髪はなが~い友達

新聞を読んでいて、ある記事に眼を奪われ、クギづけになる時があります。先日もある小さな記事に眼がとまりました。

『発毛にスイッチ入れる物質を発見…米チーム』

その記事によると、米エール大学の研究チームがマウスを使った実験で、体に毛を生えさせるスイッチを入れる物質を発見したそうです。つまり、薄毛の人や脱毛症の人にとっては朗報です。マウスの体毛も人間の頭髪と同じ発毛メカニズムをもっているのでしょう。毛が生えるということは、その元となる細胞が分裂を繰り返し成長することですが、その細胞にスイッチをいれる物質が何であるかは今までわからなかったようです。これほど医学が進んだ現代においてさえも、発毛させる物質がわからなかったこと自体、不思議です。

研究チームは、毛根の周りにある「脂肪前駆細胞」という部分に注目し、その数を調べたところ、毛が成長する直前に増えていたそうです。そして脂肪前駆細胞ができないようにマウスの遺伝子を操作すると、予想通り毛は成長しなかったらしいのです。つまり、この細胞が育毛にとって重要なカギをにぎっていることを突き止めたわけです。さらに脂肪前駆細胞の働きを調べたところ、この細胞が「PDGF」というタンパク質を作り、PDGFが毛の幹細胞に作用して毛が生え始めることがわかったそうです。

この物質の発見によって、近い将来、有効な育毛剤の開発につながることは確実です。高いお金をはたいて次々に様々な育毛剤を試し、期待ほどには効果がないことに嘆(なげ)いてきた御仁には、まさに夢のような発見ではないでしょうか。大学もこのような人を幸せにする研究をつづけてほしいものです。

さて、私が何故この記事にクギづけになったのか。それについての説明は、省略させていただきます(苦笑)。

2011年9月27日火曜日

小沢帝国の終焉

昨日の裁判の結果は、あきらかに小沢氏に痛恨の一撃を加えたのではないでしょうか。

1審とはいえ、元秘書3名がそれぞれ有罪の判決を受けたことは、小沢氏にとって、監督者としての責任と共に、政治家としての道義的責任は免れないと考えます。

また今回の判決は、来月に予定されている小沢氏本人の裁判に影響を与えるものと思われます。有罪へとつながる可能性が出てきました。検察にとっては追い風となりました。小沢氏も外堀を埋められ、次第に追い詰められた感が否めません。

不自然な金銭の流れをみると、あきらかに何かしらの意図をもって操作したとしか考えられません。裏金授受を隠蔽(いんぺい)するためにとった、一連の行為といえます。

小沢氏の説明責任は、これまで以上に求められるでしょう。誠実に証人喚問を受け、4億円の出どころを明らかにし、自らの関与に係わる疑惑に対して正直に答えてほしいものです。

小沢氏自身、師と仰ぐ田中角栄氏や金丸信氏と同じような道をたどるような気配です。公共工事に絡む利権をとおして構築される金権政治や、それによって私腹を肥やす古い体質の政治家たちは、そろそろ退場すべき時代になったのではないでしょうか。

その意味において、代表格ともいえる小沢氏の議員辞職は必然的であるといえます。これほどの世間の注目を集め、いまだに国民を納得させる説明をしていない小沢氏は、最終的判決を待たず退場すべきものと考えます。

それにしても、東北を襲った3月の震災以来、岩手選出の国会議員という小沢氏は、いったい何をしたのでしょうか。被災地域を現地視察したとも聞かないし、地元のために特別に行動したとも聞きません。彼の眼には美しい郷土の山河が、公共工事によって懐に入ってくる金づるとしてしか映っていないのでしょうか。もしそうだとしたら、哀しい。

2011年9月26日月曜日

ヘンズツウ

どうも最近、厄介な偏頭痛が再発してきました。

夕方ちかくになると、頭がヅキヅキと痛み出します。昨夜は、耐えられないほどの痛みとなり、ずっと横になっていました。おでこや首筋をアイスノンで冷やし、しばらくすると次第に楽になりました。眼鏡を新調して、ここしばらく痛みはなかったので、おそらく眼を酷使していたのが原因だと思っていたのですが、どうもそうではなさそうです。

2年ほどまえに髄膜炎で入院したので、『もしや・・・』、とも思いましたが、痛みも幾分やわらいだので、いまのところ心配はなさそうです。仕事のストレスや過度の読書が原因なのでしょうか。以前特殊な能力をもっていると信じられている外国の方に診てもらったとき、どうもヒザが悪いので、それが元で頭痛が起きているとのことでした。一体、頭痛とヒザの痛みとの間にどういった関係があるのか判りませんが、以前からヒザに痛みがあるのは事実です。ヒザの神経と脳のある部分が直接つながっていて、痛みが連動しているのでしょうか。

偏頭痛の直接の原因は、いまだに現代医学でもはっきりと解明されていないそうです。肩こりや眼からくる頭痛や、ホルモン系の乱れによる頭痛、悩みや気苦労などの精神的疲労による頭痛など、原因は様々で、それぞれが複合して起きる場合もあるようです。脳に関する症状は診断も難しいようで、それだけ複雑である証拠でしょう。偏頭痛は現代病とも言われていますが、やはり食生活の変化やストレス社会で生きている環境の変化が遠因のようです。規則正しく栄養のある食事をし、ポジティブに前向きに生活することが大事かもしれません。

「痛くなったら、はいセデス~♪」

2011年9月20日火曜日

台風前夜

台風がこちらへ向かってきているようです。

明日の午後には、関東へ上陸の模様です。沖縄のあたりで停滞していると思っていたら、急に思い立ったように速度を上げて、日本列島を縦断する気配です。風雨が明日の朝から次第に強くなってきそうです。しばらく残暑が続いていましたが、今回のこの台風15号が、その暑気を吹き飛ばしてしまいそうです。

それにしても日本は自然災害が多発しますね。火山の噴火や洪水、地震や津波など、古来、日本列島には数多くの被害をもたらしています。それも忘れたようなときに突然発生し、大きな爪痕を各地に残していきます。この細長く、弓のように太平洋に向かって張り出した国に住んでいる私たちの一種の宿命なのでしょうか。天災は、抗うことのできない神の意思なのでしょうか。

辛抱強く、コツコツと働き、連帯感に富み、和を大事にする、創意工夫に優れた国民性は、時に牙を剥く過酷な自然との共存の中で育まれたのでしょうか。打ちのめされても立ち上がる強靭な精神力と、静かに心の内に秘めた闘志は、厳しい自然環境で暮らしてきた賜物なのでしょうか。

今はじっと息を殺して、台風の接近を待っている心境です。

2011年9月18日日曜日

ラムネ考

この間ある本を読んでいて、「へえ~」と思ったことがありました。それは「ラムネ」に関するものです。ちょっと前までは、夏の風物詩といった感がありましたが、近頃はあまり見なくなりましたね。

ラムネと言えば、子供の頃、ビンの中にあるビー玉が欲しくて、やたらに割っては取り出していたのを思い出します。いまでもラムネは売っているようですが、最近の子供たちはそこまではしないでしょうね。ビー玉が欲しければ、いくらでも買えますからね。

ところで、その「ラムネ」という呼び方は、実は「レモネード」の発音が訛ったものだそうです。明治時代、日本人は「レモネード」とうまく発音できず、「ラムネ」となったようです。いまでは、ラムネとレモネードはまったく違った飲み物になっていますが、なかなか時代を感じさせる清涼飲料水となっています。

風呂上りには缶ビールもいいけど、プリン体によってポッコリと突き出てくる下っ腹を気にして、これからはラムネもいいかもしれませんね。

2011年9月17日土曜日

東芝製洗濯乾燥機との戦い 第2ラウンド

昨夜以下のようなメールをコジマ電器本社へ出したところ、今日連絡があり、数日のうちに新しい洗濯乾燥機と取り替えますとのことでした。一応苦情というのは言ってみるものですね。それにしても、この9ヶ月のあいだに3台目の洗濯乾燥機です。

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昨年12月に貴社XXX店より東芝製のヒートポンプ・ドラム式の洗濯乾燥機を購入しました。

ところが半年ほどすると、使用途中にまったく作動しなくなりました。早速、XXX店に連絡をとり、3日ほど待たされたあと、修理をしてもらいました。その日は、製品内部のコンピューター基板を取り替えたので、もう大丈夫ですとのことでした。

しかしながら、次の日使用しますと、まったく状態は改善されておらず、同じエラーメッセージが出て作動しませんでした。保証期間ということもあって、苦情を言って新しいものと交換してもらいいました。

ところが、また2ヶ月ほど使用していると、乾燥時にガーガーと異常音が出だしました。新品に取り替えてもらったのにと思って、また修理依頼をしました。また3日ほど待たされ見てもらいましが、今度はコンプレッサーに異常があるとのことで、部品交換をしなければならいないということでした。部品の注文をしますので10日ほど待って下さいとのことでした。

しかしながら、10日待っても連絡はありませんでした。14日ほど経った頃、やっと電話連絡があり、部品の生産が遅れていて10月末まで修理ができないということでした。つまり、修理の依頼をして2ヶ月以上待たされることになります。同じ製品で2台目です。

一体これはどういうことでしょうか? 理解に苦しみます。 散々迷惑をかけておいて、また2ヶ月ほど待てとは・・・。通常は、責任者が来て謝罪をし、また新たな製品に取り替えるのが普通ではないでしょうか。こちらは新品を買っているのですから。近頃は異常音と共に振動も大きくなり、コンプレッサー以外の部品にも悪影響を起こしかねません。

早急の対応をお願いします。折り返しのご返答をお待ちしております。よろしくお願いいたします。

2011年9月15日木曜日

煩悩(ぼんのう)について

石庭で有名な京都の龍安寺には、水戸光圀(みつくに)が寄進したという銭形のつくばいがあるそうです。そのつくばいには「吾唯足知」の四文字が刻まれていて、「われただたるをしる」と読むそうです。つまり、「足ることを知るものは、貧しいといえども富めり。足ることを知らざるものは、富めりといえども貧し」という意味だそうです。

仏教によると、人間が悩み苦しむのは、煩悩(ぼんのう)があるからだそうです。煩悩とは何かというと、身体をわずらわす「煩(ぼん)」と、心をなやます「悩(のう)」を合わせた言葉だそうで、108種類、84,000の煩悩があるいわれます。除夜の鐘を108回つくのは、それら煩悩を打ち砕き消し去るという意味が込められているようです。心身ともに新たな気持で新年を迎えたいという願いからでしょうか。

人が悩み苦しむ原因は、根本煩悩という6種類があって、なんでも欲しがる心や、何事も人を疑ってかかる猜疑心、すぐに他人と比べてしまう卑屈な心、それによって生まれる妬み心など、さまざまな心の状態に起因するようです。「足ることを知らない」と、人はそれら煩悩の中で絶えず迷い、固執し、次第に苦しみ始めます。

つまり、心の平安を求めるならば、しっかりと自分をみつめ、もともと自分は人とは違っているんだという、自分自身の独自性と多様性を認識することだと思います。そして、何事も前向きに、ポジティブに生きる事が大切だと思います。「吾唯足知」を心に刻みましょう。

2011年9月14日水曜日

震災から半年を迎えて

東日本大震災発生から早くも半年が経ちました。未曾有の被害と数多くの犠牲者を出しました。未だに4千人近くの方が行方不明です。出来ることならタイムカプセルに乗って、あの3月11日の地震発生時前に戻って、千年に一度といわれる大津波が押し寄せる前に、すべての人たちが避難できるようにしたいものです。しかし現実は、抗えることのできない運命として受け入れるしかなく、今はただ、おびただしい命が失われたことが悔やまれてなりません。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

2011年9月11日日曜日

コミュニティーについて

今朝は町内一斉清掃でした。

9時から10時までの1時間、町内の中心を貫く緑地の草刈りや草むしり作業をしました。各班の近くにある公園や歩道沿いも作業範囲です。残暑厳しい中、汗だくになりながら、大量の雑草を取り除き、何個ものゴミ袋の山が出来ました。

参加者の顔ぶれを見ていると、やはり毎月作業に出てきている人と、まったく顔も出さない人がいるようです。回覧板で一斉清掃日の通知も出ているし、朝早くから下準備として草刈機で作業している音も聞こえているので、気づかなかったとは言えないでしょうが・・・。清掃が終了するのを、自宅でヒッソリと待っているのでしょうか。

以前自治会長を務めた経験があり、居住地域の環境維持の重要さは認識しているつもりです。したがって、せめて月一回の清掃にはできるだけ出るようにしています。自宅の周りだけでなく、コモンスペースとしての公園や歩道、緑地帯や生垣など、地域住民みんなで綺麗にするというのは大切な事です。

作業が終わって、すっきりと刈り込まれた芝地を見るのは清々しいものです。その後の近所の方とのコミュニケーションも楽しいものです。自分たちのコミュニティーは、自分たちで維持管理していくという心が必要ではないでしょうか。それは自然と、いま住んでいる街を愛する郷土愛につながり、また祖国愛へと発展していくように思います。

愛国心というと、すぐに右派的な捉え方をする傾向にあるようですが、今日のような身近な町内一斉清掃といった作業を通して、自分の国を愛する心が培われるような気がします。まずは妻を愛し、家族を愛し、住む街を愛し、郷土を愛し、祖国を愛す。久しぶりに草むしりをして少々腰が痛い中、つらつらとそんなことを考えています。

2011年9月6日火曜日

弘法大師

今日は有給休暇をとって、東京上野に行ってきました。現在、東京国立博物館の平成館で開催中の『空海と密教美術展』を見に行ってきました。9月25日までですので、見逃さないように今のうちにと思って、マンダラのパワーを浴びてきました。

着いてみると、驚いたことに、ものすごい数の人たちでした。 残暑の暑い日差しの中、入り口から長い行列ができており、30分ほど入館するのに待たされました。弘法大師空海の人気のほどがうかがえました。そのほとんどが老齢カップルで、死ぬ前には一度見ておきたいといったところでしょうか。

展示品のほとんどが、重要文化財か国宝ということで、見ごたえがありました。殊に真言密教美術の数々は、なかなか一堂に会して見る機会もないでしょうから、1200円の入館料は安いものです。それから空海直筆の書は、見る価値があります。中国唐代の書家、顔真卿に引けを取らない書風は、素晴らしいの一言です。

まさに天才ともいうべき弘法大師空海の並外れた知性の一端に触れ、曼荼羅で示された密教の宇宙観を体感することができたように思います。

2011年9月3日土曜日

安全運転

先日追突された件で、やっと先方の保険会社との話し合いが終わったようです。昨晩、ホンダのディーラーから連絡がありました。

見た目にはそれほど損傷はないようでしたが、工場で仔細に調べてみると、やはりずいぶんとヤラれていたようで、修理するのに45万円ほどかかるとのことでした。それに、新車購入の契約を済ませていたので、事故車扱いになって下取り金額が低下したことに伴う差額分も補償してもらえることになりました。また、10月には車検の予定だったので、その分の費用も補償してもらえるとのことです。

なんだか今回追突されたことによって、徳をしたような気分になりました。事故によるムチウチなどの身体的損傷がなかったことが、せめてもの救いです。

みなさん、安全運転でいきましょう。

2011年9月2日金曜日

最後の将軍

約300年続いた徳川幕府の最後の将軍、徳川慶喜(よしのぶ)のひ孫にあたる徳川慶朝(よしとも)という方が書いた、『徳川慶喜家にようこそ』を読みました。

司馬遼太郎作品で『最後の将軍』も読んでいましたし、他の様々な幕末小説にも登場する慶喜ですから、大変興味深く読み終えました。

「ラスト・ショーグン」ともいうべき慶喜は、家康から続いた徳川幕府を終わらせたあと、意外にも、明治・大正まで長生きをしています。

ということは、倒幕の先鋒であった薩摩の西郷隆盛が西南戦争で死んだ時も、そしてまた、大久保利通が暗殺された時も生きていたことになります。一体どういった思いでそれらのニュースを聞いたのでしょうね。

また、大正時代まで生きていたということですから、明治維新から富国強兵へ日本は変貌し、日清・日露戦争での勝利で湧き上がる様子も目撃しているのですから、何とも不思議な生涯だったと思います。

さきほどの本によると、慶喜は晩年になると非常に食べ物に対して神経質になり、いつも水とアルコールランプを携帯し、それで入れるお茶以外は一切口にしなかったそうです。どうも疫病を恐れたようですが、ある時、大好物のきな粉を顕微鏡で眺めていたら、多数の虫がいるのを発見し、それから一切きな粉を食べなかったそうです。

やはり口に入れるものにはそれほどに気をつかったようですので、長生きできたのでしょうか。

2011年8月30日火曜日

一体どうゆうこと??

東芝製の洗濯乾燥機がまた故障です。

以前書いたように、最新ドラム式の洗濯機を買って半年後に故障したので、修理をしてもらいましたが、その次の日には同じ症状で作動しませんでした。それが2ヶ月ほど前です。その時は苦情を言ってそっくり取り替えてもらいましたが、今回は、乾燥時に異常音が出ます。ガーガーといった明らかに正常ではない音です。

早速、コジマ電器に連絡し苦情を言いました。明日修理人が来る予定です。4日待たされることになります。それにしても、この洗濯乾燥機って、リコールの対象じゃないの? こんなに続けて故障を起こすとは信じられません。東芝って、日本で洗濯機を最初に作った会社じゃなかったっけ? 一体どうゆこと??

2011年8月29日月曜日

日本の将来は・・・

今日、民主党の新代表が決まりました。財務大臣の野田氏です。ほぼ自動的に総理大臣となり、新しい首相となります。前与党自民党の安倍晋三首相から数えると、はや6人目となります。まるで1年ごとに替わる生徒会長のようです。短命で終わる首相交替のこの流れも、そろそろ終わりにしてほしいところです。これからの腰を据えての震災や原発対応を考えると、安定政権が一番望ましいように思います。

ところで代表選は、コップの中の権力争いのようでした。まったく国民や震災で被災された人たちの方を向いていませんでした。そして、まるでゾンビのように小沢氏や鳩山氏が顔を出してきて、キングメーカー気取りでした。以前の自民党と何ら変わっていません。

それにしても、刑事被告人や多額の子供手当てをもらっていた人を頼らなければならないような政党とは一体どうしたものでしょう。特に、辞めると言っておきながら、ノウノウと居座っている方の気がしれません。「こんな民主党にした覚えはない!」とか、首相に対してペテン師と呼んでいましたが、よくもまあそんなことが言えたものだと呆れてしまいます。

話は変わりますが、夕食時、新代表の野田氏がテレビでアップになったので、「大仏さんに似てるねぇ」と娘たちに言ったところ、「この人、クルリンパの人にも似てる」と言ってました。誰のことかとウチのに聞くと、ダチョウ倶楽部の上島竜兵だそうです(爆笑)。

2011年8月26日金曜日

車の営業とは・・・

先日、自家用車の後部に追突されたことを書きましたが、結局修理してもらうことになり、新車を購入したディーラーから代車としてレンタカーをもって来てもらいました。

破損したところを見てもらいましたが、予想したよりも「軽傷」とのことで、査定金額もそれほど変更しなくても良さそうだとのことでした。まずはひと安心。ひとまず工場へもっていって、修理をするのにどれくらいの費用がかかるのか調べてみますとのことでした。

驚いたのは、夜も10時半頃にレンタカーをもって来てもらったことです。新車を購入した千葉にあるホンダ・カーズから、営業の担当者と店長のふたりでした。これからまた追突された車を引き取って千葉まで帰るのでしょうから、帰りつくのは夜中の12時頃でしょうね。帰宅できるのは1時を過ぎるのではないでしょうか。

それにしても、車の営業とは大変です。今の時代、自動車販売の世界も競争が激しく、こちらが恐縮してしまうほどの労働時間です。いま考えると、明日の朝でも良かったのにと思ってしまいます。

今の日本を支えているのは、明らかに彼らのような企業戦士ですね。

2011年8月25日木曜日

紳助引退に思うこと

バラエティーの帝王ともいうべき島田紳助が、いわゆる『黒い交際』で芸能界を引退しました。と言うよりも、芸能界を「追放」されたと言った方が相応しいのかもしれません。

高視聴率をとれるタレントということで、彼にはテレビ界もおんぶに抱っこ状態だったようです。天才的な話術で出演者の容姿をけなして笑いをとったり、放送コードぎりぎりのシモネタ話や毒舌で人気でしたが、自らのワキの甘さで足をすくわれたといったところでしょうか。

引退会見で、暴力団関係者との交際について言及していましたが、やはり芸能人として、また、一般社会人として、「アウト」でしょうね。本人は「セーフ」だと思っていたようですが、世間や子供たちに影響力のあるテレビ番組のMCとしての立場や社会的責任を考えると、やはり「退場処分」に値するでしょうね。

引退のニュースを聞いた当初は、いくら反社会的組織の人といっても友人や恩人であれば、それなりに許されるのではないかとも思いましたが、近年の暴力団撲滅の動きの中では難しいでしょうね。仕方がないと思います。残念です。

彼の才能を惜しむ声もあるようですが、これを許してしまうと、自らの会見で言っていたように、「示しがつかない」事態になりかねません。まさに頂点を極めた人が、自らの失敗とはいえ、脱落する落差は大きいですね。しかしまだ55歳ということですから、これから第2の人生をまっとうに生きてほしいと思います。

2011年8月24日水曜日

とんだ災難

今朝、オカマを掘られました。

一応誤解のないように一言、別段そのテの趣味はないのです(苦笑)。つまり、いわゆる後ろから追突事故を起こされたわけです。目撃した人の話によると、相当な衝撃音だったそうです。

歩行者が横断歩道を渡っていたので、その前で停車していたところ、突然ぶつかって来ました。相手は中年女性でした。彼女の車は前の部分が随分破損していましたが、こちらは表面上、数カ所の傷がある程度でした。しかし、後でじっくり見てみると、やはり後部が微妙にゆがんでおり、ハッチバックのドアがうまく締まりません。カギによるオートロックも作動しない有様です。

先方の保険会社から早速連絡が入ったので、事情を説明しました。追突された車は、最近買い替えるために査定を受けていて、新車購入の契約も終わっています。今回の事故により、査定金額が下がることはなさそうですが、あとは先方の保険会社と新車を購入したディーラーとの話し合いになるようです。

いまのところ別段ムチウチの症状は見られないのですが、話によると、事故の当日よりも、一晩寝たあとに痛みが出てくるそうです。明日の朝、何もなく調子が良ければいいのですが。

こんなに追突されたことはないので、宝くじでも買ってみようかと思っています(笑)。 アタルかも。

2011年8月23日火曜日

リーダーシップについて

菅首相の退陣も、とうとう月末となりました。3月11日に発生した東日本大震災と原発事故に対するリーダーシップ欠如が原因で、辞任要求が吹き荒れ、退陣3条件の(1)今年度第2次補正予算(2)赤字国債を発行するための特例公債法案(3)再生可能エネルギー特別措置法案の成立が満たされるからです。民主党による政権交代後、はや3人目の総理大臣が近く指名されます。

井沢元彦氏の著書を読んでいたら、河合隼雄氏の『中空構造日本の深層』という本に、権力者(リーダー)について次のような文章があると書いてありました。

― 日本の場合の長は、リーダーと言うよりはむしろ世話役と言うべきであり、自らの力に頼るのではなく、全体のバランスをはかることが大切であり、必ずしも力や権威をもつ必要がないのである。日本にも時にリーダー型の長が現われるときがあるが、多くの場合、それは長続きせず、失脚することになる。日本においては、長はたとい力や能力を有するにしても、それに頼らずに無為であることが理想とされるのである。

(中略)

最も近代的な組織の運営において、欧米諸国から見ればまったく不可解としか思えないような、統合性のない、誰が中心において責任を有しているのかが不明確な体制がとられていたのである。このような無責任体制も、それが事なくはたらいている時は、案外スムーズに動いているものであるが、有事の際にはその無能ぶりが一挙に露呈されるのである。(中略)日本の近代組織は、時に驚くべき無責任体制であることを示す事実は、枚挙にいとまがないであろう。―

河合氏は、臨床心理学者で『古事記』の分析によって、日本の権力(意思決定)システムを「中空構造」と定義したそうです。この言葉を読むと、まるでこの度の震災や原発事故に対する政府や東電の稚拙な対応ぶりをそのまま指摘したようです。

今度新しく選ばれる総理大臣には、強いリーダーシップを発揮してほしいものです。

2011年8月21日日曜日

川の流れのように

いまからちょうど800年ほど前に、鴨 長明(かも の ちょうめい)という歌人・随筆家がいました。時代は平安時代から鎌倉時代です。彼の随筆に「方丈記」があります。約100年後に執筆された 吉田兼好の『徒然草』、清少納言の『枕草子』とあわせて日本三大随筆と呼ばれるそうです。その有名な書き出しは、

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」

いま目の前を流れている川は絶えず川として見えるけれど、実際はもとの水ではない。では一体それは何だろうか。それは一種の陽炎のように儚いものではないのか。時は流れ、様々な喜びや悲しみが過ぎてゆくけれども、すべては河の流れのようだと言っているように思います。この世の無常観が表れています。震災のあと、この言葉が胸に響きます。

「川の流れのように」 美空ひばり

知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
でこぼこ道や 曲がりくねった道
地図さえない それもまた人生
ああ 川の流れのように ゆるやかに
いくつも 時代は過ぎて
ああ 川の流れのように とめどなく
空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

生きることは 旅すること
終わりのない この道
愛する人 そばに連れて
夢 探しながら
雨に降られて ぬかるんだ道でも
いつかは また 晴れる日が来るから
ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように 移り行く
季節 雪どけを待ちながら

ああ 川の流れのように おだやかに
この身を まかせていたい
ああ 川の流れのように いつまでも
青いせせらぎを 聞きながら

2011年8月19日金曜日

ウソのようなホントの話

今日、あるアメリカ人から信じられないような話を聞きました。

最近起きた大阪でのバラバラ殺人事件について無駄話をしていたところ、以前彼もノコギリで死んだ牛をバラバラにしたことがあるとのことでした。彼の話によると、14歳の頃、アメリカ中西部の農場に住んでいて、伯父さんに死んだ牛の処分をするように言われ、仕方なくノコギリでバラバラにし、大きな穴を掘って埋めたそうです。

なぜそんなことをしたかというと、とても一人では死んだ牛を牛舎から運び出すことが出来ず、移動するトラックもなかったので、牛の身体を切り刻んで捨てたそうです。やってみると以外に簡単に切断することが出来たと言っていました。本当なら、凄い話ですね。

なぜそんなヒドイことを伯父さんは命じたかというと、その当時、14歳の彼には車の窃盗容疑がかけられており、警察の追跡から逃れるため、その伯父さんの家に潜伏していたらしいのですが、伯父さんからバツとして死んだ牛の解体を命令されたそうなのです。

その街にはたった一人しか警官はいなかったそうですが、ある日、街中を運転していたら突然停止するようサイレンを鳴らされ、執拗に追跡されたので、猛スピードで逃げ切ったそうです。そして伯父さんの家にやっとの思いで逃げ帰ったということです。

しかし、彼によると、車を盗んだ覚えはなく、伯父さんに「いつでも使っていいよ」と言われていたので運転したらしいのです。つまり、その車は、まさに盗難被害が出ていた車だったのです。その伯父さんは警官に見つかってしまったことに腹を立て、バツとして彼に牛の解体を命じたとのことです。

凄い伯父さんですね。それにしても、驚きです。

2011年8月18日木曜日

漂流民たち


物の本によると、江戸時代、格段に商品の流通が活発になり、街道を馬で運搬するよりも、盛んに船を使って物資を運ぶようになったそうです。大きな一枚の帆を張った千石船と呼ばれる木造船で、米や酒などを大消費地江戸へ運んでいたそうです。

しかし、不幸にも途中暴風雨などに会って、太平洋岸を絶えず流れている黒潮につかまり、大海へと漂流した船乗りたちがいたようです。井上靖の小説『おろしや国酔夢譚』などで知られる大黒屋光太夫もその一人です。

それら漂流民のなかで、幸運にもアメリカの捕鯨船などに保護され、遠くアメリカ大陸まで連れていかれた者たちもいたようです。またある者は、その後帰国することができ、異国での貴重な体験を口述しています。

当時の日本は鎖国状態であり、キリシタン禁制でしたので、彼らはまず奉行所で調べられています。その時の記録が今でもたくさん残っているそうです。その筆記録の中に、英語の会話集というものがあり、漂流民たちが現地で覚えた単語が書かれてあるそうです。

たとえば「水」は、「ワーター」とか「ワラ」と書いてあるそうです。ちなみに「グモー」は「グッドモーニング」で、対訳は「おはようござりまする」と日本語で書いてあるそうです。面白いですね。「サンキュー」は、「かたじけのうござりまする」とか、食事の時などに耳にしたのでしょう、「ちょうだいつかまつりまする」と書いてあるそうです。とくに面白いと思ったのは、パンの「ブレッド」は、「ブレ」と書いてあり、訳は「麦餅」としています。「ハム」は「獣肉の蒲鉾仕立て」(笑)。

吉村昭の本にのっていたのですが、漂流民たちが最も驚いたことに、「キス」があるそうです。当時の日本人にとって、キスをする風俗はなかったので、初めて男女がキスをする姿を見たときは、さぞかし驚いたことでしょうね。

先ほどの会話集のなかにも「キス」についてのことが書いてあり、「互いに口をなめあうことなり」と書いてあるそうです。思わず笑ってしまいます。または、「互いに唇を強く吸い合いて、チューというなり」とも書いてあるそうです。そして非常に面白いのは、その説明文の下には必ず、「甚だ汚らわしき風俗なり」などと書いてあるようです。

この紋所が目に入らぬか!

超がつくほどのマンネリTV番組といえば、「水戸黄門」ですが、その時代劇の定番ともいえる長寿番組も、やはり時代の流れには逆らえないようで、今年でついに幕をおろすそうです。残念ですが、仕方ないでしょうね。

小さい頃は、よく観ていたような記憶がありますが、最近はトンと観ていません。いかにも憎たらしそうな悪代官が登場して、助さん格さんが颯爽と太刀まわりをして、ひとまず悪人たちを懲らしめたかと思うと、最後にはお約束の葵の印籠を出して、白いあごひげの黄門様の登場です。最初から明らかに結末が分かっていても、ついつい観てしまっていたような気がします。究極のワンパターン番組です。

いま思うと、よくもまあ同じような話が毎週出来たものですね。まったく同じ顔の悪代官が、数えきれないほど「出演」していたのではないでしょうか。また、格さん助さんに斬られても斬られても、同じ顔の悪人どもが次から次に出てきていたようにも思います。それも同じようにカメラ目線の派手な死に方で、画面の外へ消えてゆきます。

そう言えば、「暴れん坊将軍」もしばらく観ないですね。番組では、松平健が、主人公の享保の改革をした徳川七代将軍吉宗を演じていました。吉宗といえば、さまざまな倹約令を出して困窮していた幕府財政を再建した人です。将軍みずから1汁3菜だけの食事をし、絹の代わりに木綿を着ていたそうです。

特に、大奥の経費を大幅に削ったそうですが、ある本によると、大奥の女たち50人をリストラし、意図的にすべて美人を選んだそうです。その理由がふるっています。「美人なら、職を失っても良縁に恵まれて、すぐにでも他家に嫁ぐことができるだろう」といったそうです。ホントかなぁ。

2011年8月16日火曜日

エアコン

ついに、2階の子供部屋のエアコンが故障しました。

かれこれ12年ほど使用しましたので、そろそろ寿命かなと思っていた矢先でした。おそらく長年使用しているうちにガスが抜けてしまったのでしょう。スイッチを入れると、設定温度を下げても、なま暖かい送風だけになりました。12年も使えば、完全に元はとったと考えるべきでしょうね。

娘たちは連日の暑さのため、エアコンなしではぐっすり寝ることもできず、毎晩1階和室に布団を敷いて寝ていました。仕方なく、千葉の義兄の家へ遊びにいく前日、コジマ電器で新しいエアコンを購入しました。都合よく、帰宅した次の日の朝には取り替えてもらうことが出来ました。快適です。

購入時は、どこのメーカーのエアコンが良いか比較検討しましたが、先頃のドラム式洗濯機「故障事件」から、まずは東芝製は敬遠しました。その代わり、現在使っている家電製品の耐久性の観点から、パナソニック製に決めました。あっても使いそうもない様々な機能がついているよりも、シンプルなデザインで、基本的な機能が問題なく作動する方が、長い目で見た場合、価値があるように思います。

1階和室のエアコンも、そろそろ購入後10年になり、いつ故障してもおかしくない状態です。この夏だけでも何とかもってもらいたいものです。

2011年8月15日月曜日

夏休み

夏休みから帰ってきました。1月にサンフランシスコの友人宅で1週間の休暇をとって以来の休みとなりました。別段、帰省や海外旅行をしたわけではありません。ただただ毎日ノンビリと読書などして、日頃の慌ただしさから逃れられたようです。ブログもその間お休みしていましたが、今日から再開です。 

今年は、家族を連れて、千葉の佐倉に住んでいる義兄の家へ遊びに行ってきました。滞在中は、近所にあるプールに子供たちを連れて行き、同じ施設内にある様々な種類のお風呂やサウナを満喫してきました。本当に久しぶりにリラックスしました。夕食は、キンキンに冷えた生ビールで乾杯をし、天ぷらやマグロ丼を堪能しました。一年に一度くらいは、親戚づき合いも良いものです。

帰りは夜遅く出発したので、高速道は渋滞もなく、スムーズに家路につくことができました。ヤレヤレ。

2011年8月9日火曜日

若いってイイねぇ

近頃、どうも年をとって若い妻をもらうのが流行っているようです。

最近驚いたのは、68歳になる加藤茶が45歳年下の23歳の女性と結婚しました。新婦は、実の娘とも年が近いそうです。また、ついこの間は、タレントの堺正章65歳が、22歳年下の一般女性と結婚したことを発表しました。なんと3度目の結婚だそうです。

ただただ羨ましい限りです。男は幾つになっても、若い女性が好きですね。しかし、68歳と65歳といえば、失礼だけど、ジジイですよ。正直、もう明らかに年寄りです。よくもまあ相手の女性も決心しましたね。それにしても、他に男性はいくらでもいそうなもんですけど・・・(失礼)。

いくら何でも財産目当てではないでしょうが、結婚生活もあと数年もすると、介護という現実が待っているでしょうし、テレビでは元気な姿を見せていますが、いったん家に帰ると、やれ腰が痛いだとか、入れ歯の具合がどうだとか、夫と見ると、一体どうなんでしょうか?

しかし、しかし、羨ましい(苦笑)。

2011年8月7日日曜日

アメリカの斜陽

『ルポ 貧困大国アメリカII』を読みました。先日読んだ本の続編です。

それによると、いまのアメリカには、「Yes, We Can」と「Change!」の明確なスローガンで黒人として初めてのアメリカ大統領に上り詰めたオバマ氏に対する失望感が拡がっているとのことです。暗黒のブッシュ大統領時代の中、新たなヒーローとして閉塞感を突き破ってくれるのではないかという過度の期待からのギャップが、いまの支持率低下につながっているとのことです。

やはり、何も変わっていない。経済は悪くなる一方だし、社会保障制度改革も尻すぼみで終わり、リーマン・ショックと膨大な戦費による莫大な借金が重くのしかかっています。追い討ちをかけるように、いままで一度も格下げを受けたことのないアメリカの国債がとうとうアメリカの大手格付け会社「スタンダード・アンド・プアーズ」によって、最も信頼度が高い「AAA」から1段階引き下げられたそうです。強いドルをもとに、世界をリードしてきたアメリカに、次第に陰りがみえてきたようです。

そんなアメリカの状況を見ると、政権交代を成し遂げ、いままで硬直した自民党政治を変えてくれるのではないかという民主党に対する期待感がもろくも崩れ去った日本と、どこか似ているような気がします。

2011年8月5日金曜日

夏休み

サア、明日から夏休みに入ります。ちょうど土日を含めて9日間です。ゆっくりと身体を休めて、仕事による日頃のストレスを解消しようと思います。

別段何をしたいということもなく、お盆の帰省をする予定もありません。旅行に行くわけでもなく、珍しいことにゴルフの予定も入っていません。唯一の予定といえば、千葉の義兄のところへ泊まりがけで遊びに行くくらいでしょうか。

時間がタップリとあるので、日頃忙しくて読めないような本でも読破しようと目論んでいます。まずは「鎌倉仏教」についての本。それから「科学や法律」関連の本。いまからワクワクしています。

ヨシ、読むぞー!

2011年8月4日木曜日

人生のエネルギー量

サッカー元日本代表の松田直樹選手が今日亡くなったそうです。死因は急性心筋梗塞だったようです。まだ34歳という若さで、まだまだこれから十分活躍できただろうに残念です。

本人にとっても無念だったでしょうね。しかし、愛するサッカーのグラウンドで倒れ、心肺停止状態で病院へ搬送されて、一度も意識が回復しなかったそうですから、ある意味、本望だったかもしれません。真の役者は、舞台で最後を迎えたいと思うそうですから・・・。

通常、心筋梗塞というと、比較的年配の人やほとんど運動をしない肥満体型の方に多い病気のような気がしますが、現役でバリバリのアスリートに突然起こるとはまさに悲劇です。家族の心痛を思うと、胸が痛みます。心よりご冥福をお祈りいたします。

不謹慎ながら、不思議なことに、非常に才能が溢れ活躍した人たちが、とくに若いうちに他界するというのは、意外とあるようです。最近では、先月の23日にロンドンで急死した英歌手エイミー・ワインハウスです。27歳でした。若いですね。

また巷では、27歳で他界したロックスターは多く、その悲劇のスターたちは「27クラブ」と呼ばれているそうです。ローリング・ストーンズ設立メンバーのブライアン・ジョーンズ、ギタリストのジミ・ヘンドリックス、歌手のジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリソン、ニルヴァーナのカート・コバーンらを含む大勢の「メンバー」がいるようです。

人間の一生には、限られたある一定量のエネルギーがあって、若いうちにそのエネルギーを使い果たしてしまうと、急にロウソクの火が消えたみたいに亡くなってしまうのでしょうか。特にショービジネス界において多いような気がします。たとえば、ジェームス・ディーン、マリリン・モンロー、ジョン・レノン、松田優作、夏目雅子、マイケル・ジャクソンなどなど。

長生きをしたいのなら、できるだけエネルギーを消費しないように、毎日ほそぼそと過ごすのがいいのかもしれません。でも、そんな人生も退屈でつまらないしなぁ。

ちなみに幕末の長州で「奇兵隊」を結成して、坂本龍馬同様、若くして波乱の生涯を閉じた高杉晋作に辞世の句があります。それは、「おもしろきこともなき世をおもしろく・・・」だったそうです。

2011年8月3日水曜日

新しい戦争のかたち

今朝出勤中にラジオを聞いていると、あるジャーナリストが非常に興味深い話をしていました。その時の話題は、おもに近年増強している中国の軍事力のことでしたが、彼によると、これからの戦争はサイバー攻撃によるものだそうです。

インターネットを介して敵のコンピューター・システムやネットワークへ侵入し、軍事機密を盗んだり、諜報活動やデータ破壊などの攻撃をする行為です。強力なコンピューター・ウイルスに感染させたりもして、敵の軍事システム全体を混乱させて、戦闘行為を出来なくすることです。

現在ほとんどの戦闘機や艦船、最新兵器などは複雑なソフトウェアが内蔵され、ネットワークによって作動しているようです。戦略・攻撃システムなども同様です。つまり、いくら強力な軍事力と部隊組織をもって、最新鋭のミサイルやレーダーシステムを備えていても、それを動かすコンピューター・システムやネットワークが破壊されると、すべてが動かなくなるのです。たとえば、筋肉ムキムキで強靭な身体を持っていようが、角膜や鼓膜などに狙いを定めて破られると極端に戦闘能力が低下するようなものです。

最近アメリカの国防長官が、もし他国によりサイバー攻撃を受けた場合、すなわち戦争行為とみなすと表明しています。アメリカ軍では、この新しい脅威に危機感をもち、優秀なハッカーたちを採用し、サイバー軍部隊を組織したようです。あまり知られていませんが、中国と台湾の間では、サイバー戦争状態になったこともあるようです。

こんな話を聞くと、まるでSFの世界のような話ですね。ネット空間で戦争をしているオンライン・バーチャル・戦闘ゲームのようです。しかし実際にミサイルを撃ちあう、核戦争にだけはなってほしくありませんね。

2011年8月2日火曜日

新たな「やらせ」問題

一体この国は、どうしてこのようになってしまったのでしょうか?

九州電力による「やらせメール」に始まり、父親が九電職員だったという佐賀県知事の原発運転再開への関与疑惑、そして今回の経済産業省原子力安全・保安院の元課長が、四国電力に対して国主催の原発シンポジウムへ社員を積極的に参加させるよう依頼した問題。原発を監視するべき機関が一緒になって「やらせ」をし、原発推進へ世論誘導をしていたことに、ただただ驚くとともに呆れ返ってしまいます。

すべては自分たち事業の保全と企業の利益だけを重視し、住民の健康や安全に対してはまったく無視しているようです。これこそ自分だけ儲かって損をしなければ全て良いといった、究極の拝金個人主義です。海江田万里経産相もこの報道には驚いているようですが、これから第三者機関を通して保安院の徹底的な調査をお願いしたいところです。

ところでこの保安院、そう言えばついこの間、女性問題でテレビから姿を消された人もいましたね。それに今回の「やらせ」問題、貴重な税金を食い物にして今までどのような仕事をしてきたのでしょうかねぇ。猛省を求めたいと思います。

2011年8月1日月曜日

言葉のもつ力

本を読んでいると、ふっと目の前が明るくなって、一瞬、世界がひろがったような気分になることがあります。突然ふんわりと心が軽くなるといった感覚でしょうか、なんとも言えない幸福感です。最近そんな文章に出会いました。

これまで司馬遼太郎、吉村昭、松本清張、浅田次郎作品などを愛読してきましたが、近頃読み始めたのが藤沢周平です。藤沢の小説には、必ずと言ってよいほど懐かしい美しい日本の原風景が描かれています。そしてそれらの小説に登場するのが架空の藩である「海坂(うなさか)藩」です。

先日、ベッドに横になって彼のエッセーを読んでいたら、以下のような文章がありました。

「海辺に立って一望の海を眺めると、水平線はゆるやかな弧を描く。そのあるかなきかのゆるやかな傾斜弧を海坂(うなさか)と呼ぶと聞いた記憶がある。うつくしい言葉である。」

まさにこの一文を読んで、藤沢周平の小説の舞台がさらに澄み切ったように感じました。じんわりと心に響きました。なんと日本語というのは美しい言葉を持っているのでしょうか。

2011年7月31日日曜日

夏祭り

昨日と今日と二日間、町内の夏のお祭りでした。例年「サマーフェスティバル」と呼んでいます。自治会主催の盆踊りをメインにした年一回のお祭りです。

町内のほぼ中央に位置する公園に、鉄骨でやぐらを組み、提灯で飾り付けをして、周りには模擬店を出しています。自治会各部がそれぞれ焼きソバ、たこ焼き、焼き鳥、おでん、カレー、フランクフルト、かき氷、綿アメなどを金券をもとに売っています。当然生ビールもありますし、子供たちにはヨーヨー釣りやスーパーボールすくいなどもあります。

7年前には自治会長を1年間務め、サマーフェスティバル実行委員長もやったので、開催までの準備や模擬店食材の調達、余興出演者の手配、音響、照明、テント設営など大変なのは十分知っています。今年度の自治会役員の方々には本当にお疲れ様でした、と言いたいところです。しかし今年は、雨に少々たたられたのが残念でした。

最近は近所付き合いなど地縁関係が希薄になってきている中で、このような自分たち住人の手でイベントを開くことはとても重要なことではないでしょうか。地域の子供たちにとっても将来懐かしい思い出となることでしょう。大人たちはこの機会をイイことに、呑んだくれてますけどね。

2011年7月30日土曜日

書評 ― 堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』


『ルポ 貧困大国アメリカ』を読みました。堤未果という新進気鋭のジャーナリストによって書かれた生のアメリカの実情です。

自由で豊かなアメリカのイメージが崩れ去るような内容です。ブッシュ大統領時代に、「競争」という美名のもとに推し進められた民営化によって、貧富の差が広がり、格差社会が生まれ、医療、教育などに様々な歪(ひずみ)が生まれたようです。

はたまたイラクやアフガニスタンでの戦争でも民営化が進み、チェイニー前副大統領が以前会長をつとめていた「ハリバートン社」の下請けが、紛争地域での輸送業務や戦争屋ともいうべき傭兵を送り込んでいるという実態が描かれています。おもに貧困で喘いでいる移民や低所得者をターゲットにして雇い入れている事実が明らかにされています。

人権問題など他国に対しては手厳しいアメリカにおいて、このような人権を無視した行為が行われていることに驚きました。アメリカ社会の影の部分を鋭くえぐり出した秀作です。
  

2011年7月28日木曜日

定期健康診断を終えて

今日は朝から定期健康診断に行ってきました。

身長、体重測定に始まり、胸部レントゲン、心電図、胃検査、尿検査、視力、血圧測定、聴力、診察問診、腹部測定、採血で終わりです。8時45分からの受付で、すべて終了するのに1時間ほどかかりました。昨晩から食事をしていなかったので、終わった頃はフラフラでした。

何度受けても胃検査の時に飲むバリウムは苦手ですね。牛乳のように白くて、X線を通さないので胃のかたちや影を撮影するのに使用されます。消化管を造影するのに使用される水溶性の硫酸バリウムです。検査のあとは、水を大量に飲んだので、あとは白いウンチが出るのを待つだけです。

以前の健康診断で実施していなかったものに、腹部のサイズを測るものがあります。いわゆるメタボ診断です。「はい、お腹を出してください」、と看護師さんにメジャーを回されると、意識的に下腹を凹ませようとするのは、ささやかな抵抗でしょうか(苦笑)。

2011年7月27日水曜日

高速鉄道事故の対応

高速鉄道脱線死傷事故に対する中国当局の対応が次第に変わってきています。

あれほど慌ただしく破壊し土に埋めた車両を掘り起こし、徹底的に事故原因究明をするとのことです。やはりネットなどを通じて高まった鉄道省または中国上層部に対する不信と憤りが、なんとか早急に穏便に事態を収めようとした当局を動かしたものと思われます。

中国政府の威信も丸潰れです。いままでのように言論統制をしようにも、次から次に溢れ出すネットでの批判には対応しきれないということのようです。今回のこの事故への対応を誤ると、市民の不満は北京の中央政府へと向います。そして1989年6月4日に起きた天安門事件のような暴動へ発展しかねない恐れがあります。政府は何とか沈静化させたいことでしょう。これから考えられることは、事故に至った責任のなすり合いをし、誰か鉄道省の幹部か業者を吊るし上げ、トカゲの尻尾切りに専念することでしょう。

共産党中央委員会総書記の胡錦濤氏も来年秋には交代でもあり、現在ではレームダック状態のようです。つまり今回の事故が、今後の中国上層部の権力争いの道具にされそうな予感があります。いつもなら真っ先に現場に出てきて、指揮をとっていた首相の温 家宝氏もまったく影を潜めています。事故に伴った政争に巻き込まれたくないために距離を置いているのかもしれません。

しばらくは目が離せない情勢です。

2011年7月26日火曜日

中国高速鉄道脱線死傷事故について

中国で起きた高速鉄道脱線死傷事故は、起こるべくして起きたというべきでしょうか? 日本や欧州各国の技術の寄せ集めであるにもかかわらず、あたかも自国独自で開発したように吹聴していました。コピー商品が平気で売られる社会ですから、それも仕方のないことかもしれません。今考えると、国威発揚目的のためとして、国の威信をかけて突貫工事で完成させた高速鉄道には、やはり問題があったと言えそうです。

そういったハード面の問題に加えて、ニュースで報じられているように、運転手の経験不足や技量の問題、またシステムを支障なく作動させる人的ソフト面にも問題があったようです。まさに今回の事故は人災です。日本でも半世紀をかけて新幹線網を整備してきたのに、ほんの短期間でミスもなく安全に運行させるには、さすがに無理があったのではないでしょうか?

それにしても事故原因の究明も終っていないうちに、早々に破損した車両を破壊し土の中に埋めるとは・・・信じられません。あくまで証拠隠滅のためにやったとしか考えられません。また驚くことに、鉄道省の広報官が発表していたのは、現場の土壌が雨でぬかるんでいて事故処理が困難だったため、やむなく車両を埋めたとのことでした。その弁解には呆れてしまいます。

この事故への対応をみると、いかに世界第2位の経済大国になったといっても、中国はまだまだ国のレベルが低い、発展途上の国だなぁ、とつくづく思います。

2011年7月25日月曜日

書評 ― 差別と日本人(野中広務・辛 淑玉)


考えさせられる本でした。新聞に出ていた「新書ランキング」で上位にあったので、早速購入して読みました。元・衆議院議員で部落出身の野中広務氏と在日の辛 淑玉女史の対談集です。

普段は気にもかけない差別という問題について、自らの体験を基に日本人の心の中にある差別感情やそれに基づく行為などについて語り合っています。野中氏の政治家を目指した志というものが、この社会から差別を無くし、また被差別の人たちが被害意識を逆手にとって自己の利益へ誘導するのを防ぐ政策を立てていくことであったということに心を打たれました。少々彼の自慢話の感もありますが、何のために政治家になったのかも分からない今の議員たちにぜひ読んでほしい本です。

辛 淑玉女史はというと、あまりに被害妄想がひどいようで、やたらに日本人が在日の人たちを差別しているような話しぶりです。個人的に在日の人を知っていますが、非常に心あたたかく、スマートで、日本人以上に素晴らしい人です。差別と言うのは、あくまでも自らの思い込みによるところがあるように思います。彼女のように一方的に差別を受けていると訴えている方が、ますます差別感情を増幅させるような気がします。

しかし悲しいことですが、差別というのはどうしてもこの社会からは無くならないでしょうね。人間にとって、他人との優位性を感じながら生きてゆくのは、避けられない種の本能ともいうべきものかもしれません。先日起こったノルウェーでの無差別テロも、移民に対する増悪というものが理由のようです。子供たちのイジメ問題も、やはり自分より劣っていると感じる対象を攻撃するという差別意識から引き起こされているようです。

人類みな兄弟。同じ人間どうし、お互いを思いやり、素直な心で接することが大切だと思います。

2011年7月24日日曜日

山登り

昨日は大楠山に登ってきました。三浦半島で一番高い山です。半島のほぼ中心部にあって、頂上からは東京湾や相模湾が一望です。

夏休みに入っている娘たち二人を連れて行きました。台風の影響でまだ少し風がありました。途中、衣笠城址を過ぎて、およそ2時間のハイキングです。森林の中を進むと、木の間からリスが出てきたり、目の前に突然美しい黒アゲハ蝶が現れたりと、自然を満喫することができました。

初めての山登りということもあって、二人の娘も大喜びでした。頂上ではおにぎりを食べ、記念の写真を撮りました。遠くには薄青く富士山も見えました。やはり山登りは頂上に到達したときの達成感が爽快です。眼下に拡がる景色を眺めていると、登りのキツさは忘れてしまいます。

しばらく休んだあと、三人で大きく深呼吸をし、下りはじめました。登りに比べて、下りはずいぶん早く、1時間半ほどで帰りつきました。娘たちが、「山を歩いている時よりも、コンクリートを歩いている時の方が足が疲れる」と言っていました。家にたどり着く前に、コンビニに寄って、アイスクリームを買って、三人それぞれ頬ばりながら帰りました。娘たちには良い夏休みの思い出になったことでしょう。早速、日記をつけていました。

しかし、それにしても、今日はひどい筋肉痛!(苦笑)

2011年7月22日金曜日

脳の不思議

脳の中にある神経伝達物質のひとつにアセチルコリンがあります。脳というのは一種のケミカルマシーンです。およそ1千億もある神経細胞(ニューロン)の一つ一つは、また約1万もの他の神経細胞とつながっているそうです。まさにそのネットワークは無限といえます。

そのひとつのニューロンと別のニューロンとの継ぎ目がシナプスと呼ばれ、その間を神経伝達物質が絶えず流れています。アセチルコリンも、その無数の神経細胞の網の目をジワ~っと拡がっています。

近年問題になっているアルツハイマー病は、このアセチルコリンの不足によって引き起こされる病気だそうです。いわゆるボケといわれるものには、脳梗塞や脳出血で起こる認知症とこのアルツハイマー病があります。100年ほど前にドイツの精神科医アロイス・アルツハイマーが発見したそうです。

つまりアルツハイマー病を治すには、この神経伝達物質のアセチルコリンの働きを活発にすれば良いわけです。そして非常に興味深いのが、アセチルコリンの増強薬としてもっとも有名なのが「サリン」だそうです。そうです、あのオウム真理教によって引き起こされた地下鉄サリン事件に使われた「サリン」です。

不思議ですね。サリンはその他に、すっかり忘れていた過去のさまざまな記憶も鮮明によみがえらせるそうです。地下鉄サリン事件の被害者たちも、思い出そうとしなくても次から次に昔のことが溢れるように思い出され苦しんだそうです。そう考えると、人間にとって、「忘れる」ということは必要なことのようです。

また私たちが毎晩みる夢も、このアセチルコリンによって作られているそうです。脳というのは、広げると新聞紙1枚ほどの大きさだそうですが、その働きは何とも不思議で未知の領域です。

2011年7月21日木曜日

水の怖さ

大型で非常に強い勢力をもった台風6号は、一旦、南東の海上に抜け、三陸沖を北東へ向かっているようです。幸いにも関東直撃は免れました。

しかし西日本各地では、豪雨による土砂崩れや床上浸水などの被害が出ているようです。降り始めからの総雨量が1000ミリを超えたところもあったようです。72時間程の間に1メートルを超える雨が降ったことになります。凄まじい量ですね。

1982年7月23日の長崎大水害を経験しましたが、あの時の雨の降り方も尋常ではなかったのを覚えています。よく「バケツの水をひっくり返したような雨」という表現を使いますが、それ以上のものがありました。目の前が見えなくなるほどの雨量でした。恐怖を覚えるほどの水の量でした。東日本大震災での津波のように、水の持つ威力は侮れないものがあります。

それにしても今回の台風の進路は変わっていました。まるで理由(わけ)あって関東地方を避けて進んだようでした。近づくにつれて大きくカーブを描くように離れてゆき、放射能汚染を恐れているかのように原発方面には向かいませんでした。大量の汚染水を抱えている原発に豪雨がなかったことが幸いです。

2011年7月20日水曜日

興奮冷めやらず

ワールド・カップ優勝の興奮が続いています。連日、なでしこジャパンの選手たちや監督は各局のテレビに出ずっぱりのようです。成田を出発したときには関係者だけの見送りだったそうですが、偉業を成し遂げて帰国した選手たちを待ち構えていたのは大勢のファンと報道陣でした。あまりの落差に彼女たちも戸惑ったでしょうね。

東京の石原都知事も言っていましたが、彼女らには「ありがとう!」という感謝の声がもっとも相応しいように思います。3月の震災とまだ先の見えない原子力災害で落ち込んでいる日本人の心に、あの最後まで諦めないで優勝を勝ちとった彼女らの姿が、元気とパワーを与えてくれたことは明らかです。都知事も言っていたように、何で銀座で優勝パレードをやらないのでしょう? ワールド・カップで優勝トロフィーを掲げたときに舞い上がった紙吹雪を、日本でも彼女らに贈りたいものです。

石原さん、オリンピックもいいけど、女子のワールド・カップ招致を目指したらどうでしょう?

2011年7月19日火曜日

クワバラ、クワバラ

面白い記事を見つけました。前行政刷新相の蓮舫参院議員のブログが炎上しているそうです。

事の発端は、蓮舫議員がツイッターで「なでしこJAPAN、優勝!! すごいです」と書き込んだことのようです。どういう事かというと、先に華々しく事業仕分けしたその中に、「スポーツ振興金」が入っていたらしいのです。つまり、彼女らのようなスポーツ選手の活躍をサポートするようなお金をカットしておいて、なにが「すごいです」だ、ということのようです。「よくもまあ、そんなことが言えるなぁ」と、いうことでしょう。

なでしこメンバーの多くは、やはりサッカー選手としてだけでは生活できず、アルバイトをしながらの苦しい生活を強いられているようです。 それに比べて、夏のボーナスで614万円もらっているし、なでしこメンバーの凱旋帰国もエコノミーなのに蓮舫議員は移動に専用ジェット機を使っているなど、「そんなあなたに言われたくない」とか、 「えっ? 1番駄目なんでしょ? どうして喜ぶの? 白々しいわ!」、などの書き込みが急増しているらしい。

これらの意見(?)を読んで、イヤハヤ蓮舫さんもどんな顔をしているのでしょうかねぇ。ファンたちの怒りは収まりそうもなさそうです。

2011年7月18日月曜日

これからの日本にとって女子力?

なでしこジャパン、ワールドカップ優勝おめでとう!!

強豪アメリカに競り勝った優勝戦は見ごたえがありました。先取点を取られても焦らず同点にし、また先に点を取られてもネバーギブアップで同点に持ち込みました。諦めないで目の前のゲームに集中し、豊富な運動量で相手を翻弄し、最後は辛くも押し切った試合でした。選手一人ひとりの試合にかける執念を感じました。よくぞ勝った!

それにしても日本女性は強くなりましたね。前回の北京オリンピックでも強豪アメリカを相手にソフトボール女子が金メダルをとりました。これからの日本を背負っていくのは女性ではないでしょうか。日本の将来は大和撫子の肩にかかっているといってもいいかもしれません。いっそのこと、菅首相の代わりは女性が相応しいかもしれませんね。これからの日本を力強く引っ張って行くのは、「女子力」ですね。

2011年7月17日日曜日

父親の務め?

逆上がりの特訓が続いています。

「お父さん、ねえ、逆上がりの練習に行こう」、という声に、夕方の6時頃になると近くの公園へ行き、二人の娘を相手に練習を続けています。二人とも頑張っていて、次女はずいぶん出来るようになりました。長女はやはり腕の力がなく、自分の身体を鉄棒の方へ押しあげられないようです。しかし努力の甲斐があり、少しずつですが足も上がってきました。

二人を見ていると、次女の方は長女に対してのライバル心があるようで、出来るまで諦めずに必死で頑張っているようです。長女の方は、性格的におっとりとしているので、妹が出来ているのに自分が出来ないことを口惜しがっている風には見えません。しかし努力をして出来るようになりたいとの意思は強そうです。スポーツの世界において、次男や次女が活躍しているのは、こういった幼い頃からの兄弟・姉妹の関係に起因しているのかもしれません。

これが息子たちであったら、夕方家のまえでキャッチボールでも出来るのでしょうが、娘たちの場合、逆上がりの練習くらいが父親としてできる運動のひとつかもしれません。自転車の練習も1日で乗れるようになったので、あと残るはやはり逆上がりですね。娘ふたりが「もういい」と言うまで、しばらくは付き合って練習です。

ガンバレ!

2011年7月15日金曜日

小さいことは良いことだ?

清少納言は『枕草子』で、「ちいさきものはみなうつくし」と書いています。これはある本によると、日本人のモノに対する文化的特徴をよく表しているそうです。つまり日本人は、何でも小さく、軽く、薄くすることに美を感じるようです。

たとえば薄型テレビ。以前のように分厚いブラウン管のテレビではなく、液晶ディスプレイなど極限まで薄くすることにその技術を結集していますし、ケータイやパソコン、またはデジタルカメラなども全て小さく、軽く、薄くなってきています。折り畳み傘や、扇や団扇(うちわ)などをコンパクトに畳めるようにした扇子(せんす)なども、日本人の発明です。

それに比べてアメリカ人は、対照的に何でも大きくすることに喜びを感じる国民性のようです。アメリカに行くたびに、見るもの全てそのスケールの大きさに驚いてしまいます。日本とアメリカとの国土の広さの違いも、それぞれの国民性に影響を及ぼしているのかもしれません。

この日本人の特徴的な意識が明瞭に表れているとして有名なのが、石川啄木の次の歌です。

「東海の 小島の磯の 白砂に われ泣きぬれて 蟹(かに)とたわむる」

広大な海から小島、磯、砂浜へとアングルは次第に小さくなってゆき、最後は一匹の蟹と一滴の涙へと凝縮されていきます。まさしくこれは、日本人が無意識に感じている心の動きではないでしょうか。この国民性は、同じアジア人でも中国人や韓国人にもない日本人だけがもつ特徴のようです。不思議です。

2011年7月14日木曜日

日本チャチャチャ

なでしこジャパンの快進撃が続いています。日曜日には世界1位のアメリカと決勝戦です。さて結果はどうなるでしょうか? もうメダルは獲得していますから、あとはそのメダルの色が何になるのかが問題です。健闘を祈りたいと思います。

ところでスポーツの世界において、日本女性の「底力」というものは眼を見張るものがあります。古いところでは、東京オリンピックでのバレーボール女子の金メダルがありますし、近年では、マラソンの高橋尚子やアイススケートの荒川静香が世界の強豪を相手に金メダルを獲っています。まさに「ヤマトナデシコ」達がなかなか越えられない世界の壁をブレイクスルーしています。男子「サムライ」達もこれに続いて頑張ってほしいものです。

どうして日本女性のことを「大和撫子」というのでしょうか? 「ナデシコ」を辞書で調べると、以下のように出ています。

『ナデシコ科の多年草。山野に自生し、高さ約50センチ。葉は線形で白色を帯び、対生。夏から秋、淡紅色の花を開き、花びらの先は細く裂けている。秋の七草の一。女性の清楚な美しさをほめていう語。』

つまり、撫でるたくなるように愛しい子ということでしょうか。植物の「ナデシコ」と「撫でし子」を掛け詞にしているようです。アメリカチームを撃破して金メダルを獲ったら、ヨシヨシと撫でてあげましょう。


2011年7月13日水曜日

ぐっすり寝かせてくれ~!

犬の鳴き声に悩まされています。
 
早朝5時ごろになると、必ず近所の子犬が鳴き出します。毎朝6時に起床するのですが、目覚まし時計が鳴るまえに起こされてしまいます。怒り心頭です。殊に最近は、節電のため窓を開けて寝ているので、キャンキャンと高いピッチの鳴き声がやたら聞こえてきます。まったく近所迷惑も甚だしい。起きるまでの朝の1時間は特に貴重です。朝の目覚めが悪いと、その日の身体の調子まで悪くなってしまいます。ペットとして犬を飼うことには反対ではないのです。それよりも、近隣住民に対する最低のマナーというものがあるように思うのです。
 
しかしながら、これだけ迷惑を蒙っていても、面と向かって注意するのをためらっています。これからも近所づきあいを続けていかなければならないので、お互い気まずい思いをしたくないからです。たまに顔をあわせると、「いつもうちの犬がうるさくてスミマセン」と申し訳なさそうに挨拶を受けますが、そう気づかっているんだったらもう少し気をつけてくれよなぁー、まったく。

2011年7月12日火曜日

「天才」について

「天才」と言われてまず頭に浮かぶのは、現役メジャーリーガーのイチローです。

以前、彼のトレーニング風景やベースボールに対する想いを語ったドキュメンタリー番組をみたことがあります。それをみて感じたのは、彼は「天才」でも何でもない、ただただ「努力」の人である、ということです。明確な目標を定め、人一倍練習に励み、結果を出すために一途に努力する。彼のその姿に感動を覚えました。

ある本に書いてあったのは、「天才とは、努力が足りない凡人の妄想によって作られた言葉である」ということです。天才といわれたアメリカの発明家エジソンも、「99パーセントの努力と1パーセントのひらめき」と語っています。また、電球を発明するのに1万回もの失敗を繰り返したことに、「それは失敗したのではなく、電球ができない方法を1万回試しただけ」と言っています。

「天才」とは神に与えられた生まれつきの才能ではなく、絶えず努力を続けた賜物であるようです。自分では努力しているつもりでも、なかなか結果がついてこないことがあります。しかし大事なことは、すぐに諦めずにコツコツと継続することでしょう。継続は力なり、です。

2011年7月11日月曜日

書評 - 月下の恋人(浅田次郎)


浅田次郎の作品を読むたびに思うのが、彼はまれにみる短編の巧手だなぁ、ということです。長編もそれなりに素晴らしいのですが、浅田次郎の真骨頂は短編にこそあると思います。

少ないページ数のなかで、読者を容易にその物語の中に招きいれ、巧みに構成されたプロットによって惹きつけ、ほのかな余韻を残す読後感があります。小説家というよりも、「名ストーリー・テラー」といった方が相応しいですね。その意味でこの短編集は、浅田次郎ワールドの魅力があふれた作品集であり、一読の価値ありです。お勧めです。

ちなみに、短編集最後の作品『冬の旅』に出てくる川端康成の『雪国』ですが、個人的には「コッキョウの長いトンネルを抜けると」ではなく、やはり「クニザカイの長いトンネルを抜けると」の方がしっくりくるような気がします。

2011年7月9日土曜日

逆上がり

今日は夕方すこし涼しくなったころ、娘2人を連れて近くの公園へ行ってきました。学校で鉄棒の逆上がりができないとのことで、特訓をしてきました。

逆上がりにもコツがあって、反動をつけて両足を上へ高く蹴り上げ、グイっと腕の力で鉄棒を身体に引きつけると自然とクルリと回ります。小学校3年になる次女は出来たり出来なかったりですが、5年生になる長女はまったくダメでした。やはり両腕の力が足りないようで、どうしても両足が前に出てしまいます。しばらく特訓が必要のようです。

汗をかきながら一生懸命に練習している二人を見ていると、ついこの間までハイハイしていたのに、もうこんなに成長したんだと感慨深くなりました。

2011年7月8日金曜日

北方領土について

北方領土についてある本を読みました。それを読むと、いかにソ連が国際法を無視して北方四島を奪ったのかが分かります。

まずソ連は日本と結んでいた日ソ中立条約を平気で破って北方四島に侵攻しています。それも、すでに日本はポツダム宣言を受託し無条件降伏をしているというのに攻撃をしたのです。。ソ連軍が島に上陸したのが1945年8月28日といいますから、ポツダム宣言受諾後すでに2週間が経っていますし、四島すべてを占拠したのが9月5日ですから、日本が東京湾沖のアメリカ海軍軍艦ミズーリ号上で降伏文書に調印した3日後です。

これをみると、いかにソ連はドサクサに紛れて北方領土を掠め取ったがわかります。国際法を守る気はさらさらなかったとしか言いようがありません。そして現在も我が領土だとうそぶくのですから、呆れてしまいます。

ソ連がやった悪行はそれにとどまりません。ポツダム宣言第9条によって武装解除された日本軍の将兵を強制的にシベリアへ連行し、70~80万人ともいわれている人たちを抑留し、10万人もの人を死に追いやっています。

もう当時のソ連という国家はこの地球上にないとはいえ、ロシアがいまだに北方領土を占拠しているのは許しがたい国際法違反です。そして日本が震災と原発事故で大変なこの時期、着々と領有権を確かなものにしようと島のインフラを整備し始めています。油断大敵です。

日本の外務省は、もっと毅然たる態度で、ロシアに対して抗議をすべきだと思います。

2011年7月7日木曜日

暑いよ~

連日の猛暑が続いています。うだるような暑さです。その気温と湿度から、「酷暑」とよんだ方が相応しいかもしれません。

この連日の天気をみると、関東地方がまだ梅雨明けしていないというのが不思議なくらいです。一方、もうすでに梅雨明けしている九州地方に豪雨の被害がでているようで、気象庁の梅雨明け宣言もいまいち信用できないところです。正確で信頼できる天気予報を出すというのはまだまだ難しいのかもしれません。いわゆる複雑系の世界ですね。

「暑い、寒い」と文句も言わず、人間はその時どきの天候とともに生きた方が自然なのかもしれません。晴耕雨読 - 天気の良い日には畑を耕し、雨の日は家にこもって読書を楽しむ。暑ければ、木陰に入ってしばし休む。寒ければ、一枚多めに着て暖かいものを食する。

幕末戊辰戦争を指揮して新政府軍を勝利に導いた大村益次郎は、若い頃村田蔵六という名で郷里長州で村医者をしていたころ、診察にきた患者が、「いや~、暑いですね」と挨拶すると、「夏だから当然です」とそっけなく応えたそうです。

いや、それにしても 「暑~い!!」

2011年7月6日水曜日

徳のある政治

古代中国の思想家で、孟子という人がいます。孔子と並び称される偉大な賢人です。その彼に、「禅譲(ぜんじょう)と放伐(ほうばつ)」という説があります。これは、ときの権力者(トップ)について如何に交代すべきかを説いた教えです。

「禅譲」とは、時の権力者(トップ)が徳を失った場合、徳のある他の人へ地位を譲らなければならないという説です。つまり、醜い権力争いなどせず、自らきれいに身を引き、平和裏に後進に託すということです。

一方「放伐」とは、トップがすでに徳を失っているにもかかわらず権力にしがみついている場合は、徳のある人が実力で追い出すことができるという説です。実力でということは、歴史上、戦力でもって引きづり下ろすことでしょう。中国五千年の歴史をみると、新しい王朝は絶えずこの「放伐」によって生まれています。

ところで孟子のいう「徳」とは何でしょうか? 作家童門冬二によると、「王道政治(人民を幸福にする政治)のおこない手である」とのことです。歴代中国王朝にとっては、すべての人民が飢えることなく、戦争のない平和な生活を保障するということでしょうか。

さて、いまの日本にとって、はたして菅総理のあとを任せられる、「徳」をもった政治家がいるでしょうか?

2011年7月5日火曜日

博物館巡りもたまにはイイもんだ

今日は久しぶりに有給休暇をとって、横浜開港資料館神奈川県立歴史博物館へ行ってきました。

みなとみらい線の『日本大通り駅』で降りて、まずは開港資料館へ行き、そこの中庭に今も茂っている玉楠の木を見てきました。この木のそばで、1854年、ペリー提督と江戸幕府が日米和親条約を締結しています。この時をもって日本の鎖国は終わったのです。それからまた4年後には、日米通商条約が結ばれ、1859年には横浜港が開港しています。幕末から現在へと、横浜が貿易をもとに発展ゆくのを見続けた、まさに目撃者となった記念すべき木です。その場に立って生い茂った玉楠を見上げていると、150年あまり前の情景が浮かび上がってくるようでした。

その後、同じみなとみらい線で『馬車道駅』まで引き返し、歴史博物館を訪ねました。歴史好きの私としては、見るものすべてが興味深く、1時半から4時半まで3時間じっくりと見て回りました。最後は足が痛くなりました。殊に、特別展示の英国人画家チャールズ・ワーグマンの絵画は素晴らしかった。ワーグマンは幕末に来日し、日本女性を妻にもって明治末まで生き、当時の日本人の風俗や景色を絵画として残しています。「ジャパン・パンチ」という現在でいう雑誌も発行し、その挿絵も描いています。いまでいう漫画の起源ともいう挿絵です。帰りには早速画集を買いました。

たまには一人ゆっくりと博物館巡りをするのもイイもんですね。明日は多分、足腰が筋肉痛でしょう。

2011年7月4日月曜日

謙虚な心を持とう!

昨日の朝日新聞に、ノーベル化学賞受賞者の野依良治氏の寄稿文がのっていました。その中で、インドの指導者、マハトマ・ガンジーの以下の言葉を紹介しています。

「Earth has enough for everybody's NEED, but not for anybody's GREED」

(地球は全ての人々の必要を満たすに十分であるが、いかなる人の強欲も満たせない)

そして氏は、人は皆、謙虚でなければならない。何よりも倫理観や人生観、あるいは文明観の変革が大切だ。さもなくば、限られた資源や増大する人口などの人類社会が直面する問題に、科学の進歩が対峙(たいじ)するには限界がある。

まさに金言ですね。今回の福島第一原子力発電所事故を教訓に、私たちはいままでの生活や考え方を改める必要があるのかもしれません。

2011年7月3日日曜日

風力発電についての考察


いま原発に代わる再利用可能エネルギーとして、太陽光や風力発電が注目されています。

特に風力発電は、他の発電方式に比べて、建設コストも比較的少なく、また維持管理経費なども低く、石油や石炭などの化石燃料が排出するCO2も出ません。まさに天然資源の乏しい日本にとって、これからこうした自然エネルギーを開発していくことが望まれます。

新聞によると、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)は、風力の発電量を予測するシステムを3年前に開発し、青森県六ケ所村の二又風力発電所で実用化されているそうです。いまはデータを蓄積中で、予測精度を磨いているようです。

しかしながら、理想的な発電システムだと思って詳しく調べてみると、風力発電にも様々な問題点があるようです。

第一に、ある一定以上の強さで風が吹く地域である必要から、建設予定地が限定されます。また、日本では特に山の尾根などに風車を建設するため、資材の搬入用道路などの工事で森林が伐採され、工事期間中、大雨などで土砂が流れだし、近隣の河川や海の汚染、また漁業資源への悪影響が懸念されます。

その他の問題点として、いくつもの巨大な風車が立ち並ぶと、景観を損ねます。また、鳥類への影響もあります。実際、渡り鳥やオジロワシ、オオワシ、イヌワシなどの猛禽類が風車に巻き込まれ、そのブレード(羽)によって切断される事故が起きています。

最後に、調べてみて初めて判ったのですが、風車が起こす騒音被害も深刻のようです。ブレードの風きり音やローター(発電部)の回転軸音などが引き起こす低周波音により、近隣住民の睡眠障害や自律神経失調症状などの健康被害が起きています。そのため、風車の建設は、住宅から最低500メートル以上離れていることが条件となっているようです。

風車の寿命は16~17年程度で、強風などでブレードが破損し、その破損部分が住宅地などに飛散して危険なこともあるようです。また撤去費用も膨大で、放置される可能性もあります。

安全でクリーンな発電だと思っていた風力発電も、このように様々問題を抱えているようです。

2011年7月2日土曜日

記憶についての考察

脳の記憶の仕方には様々あって、その中でも「短期記憶」は、必要なときに必要な分を一時的にたくわえるという記憶だそうです。たとえば電話番号や郵便番号などです。電話番号などはいまや携帯メモリーに入っているので、よくかける妻の携帯番号などもアヤフヤなときがあります。たまに自分の携帯番号も忘れるときがあります。

たとえば電話番号をメモしてダイヤルすると、もうその時点で電話番号は忘れてしまいます。つまり、覚えなくてもよさそうなものは直ぐに記憶から消えてゆくということです。やはり脳にも限界があるでしょうから、いちいち細かいことまで覚えていたらパンクしてしまいます。コンピューターのメモリーのように、ハードディスクにSAVEされない限り、思い出すことのできない記憶となるようです。

アメリカの心理学者でミラーという方が発見したことで「マジカルナンバー7」というものがあります。ひとそれぞれ個人差はあるでしょうが、人間が瞬間的に記憶できる対象の数が7個程度だそうです。7個を超えるとなかなか記憶に残りにくいそうです。そういえば郵便番号も7桁だし、電話番号も市外局番をのぞくと7桁ですね。1週間も7日間だし、小説やドラマも登場人物が7名以上になると、ストーリーが分からなくなってきます。

携帯番号は10桁ですが、数字の間にハイフンを入れると、覚えやすくなります。たとえば、090-351-8625のように。大きな3つのグループに分けると、それぞれが7桁以下になって覚えやすくなります。ちなみに聖徳太子は同時に7人の話を聞けたそうですが、やはり「マジカルナンバー7」なのでしょうか。

2011年6月30日木曜日

ノートに書き留めておいたこと

新聞や本を読んでいて気に入った言葉があると、忘れないようにメモをするようにしています。そのメモをたまに開いて眺めていると、その時々に共感した箴言の数々がよみがえってきます。

以下は、もうずいぶん前に読んだ池波正太郎の短編「あほうがらす」の中にあった言葉です。

『所詮(しょせん)、人間というものは理屈ではどうにもならない、矛盾だれけの生きもの』

『あしたのことはだれにもわからない。わかっている唯一のことは、人間は死ぬ。この1事のみ』

まさに真理ですね。

2011年6月29日水曜日

先生たち、みっともないですよ。

いまの政治状況をみると、一体この国はどうしてこんな風に情けない国家になったのかとつくづく思います。歴史を振り返ると、幕末から明治にかけて、一途に国を想い、命をかけて懸命に働いた幾多の政治家たちがいます。私心を捨て、壮行な志をもち、日本の繁栄のため、愛すべき国民のために邁進した男達です。いまの政治家たちを眺めると、自己の権力と利得のために仕事をしているとしか思えません。

西郷隆盛は言っています。

『万民の上に位する物は己れをつつしみ、品行を正しくし、驕りをいましめ、節倹につとめ、職務に勤労して人民の標準となり、下民、その勤労を気の毒に思うようならでは、政令はおこなわれがたし』

権力争いに忙しい今の国会議員のみなさんには、この言葉をかみしめてほしいところです。

2011年6月28日火曜日

怒り心頭!

普段はほとんど怒らない性格なのですが、久しぶりに怒り心頭でした。以下は東芝本社へFAXした苦情書です。

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昨年、貴社の電気洗濯乾燥機(TW-Z360L)をコジマ電器より購入いたしました。しかし、まだ1年も経っていないのに故障しました。たぶん8ヶ月も経っていないと思います。

乾燥をすると『EJ23』というエラーメッセージが出て使用できません。コジマ電器を通して修理依頼をしまして、次の日の夕方に修理をしてもらいました。しかし原因が判らないとのことで、『内部のコンピューターを取り替えたので、しばらく様子をみてください』、とのことでした。

ところが、本日使用するとまったく現状は変わっておらず、同じようなエラーメッセージが出ました。コジマ電器と東芝家電修理センターに連絡をし(電話は何度かけても長時間話中でした)、苦情を言いましたが、『記録によると、部品交換が必要で、その部品を注文しております。その後再度お伺いして修理をするような予定になっております』とのことでした。

その返答に、『まったくそんなことは聞いてもいない! 修理に来た人からは修理は終了したと聞いた』と応え、非常に憤ると共に呆れ返ってしまいました。その後、何度か連絡がありましたが、いまだに修理をしていただいておりません。

『同じ商品が在庫になく、しばらく洗濯だけで辛抱してください』とのことでした。まったく呆れ返って言葉も出ませんでした。洗濯と乾燥ができるから購入したわけで、洗濯しかできない商品を買った覚えはありません。

同じ商品がなかったら、もうひとつ上のレベルでも持ってきてほしいと頼みましたが、現在使用中の商品が最高級でもう上のレベルはないとのことでした。それではコジマ電器と話し合って、別のメーカーでもいいから持ってきてもらうように頼みましたが、良い返事はもらえませんでした。

この梅雨どきに乾燥ができない不便さを分かってもらいたいと思います。本社での迅速な対応をお願い致します。必ず下記のメールに誠意ある対応のご返答をお願い致します。

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FAXした今もう一度読み返すと、我ながら凄いクレーマーですね(苦笑)。

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